夏日
- 2025/07/16 23:41:40
空気がゆらぐ暑さのなか、そこらじゅうからセミの声が聞こえる。街とは違いミンミンゼミが多い。
少年時代に聞いた懐かしい原風景そのままだ。これだけ山奥に来ればまだまだ残っているのだろう。
周囲を緑の山々に囲まれて空自体は都会より狭いはずだが、この日差し、この光、この熱は半端ない。
汗が首筋をつたい落ちてくる。保冷剤を含ませたタオルもだんだん用をなさなくなってきた。
私はもうすぐ結婚する。なかなか相手に巡り合えず晩婚となったが、彼女と偶然出会ったのは2年前のことだった。
なぜか馴染み深さを感じたが、彼女はあまり幼少期のことを語らなかった。憶えていないのだという。
私自身も、なぜ?そんな懐かしい感覚を持つのか、はっきりとした理由がわからなかった。
だが、最近になって、その一つと思われる私自身の記憶の断片にたどりついた。
あれはまだ、私が小学校2~3年でこの集落で暮らしていたころ、昆虫採集のあと、虫かごをもって
村に通じる唯一の交通手段であるバスの停留所で、一休みしているときだった。
この停留所は古い木製の屋根のついたボックス型で、めったに来ないバスの待ち時間以外は、こうして
村人の休憩場所として重宝していたのだった。
小学生の私は、捕まえたゲンジクワガタを見ながら、その中のベンチに腰かけて悦に入って涼んでいた。
と、そのとき、ひょっこりと一人の女性が現れた。
白いワンピースにつばの長い白帽子を着た、若い女性だった。肌は白くおおよそ夏っぽい感じはしなかった。
「…あら、先客さん?」
「?」
どうも、この夏の日差しから逃れる場所としてのバス停に、先を越されて座られた、という意味らしかった。
なんとなく都市伝説や怪談でこういう妖怪?がいたっけ?とも一瞬思ったが、昼間だし、怖くは無かった。
「おねえさん、この村の人?あんま見かけないね。」
「うん、あまり外には出ないから…」
それから少しの間会話したようだが、内容は全然憶えていない。ただ、最後の言葉だけは鮮明に心に残っている。
「…キミ、…だよね?」
頭のまわりで五月蠅く鳴きつづける蝉の大合唱に混じって、その台詞だけが、妙に私の気持ちを動揺させた。
…そうだ、あのとき…
行きずりの停留所で会っただけの少年に、なぜ?そんなことを言ったのだろう。
確かそのあとに、何か言葉が続いたと思う。けれど、それについてはずっと思い出すことが出来なかった。
ようやくそのバス停留所についた。このあたりの路線は著しく減少している。村の人口に比例して今や一日数本だ。
「ここだ。確かに…この停留所だな…。」
さらに朽ち果てた感はあったが、思い出の中にあるシチュエーションとそっくり一致する景色だった。
それにしても…あれから30年…長い月日が流れたのは致し方ない現実だ。
「おーい!そのバス、もう3時まで来ねえよ!」
私が停留所の周りをうろうろしてるので、村の老人が声をかけてきた。バスの時刻表を見に来てる
よそ者の利用客と間違われたのだろう。私はバス待ちの客ではないことを説明し、同郷のこの老人と
しばらく世間話をした。
「ちょっとお尋ねしますが、この辺りで昔、綺麗なお嬢さんが住んでませんでしたか? 20~30年前です。
白い帽子と白い服の似合う感じの人で…」
「あ~、そりゃあ、如月さんとこの娘さんじゃろ。」
「!」
「結婚まえ、婚約者を亡くしてなぁ。そっからずっと臥せってよった。だいぶ具合悪かったみたいじゃで。
30年くらい前かのぉ?そのまま逝っちゃったけど…可哀そうに…」
「…そうだったんですか…」
やはり、幻では無かった。あのとき話した白い帽子の女は実在したのだ。白日夢などではなく確かな記憶だったのだ。
私はその薄幸の娘に少しの間思いをはせた。さぞ無念だったろうな…。
「そういや、アンタ? 婚約者さんにちょっと似とるねぇ。わしゃよう顔知っとるで…」
一陣の風が背後から吹き抜け、それにおののいた蝉の声が一瞬黙った……と、私の頭の中に当時の景色が
フラッシュバックし、忘れてたはずの、あの白い帽子の女の言葉が明々と蘇ってきた。
「…つぎは、おいて行かないで。」
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