Nicotto Town


彩の松ちゃん


沖縄本土復帰記念日の記念するとは

記念するとは、思い出と言う意味があるが、ここでは過去を思い起こし、心を新たにすると言う意味だろう。
そして記念日は、記念すべき出来事のあった日と説明があるが、何が何だか分からない。

 

例えば結婚記念日は、一般的にはめでたい日と理解して喜び祝うであろうが、沖縄本土復帰記念日はめでたい日とは理解できない。


そもそも本土復帰とは何か分かっている人が国民の何パーセントいるのか聞いてみたいところであるが、戦争で日本軍がアメリカ軍に負けてしまったため沖縄を占領されてしまっていたことなど、沖縄県民の当事者でないかぎり知らないのが現実のような気がする。


戦争さえなければ、この記念日は作られなかったはずであるが、さすがに沖縄戦の激戦の記憶は残さなければ戦没者の魂も浮かばれないだろう。

 

ただ最近の記念日は、記念式典のことが中心で沖縄戦のことなど一言もないところに、今の世代が過去を思い起こすことなど皆無であると思えてならないのである。


まして沖縄県民以外の人は、沖縄戦の現状など知ることも無いから、沖縄県民が訴える米軍基地の縮小や移設の切なる願いの認識にズレが生ずるのだろう。


だから本土復帰から50年経とうが、当事者と当事者以外の人々の認識は、縮まっているのだろうか、縮まっていくのだろうか、考えてしまう毎年の5月15日なのである。


特に今年は、ウクライナの激戦と沖縄戦のイメージを勝手に合わせてしまうところだが、どちらも当事者でないかぎり真実を知ることが出来ないので勘弁を願う。

 

 

 

最近は、沖縄へ行く習慣がないが、40年前に行ったときに感じたのは、ここはアメリカだと思ったのが実感であった。

今の町並みは、だいぶ変わったのだろうけど、基地は今もそのままあると言うのも現実なのである。

 

 

ところで思い出したが、米軍基地を県外に移設すると言った首相がいたが、何年経とうがその思いは沖縄県民の心に深く刻まれているはずだ。

 





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