私たちは、自分を受け入れ、愛しているのと同じ程度にしか、
他人を受け入れ、愛することがきません。
私は今日、自分が、他人をどれくらい無条件に愛しているか、
ということについて、じっくり考えます。
私が他人を無条件に愛することができるためには、彼らの限界を受け入れ、
彼らが、欠点を備えた人間であること...
ダンマパダ第6章82節 深い湖が、澄んで、清らかであるように、賢者は真理を聞いて、こころ清らかである。
私たちは、自分を受け入れ、愛しているのと同じ程度にしか、
他人を受け入れ、愛することがきません。
私は今日、自分が、他人をどれくらい無条件に愛しているか、
ということについて、じっくり考えます。
私が他人を無条件に愛することができるためには、彼らの限界を受け入れ、
彼らが、欠点を備えた人間であること...
私は今日、自分自身を受け入れることの方が、
ほかの人たちを受け入れることよりも、はるかに大切である、
ということを理解します。
ほかの人たちは、私が、自分を受け入れることができるようになるために
存在してくれている、ということが私には分かりました。
したがって、私は、今日一日を、完全に自分を受け入れ...
私は今日、人の数だけ正義と不正の定義があることを認めます。
私が、ある人や、ある事柄に対して、正義と不正のレッテルを貼る時、
それがほかの人のレッテルと違う可能性があることを認めます。
いわゆる正義とは、自我の幻想に過ぎません。
本当に存在するのは神の正義だけです。
私たちが持っているあらゆる魂の傷、からだの傷を癒すには、
どうしてもこの責任という考え方を身につけなければなりません。
自分に対する愛が欠けているのは、私たちは自分の人生に対して
責任を負わなければならない、つまり、私たちに起こることはすべて
自分が創り出している、ということを忘れているからなのです...
人間は、その思い、言葉、行動によって、絶えず人生を創造しています。
何かを創造するには、それがどんなものであれ、女性原理と男性原理を、
同時に使う必要があります。女性原理は私の願いを知っており、
私の感じる能力を支えてくれます。それに対して、男性原理は、
理性の力によって、私の願いを実現する方法を考...