全的説法之6.1涅槃寂静比喩編
- カテゴリ:仕事
- 2009/07/10 00:24:45
仏教の大前提は、【この世は苦である】です。
仏教の四つの真理は↓です。
1【諸行無常】 2【諸法無我】 3【一切皆苦】 4【涅槃寂静】
上記の言葉で検索すれば wiki などの親切なサイトで一般論を説明してくれています。
「一般論はつまらん!」そうなので、ここでは禅のひねくれ論を書いています(笑)。
尚、当方が「荒らし」と判断した書き込みは、削除+通報させて頂く場合があります。
ご注意下さい。
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改訂版の涅槃寂静です。
涅槃寂静とは、涅槃+寂静です。
涅槃とは梵語(サンスクリット語)のニルバーナ(nirvana)の音写です。
その意味は、(火)を吹き消すこと。
仏教的には、(煩悩の火)を吹き消すこと。
古代インド人は比喩的にそう理解していたのでしょう。
翻訳した古代中国人は次の様に理解したのでしょう。
・涅槃は「寂」、即ち、時を経て朽ち果ててしまった状態。
・涅槃は「静」、即ち、動きのない、落ち着いた状態。
ここ、ニコッとタウンのゲームにルーレットがありますね。私などはハマって
しまって、毎日Cコインを浪費しております。
もしもある時、次に出る目が分かるようになったら どうなるでしょう。
答えは簡単です。面白くなくなってしまうでしょうね。
当てたいという煩悩と、外れた時の苦悩があるからこそ、当たった時は嬉しい。
全て当たってしまえば外れる苦悩がなくなり、苦悩がなくなると嬉しさも消え去り、
当てたいという煩悩自体が成立しなくなってしまう。
単にCコインを稼ぐだけなので、Cコインが不要ならもうしないでしょう。
・次の目が分からないという「無明」が消えると
・苦悩や喜びの感情は朽ち果てて、
・どんな目が出ようとも、心は動かず平安です。
・当てたいという煩悩の火は吹き消されます。
涅槃寂静ですね。
ついでに記しましょう。
・「無明」が消えることにより
・このゲームは面白くないわ、との智慧が生じ、
・(もっと楽しいことをするので)← ← ← ← 【これ重要!】
・二度とこのゲームはしないだろうと納得できる。
一回のゲームを一つの人生とするならば、即ち、悟りを得て解脱し、
涅槃寂静に至ったというわけです。
まぁ実際には次の目は分からないし、
現実はそんなに簡単じゃないですけどね(笑)
合掌
瞑想がいいと知り、自分なりに実践してますが、禅さんも瞑想されてるんですか?
・・・ちなみに私は5分ももたないです゚。(*^▽^*)ゞ
ずいぶん、辛い思いをされましたね。
人生に起きることは、大体に於いて、相似形です。
いくつかのパターンがあって、結局はその 堂々巡りです。
きっと、YUKOさんの知らないパターンもありますから、
仕事だけ、なんて言わないで、楽しいことを探して下さい。
この世は大きな宝島、ですよ(笑) 冒険に飽きたら・・ 仏門へどうぞです。
大安楽へ向かって、仏道を歩みましょう(笑)
コメント ありがとうございました。
●ワールド様
他のコメと重なりますが・・・
日本に伝わる多くの経典は中国語で書かれています。しかしながら、それらの経典も
元は中国語ではなく、サンスクリット語やパーリ語、中央アジアの諸言語などで
書かれていたものです。
それらを中国人は中国語に訳しました。これは、読んで理解するためです。
確かに、無心で唱えることも大切かも知れませんが、やはり、経典は読んで理解すべきものでしょう。
まぁ、難しすぎて、私には理解不能でありますけど・・・(恥)
コメント ありがとうございました
僧侶ではありません。
あんまりお経の意味は深入りしないほうがいいんですよね?
とにかく「拝む」ことが大切なんだと思います。無意識に。
もうこの人間関係に関しては
・「無明」が消えることにより
・このゲームは面白くないわ、との智慧が生じ、
・(もっと楽しいことをするので)← ← ← ← 【これ重要!】
・二度とこのゲームはしないだろうと納得できる。
そのままでございます。
ただ、もっと楽しい事というのがまるっきり見当たりませぬ。
ひたすら仕事でしょうか。
そか・・。
人間関係にさえ、当てはまるのでしょうか・・。
それこそが ニルバーナ です。
飽き、怠惰、厭世観、などの概念と微妙なところがあるので
あえて そうは書かなかったですが、実際はその通りです。
さすがに感性が鋭いですね ^^
コメントありがとうございました。
たとえば当てようとすることをあきらめる。
考えてもわからないんだから。って場合はどんな目が出ても何故かこころは平安でどうでも良くなる。
そうすると賭け事をする意味がなくなり、賭け事をしなくなる。
考えても仕方がないことはどうでもいいこと。
出る目がわかっても、わからなくても、面白くなくなる。これは飽きであってニルバーナなんでしょうか・・。
たしかに難しいですねぇ。。
最近 到達した人 いるのかなぁ???
理解というか 実感ですね。
この世界の欲求は、しょせん子供のオモチャみたいなもんで
満たす価値もないし、どうでもいいや・・・
と思えるように、心を成長させて実感することだと思うのですね。
まぁ 修行が進んだだけ 欲求も減るでしょうから、生きやすくはなるでしょう。
コメントありがとうございました。
しかし、そこに至るまでがエラい難しいですね……。
あくまでそれは究極の形であって、そこに近づくよう修行することが大事なのでしょうか。
我慢でなくて理解して脱する……う~ん、難しい~!
あの、こういう時は、「もちろん仮名で~す」
と言っとくものですよ・・(汗)。。
いつも元気をありがとうね。
コメントありがとうございました。
●さくあさん
うぅ~ん ごめんなさい。私自身も、悟りとか涅槃と
かを得たわけではないですし、得たという師に会ったこ
ともないので、所詮は想像なんです。
うまく説明できるよう、これからも修行に励ませてい
ただきますね。
コメントありがとうございました。
●みみずくさま
確かに、自分自身の認識の問題なので、これほど身近
なものもないのですが・・・。なにぶん、まだまだ修行
途中の身ゆえ、この程度の説明でお許し下さい。。。
コメントありがとうございました。
●エカさん
欲望は叶わない・・・ではなくって、ですね。
欲望が全て叶うことになると、叶えたいという欲望自
体が消えちゃうっていうことなんです。。
欲望が消えると、叶わなかった苦しみや叶った時の楽
しみも消えちゃう。そうすると、(欲望の)対象はどう
でも良くなってしまう。そういうことなんですけど。。
分かりにくくて申し訳ないです。。
コメントありがとうございました。
●梵天さま
そうですね ^^ 子供の頃に大切に思ってたもので
今はどうでも良いもの、あるでしょ?
そんな風に、期待する対象がどうでも良くなる様に
心を成長させよう、というのが仏教の修行なんです。
どうも分かりにくいですよね。修行が足りんですみま
せん。。
コメントありがとうございました。
●saloさま
はいその通り ^^ 流石ですね。
これからもよろしくです。
コメントありがとうございました。
●ばなきち様
おお、この駄文を理解頂き、感謝です ^^
これからもよろしくお願い致しますです。。
コメントありがとうございました。
白黒ガチャが出た時にこれを知っていたら、
あんなに金を注ぎ込まなかったかもですw
だから期待しないようにしてる
でも 奥底では期待してたり
そんな 自分がイヤだったり
難しい言葉だったり教えだったりしても
けっきょくは身の回りの日常のことなんですものねぇ。
でも分かったような分からないような、、
「この世は苦である」は、分かる気はします^^;
コメントありがとございまぁーすっ♪
はい♪
あ、でも自分は本名ですねぇ・・・。