恋愛論(その3)
- 2025/12/13 22:05:57
「あの人見た感じあんなだけど、中身はホントいい人だよ?」
こういう台詞もよく耳にする。言わんとすることは尤もで、否定する気は全く無い。
でも『恋』に関して言うなら、必ずしもこれは尺度とならない。というか、いい人というだけで
人は『恋』をすることが出来るだろうか? 最初あの人の考えが分からなかったけど、その人から、
または他人から、その人についての情報がどんどん与えられて、「なるほど、そういう考えの人か。」
と理解が進んで、『恋』に発展していく・・そういうのがあり得るだろうか?
わたしは無いと思う。
もし?後日『恋』を自覚していくことがあったとしても、それは既に無自覚ながらあった感情に
遅まきながら気が付き始めた。ということになるのではないだろうか?
ここでは端的に2つの組み合わせケースについて考えてみよう。
「ビジュアルぜったい無理!‥な人と、ビジュアル何とかクリアできそうな人」
「ビジュアル何とかクリアできそうな人と、ビジュアルぜんぜんオッケーな人」
この中身が全然分からない二人の方と同時に関わることになって、上記の同じよう深度(速度)で
二人ともに理解が進んで行ったとしよう。さて?あなたはどちらに『恋』するだろうか?
答えはすぐ出そうである。きっと反論があると思うので、さらに以下のケースを考えてみよう。
「考え方ぜったい無理!な人と、考え方何とかクリアできそうな人、考え方ぜんぜんオッケーな人」
そういう人についてビジュアル(〇・△・×)を組み合わせて考えてみよう。
最後に迷うのはきっと
「ビジュアルオッケー・考え方何とかクリア」と「ビジュアル何とかクリア・考え方オッケー」
の、二者だと思う。
お気づきでしょうか?この中にビジュアル無理!な人はぜったいに入ってこないのだ‥。
冷徹に聞こえるが、『恋』にはある程度のビジュアルは必要条件である、というのが私の結論だ。
ちなみに、ここで言うところの『恋』とは、現実的な「結婚衝動」とは別のものである。
しばしばアンバランスなカップリングを目にするけれど、これは純粋な『恋』の終着駅とは限らない。
そこには「金銭」や「地位」「名誉」そのほか社会属性の強い欲求が重ね合わされるからだ。
それをいうなら「結婚するならどっち?」的な質問でよい。
わたしがここで語るのは、もっと根源的な、本質的な問いによる『恋』。であるということを
どうかご理解いただきたく・・
つづきます♪


























それはルルルのル^^さんが、そのあばたを「好き」っていいう
ことなのです♪
コメントありがとうございます~(⌒∇⌒)