Nicotto Town


モリバランノスケ


古道の僧侶

房総の野山、遠望されるその景色にも、初夏の色が濃くなってきた。私達Familyは、私共夫婦、チャム、ウサコ、クモ吉、マミラリヤ、揃ってのBreakfastを、楽しんでいる。みんな元気で、何よりである。気持と体が、一致している証拠。

(さて)と、私は声を上げる。そして、(今日はどうしますか?)と、チャムとウサコに話し掛ける。
それは、早朝散歩同行の確認である。珍しく、二人とも、行動を共にするという。私は、(それでは、出掛けようか!)と、二人を促し、玄関のドアを開け、ログハウスの外に出る。先ずは、ベランダから見下ろせる、草木樹木達に挨拶。

今朝の行先、それは、このところお気に入りの場所、古道楠木兄弟の所である。私は、そこで
古来から、この道を行き交った様々な人達の話を、彼等から聞き、想い返しては、人達の心(魂)に触れるのか好きなのだ。今日は誰の話を!。

○ 時は、平安時代の末期。諸国巡礼の僧侶が、この道を通り、古道楠木兄弟の下で、小休止した事がある。岩(古い地層の火山岩塊)から滲み出している清水を、両手で掬い、さも美味しそうに喉を潤して、疲れを癒やしていた。

彼は身分は僧侶だが、歌詠み(歌人)でもあった。

しかし、それはのちの話。彼の和歌、それは、全国を歩き回り、圧倒的な豊かな自然に直に触れた時の、魂の叫び。だから、その頃、類型化して新鮮味を失っていた和歌とは、少し異質の世界であった。

行き着く先々で、和歌と言う形態で感動を文字に表現しながら、旅を重ねた。

旅の途中で、諸国に残された、魂の叫びとも言える和歌。素直に自然と向き合う価値が現れて、歌集として纏められた。(山歌集)である。

私は、古道楠木兄弟から、その話を聴きながら彼らの間に、どの様な会話が交わされたのか、大変に気になり、聞いたのである。

⚪ 彼の言っていた事で、一番心に残っているのは、この言葉である。

<和歌は、それを言葉(文字)に出さざるを得ない魂の奥から、込み上げてくる叫び声だ・・>⚪

私は、古道楠木兄弟の話を聞きながら、それは今の私の想いに、著しく近い、と考えている。




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