三輪の山里(三寺尾の合戦その4)
- カテゴリ: 自作小説
- 2017/11/13 22:23:54
4.三寺尾の合戦「ご注進、ご注進ぃ~ん」ここは木部城、舟橋を渡り武田の使者が到着すると、書状を受け取った番兵が中庭へやって来た。「いかがした」範次の問いに番兵は「武田の使いが、お目通りを願っております」「これへ通せ」やって来た使いは「家の子を小串城へ、背かぬ証しとして差し出せ」と伝えてきた。
その上...
自分の思った事、感じたままを人に伝える事って実は難しい。「なにそんなんで感動するわけ?」って事が往々にして起こりうるからだ。
4.三寺尾の合戦「ご注進、ご注進ぃ~ん」ここは木部城、舟橋を渡り武田の使者が到着すると、書状を受け取った番兵が中庭へやって来た。「いかがした」範次の問いに番兵は「武田の使いが、お目通りを願っております」「これへ通せ」やって来た使いは「家の子を小串城へ、背かぬ証しとして差し出せ」と伝えてきた。
その上...
3.国衆の生きる道先発の原加賀守、同隼人助父子は、市河氏と協力して南牧と西牧の街道沿いへ新たに駐屯・補給のための急ごしらえに城を築いた。
原加賀守は西牧にて待機し、子を国峯城下に陣城作るため向かわせると、主晴信へ出陣するよう連絡の使者を立てた。
すると、信濃佐久郡から上信国境の峠を越えて侵入する武田...
2.再会天文18年(1549年)夏、武田晴信は軍勢を従えて甲府を立ち、再び佐久郡を制圧した。
そして、前山城へ入り陣を張ると信濃及び上野の平定について、今後の策略を練るための評定を行った。「西上野の小幡が助けを求めてきた、そうであったな?弾正」弾正こと真田弾正幸隆(幸綱)は、父祖の地小県を追われて上...
しばらくすると三郎左衛門の来訪に、奥から現れた木部家付家老の増尾新兵衛尉は答えた。「如何いたした、三郎」「それがな新兵衛、小幡の話なのだが……」 三郎左衛門と新兵衛尉は、それぞれ譜代の家臣の家に生まれ、幼いころより共に育ってきた。お互い木部十騎に数えられて主範次に仕えて...
◆序文
天文15年(1546年)山内・扇谷両上杉氏及び古河公方の連合軍は、相模北条氏との川越城をめぐる合戦に敗れた。
その頃信濃では武田晴信が佐久郡へ侵攻してくると、これに対抗するため佐久の領主たちが関東管領上杉憲政へ援軍を求めてきた。
この時、箕輪城主長野信濃守業政は、北条・武田の両氏を敵に回す...