Nicotto Town


モリバランノスケ


古道の哲人

私は、今朝も、我がFamilyの皆と、Breakfastを楽しみ、今終えたところだ。習慣にしている早朝散歩は、お供無しで、一人で行う。何故ならば、常連であるチャムとウサコは、何かやる事があるらしい。仕方がない。私は一人で家を出る。

私の今朝の目的地は、このところ気に入っている、古道の日溜まりである。そこは、古道楠木兄弟が、空に向かって、大きく枝を伸ばした、深い空間を感じる、気持ちのとても落ち着く場所である。ある意味で、霊感に満ち溢れた神聖な場所だ。私は、いつもの様に、持参したロッキングチェアーを拡げて、静かにゆったりと腰を沈めた。

先ずは、古道楠木兄弟に、挨拶をする。
私 (おはよう御座います)
兄 (おはよう) 弟 (オハヨウ)

辺りは、静けさに包まれている。歩いて来た、後方を眺める。左側の、鬱蒼とした杉林。右側の、明るい、山桜、椿、山茶花、タランボ、青木、等などの堤。その中に息づく古道の息吹。
私は、目を閉じる。瞑想の扉を開く。そして
、微睡み始め、彼等から聴いた話を思い返す。

○時は、今から百年程前の、昭和のはじめ。
一人の青年が、この古道の通って来て、古道楠木兄弟の樹影の下で、小休止している。岩から湧き出る清水を、両手で掬い、さも美味しそうに喉を潤す。横浜税関に勤める、FMである。

房総半島のさる駅まで、国鉄を使い、そこで降りてここまで古道を歩いて来た。彼は、(生きるとは)と言う、根本問題を真正面から自らに問いかける、悩み多き青年だった。ある夜、山下公園を見下ろす丘の上で、夜を明かす。朝ぼらけの中で、彼は気付かされる。<この世は無>。翌朝、出勤して同僚に話すと、(お前、頭がおかしくなったんではないか?。旅にでも出て、頭を冷やしてこい)と言われ、ここ迄やって来た。

それから、彼は、それ迄、著名な文人、歌人、俳人などが、滞在して、言葉を編み出した地、鵜原理想郷(海岸)に滞在した。・・・・○

私は、古道楠木兄弟と彼が、いったいどの様な会話を交わしたのかが気になり聞いてみた。

⚪彼と我々は、本当に色々な事に付いて、話し合った。が、彼の発言で、忘れられない言葉が在る。それは、<我々が眼にしてある世界とは別に、異なる世界がある。それは意味の世界。
だが、その世界は、何処か遠い所に在る訳ではない。何時も、我々のそばにある。我々は、それを、心と呼んでいる。我々は普段、自分の中に心があると思っているが、それは違う。心の中に、我々は在るのだ。⚪

私は、古道楠木兄弟から、それを聞き、(なるほどね。そういう逆転した発想も、時には試みる価値がある)、と考えていた。




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