Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


日々のはざまについて、
地上でみた夢の記憶、
地中で見られた眠りのすきま、
絵画や小説、想像世界、花たちなどについて
静かに渡りを記述しています。

アゲハ蝶の記憶

この頃蝶によく出逢うのは、
日中家の近くにいるからだと気づく。
黄アゲハ、アオスジアゲハ、カラスアゲハなどアゲハ類、
キタテハの美しい豹紋…。
去年まで昼はいつも都会にいたから出逢うことがなかったのだった。

黄アゲハ。幼虫の芋虫を捕まえて、
よく、家で育てていた。
小学生の頃だ。
サ...

>> 続きを読む


たくさんの瞬間が夏によりそう

夏を感じる瞬間…。沢山あるなあ。

入谷の朝顔市が開かれる頃。

家で育てた朝顔が咲いたとき。

アガパンサスがどこかの庭などで咲いているのをみたとき。
アガパンサスは、モネの絵ではじめてしった。
夏の空のような、青い花。

汗をかいたとき。

日射しがじりじりと肌に近づいてくるような...

>> 続きを読む


葉と陽の海

木漏れ陽。
地面に落ちる影を、
いつも波のようだと思っていた。
今日、ぼうっと通りすぎてしまうところだったが
風が吹いた。
波紋のように揺れ、
さざ波のような音をたててこすれる葉たちに
気づかされたのだった。
腕や足に葉紋といっていいそれらを映す。
葉と陽の海の中だ。

>> 続きを読む


花と亡父はいつも傍に

外を歩く仕事。
道路から玄関まで、細い路地の両脇に様々な植物たちのある家。
小さい頃を思い出す。
家と隣の家の間に、細い路地のような庭。
両脇に山野草の鉢植えのびっしり。
亡父が好きで丹念に育てていたのだ。
あの頃はなぜ、そのことに感動しなかったのか。
多分当たり前の温もりとして、花たちがいつも傍に...

>> 続きを読む


そのとき世界は正午だった。

じりじりと日射し。
〈その時世界は正午だった〉は誰の言葉だったのだろう?
昔、男が夢見るように呟いていた、その大本は?
あるいは男そのものの言葉だったのか。
正午に日差しを浴びると、
ふっと思い出すのだった。

町を歩いた。
乾いた畑に茄子の花。
ミヤマアゲハ、モンキチョウ、モンシロチョウ、アゲハ。...

>> 続きを読む





月別アーカイブ

2025

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012


Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.