「きっと、人の手が届かない領域は案外広いんだよ」と佐々井が言った。
「高い棚の隅に何か小さなものが置いてある。人が下から手を伸ばして取ろうとするけれど、ぎりぎりの隅の方だからそこまでは手が届かない。踏台がないかぎりそれは取れない。そういう領域があるんだ」
「そんなものかな」とぼくは言った...
愛と平和を
「きっと、人の手が届かない領域は案外広いんだよ」と佐々井が言った。
「高い棚の隅に何か小さなものが置いてある。人が下から手を伸ばして取ろうとするけれど、ぎりぎりの隅の方だからそこまでは手が届かない。踏台がないかぎりそれは取れない。そういう領域があるんだ」
「そんなものかな」とぼくは言った...
「いや、僕が出ていく」
「なんですって?」
ブランチは驚いてきき返した。
夫の言葉が理解できなかったのだ。
「あのおそろしく不潔な屋根裏できみが生活するなんて、考えるだけでぞっとする。考えてみれば、ここはきみの部屋でもある。ここなら気持ちよく暮らせるだろう。少なくとも、最悪の...
「疲れたの?」
私はやさしく彼女に訊いた。
「いいえ」と彼女は小声に答えたが、私はますます私の肩に彼女のゆるやかな重みのかかって来るのを感じた。
「私がこんなに弱くって、あなたに何んだかお気の毒で……」
彼女はそう囁いたのを、私は聞いたというよりも、むしろそんな気がした位のも...
黄色い光が漂って、きっと、にわか雨のせいでしょう……四十くらいで、着ていたものが……黒のギャバジンコートのような、栗色の髪が肩までかかっていました……とても明るい色の目、たぶんグレーで……顔色は青白く、美人でした。
雨が降っていました……顔には水滴が伝わり……笑顔が美しくて、背はそれほど高くな...
「みんなそうだったのね。どうしても死ねないと思いながら、たくさんの人が帰れなかった。あの時、起こったのは、そういうことだった」
私は女のそばに腰を下ろし、しんと光るホームを眺めた。
風のない、穏やかな午後だ。
さらさらと透明な砂をまくように静かな時間が流れていく。
帰れなかっ...