モンクとトレーン
- 2009/08/02 03:35:51
マイルスのバンドにいたコルトレーン。
彼もこの時代の例にもれずヘロインの洗礼を受けた。
※この当時は、こういった薬物の悪影響の認識が果てしなく低く、一部では、ヘロインやれば、バードのような演奏ができるっていう噂すらあったのである
マイルスに言わせると、この頃のトレーンは最悪でステージで居眠りすらしていた、腹が立ったマイルスは(自分もヤク中のくせに)バックステージでコルトレーンをぶん殴った。
ちょうどそこにモンクが居合わせて、怒って言った。
『おい、あれだけのサックスを吹けるやつがそんな目に会う必要ないんだぞ。いつだって俺のバンドで吹けばいい、マイルス、そんな風にやつあたりするもんじゃない』
そして結局、マイルスからクビを宣告されたトレーンは、モンクのバンドに入った。
当時57年のことを、ジャッキー・マクリーンは語る
『トレーンがマイルスのバンドに入ったころ、そのライブを見に行ったことがあった。
その頃、自分とトレーンは、同じ売人からヤクを買っていた。
トレーンに売人の奴が来てるよって言うと、彼は俺にヘロインはやめたと言った。
俺は、それを聞いてびっくりした・・・なぜならヘロインやめた奴でベットで寝ていない奴を見た事がなかったからだった。
そのライブの最初のころ、服も着替えず、髭ものびっぱなし、酒を飲みまくっていてヘロヘロだった。
ただ、時おり恐るべき演奏するのを見ることができた。
そして毎日、日を追うにつれて驚くべく演奏が増えてきた。
或る夜、きちんとしたかっこうで髭をそって現れたトレーンは驚くべく演奏をバリバリやりはじめた。
ジャッキーは、神の領域に入った人を見ることができたと語る』
マイルスは、振り返る。
『コルトレーンがあの頃やっていたコードやサウンドで、モンクの空間を完全に埋めることができた。俺はそれが誇らしかった。』
そして、後にヘロインから完全に足を洗ったトレーンは、マイルスのもとに帰るのである。
※ジャッキーは、この頃からトレーンに神を見たんだね、サックス奏者で彼の凄さをしらない人がいいたら、ある意味凄すぎますw
57、58年その頃のライブ記録がある
カーネギーホールとファイブスポットのライブだ、ともに音質は今一歩だけど俺は面白いよ。
その後ずーっと共演はないが、66年に、フリーを演奏していたトレーンがモンクと昔のスタイルで演奏したという記録がある。
その時、モンクは小躍りして喜んだと言われているが・・・・・・・・・残念ながら音源はない。
再販のマジックに俺もけっこうはまってるけど、モンクとトレーンのスタジオ録音が一枚になったり、音質が改善したり、良いこともあるよ♪
カーネギーホールは、その通りです。
息子でミュージシャンのラビ・コルトレーンは、ファイブスポットの方が好きだと言っています。
COMPLETE LIVE AT THE FIVE SPOT 1958
http://www.mhatta.org/diary/?date=20060729
こんばんはw
満を持して、コルトレーンの掲示板ですね♪とっても深いお話ありがとうございます。
コルトレーン・モンク・マイスルの三人に、こんなエピソードがあったなんて知りませんでした、、、、
(3人共 JAZZの重鎮ですもんねえ~)
この頃の、3人は今では想像も出来ないくらいのエネルギーを持ち合わせていたことでしょう。
じゅんた先輩には、いまさらなんでしょうが、彼らが最も充実していたと言われる50年代後半から
60年代前半の演奏は、今で色あせない JAZZの名盤が多数発表されていて 今でも何回も
再発がされています。(ちょっとメーカーもくどい気がしますが、、、)
じゅんた先輩のおっしゃっているのは、モンクとコルトレーンのカーネギーホールライブ(1957)のことでしょうか?
→http://www.tsutaya.co.jp/works/20164896.html
これが発売されてすぐに購入しました。
内容は、もちろん素晴らしいの ひとことモンクの独特のピアノフレーズにコルトレーンが追従して
独特の音の世界が広がります。モノラル録音なのに この臨場感は何?って感じですよね。
さらなるコルトレーンについての コメントお願いします♪