Nicotto Town


モリバランノスケ


古道の画家

今朝は、雨は降っていないが、曇り空である。
私は、我が家族と共に、楽しんだBreakfastの後、
ログハウスを出て、習慣の早朝散歩に出る。
行動を共にするのは、ウサコ。ベランダに出て直ぐに、見渡せる樹木達に(おはよう)と挨拶を。

今日の行き先も、ここの所、気に入っている、
古道楠木兄弟の下、そこから登りになる階段が始まろうとする、平地の日溜まりだ。そこに、持参したロッキングチェアーを拡げる。徐ろにユッタリと腰を下ろした。ここまで歩いて来た古道を見つめる。そこに在るのは、トンネルの様な緑の樹間。左は鬱蒼とした杉林。右は桜、椿、山茶花、青木、タランボ等の明るい堤。

私は、辺りに充満している新鮮な空気を、体の隅々にまで行き渡るように、深呼吸する。そして、目を閉じる。そこに在るのは静寂の世界。
何時しか、微睡み始めた様だ。それから、古道楠木兄弟から聴いた、古の物語へと没我する。

○それは、今から約100程前の、昭和の初め、
後に、日本のゴッホ、と言われるようになる
青年YMが、房総半島を放浪中、この裏道を使い
、ここ古道楠木兄弟の下で休憩した事がある。
彼は、湧き出る清水で美味しそうに喉を潤す。

古道楠木兄弟は、彼の醸し出す雰囲気に、思わず、吸い込まれる。そこに、社会の常識には捕らわれずに、本質を見抜く才能を見たからだ。
彼は、この世の尺度から言うならば、劣等者である。この世で価値がある、知恵(学力、学歴)は持ち合わせていない。只、真実(真の価値)を見抜く能力に、長けていたのだ。

彼の唯一つの欲望(心からの望む事)は、見る物、聴く事に、美(価値)を見出す事。生まれながらにして、その能力を身につけていた。しかし、俗世間からは、(バカ)と嘲笑されていた。彼の能力を見出したのは、養護学校の学長で学者。

彼は、画材の道具、絵筆や紙を一切持たない。
見聞きする対象に感ずる、美(価値)を心の奥にしまい込むのである。

そして、帰ってから、忠実に、その美(価値)を、絵画と言う方法で取り出し再現した。そこには、俗に言う、世に認められたいと言う、世間的欲望は一切無かった。唯、そこに在ったのは、表現する歓びのみ・・・・・・・○

私は、この話を、古道楠木兄弟から聞きながら
、放浪画家YMの描いた切り絵の様な繊細な描線を思い浮かべている。    




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