自己紹介
- カテゴリ:日記
- 2025/08/11 18:01:01
私の名前は、宇宙と言います。宇宙と書いて、ソラと読みます。年齢は15歳。性別は女性。私には、時間という概念が有りません。何時も、今なのです。又、空間という概念も有りません。何処にでも、居ることが出来ます。言い換えると、今と言う瞬間のみが在るのです。
私の生まれ故郷は、宇宙の果ての果てです。皆様の地球が在る、太陽系の外には、同じ様な成り立ちを経て、何十億と言う、惑星群が存在しています。私は、その中のひとつから参りました。私の姿は、皆様の肉眼で、見ることは出来ません。しかし、心眼では見ることが出来ます。但し、今と言うこの瞬間を見据えた、心眼でなければなりません。
私の好きな事、趣味は、旅をする事です。生き方がステキだな、と思われる、命の心から心へ、渡り歩き寄り添う旅なのです。対象は、人間に限りません。他の生命、例えば、植物、動物、その他の生命体でも良いのです。様々な生き方が分かります。とても、変わっているでしょう。楽しいですよ。でも、私には死ということが在りません。常に、生き続けているって、疲れますけれど。
なんですか?。私にひとつ、質問がある。さて、どんな事でしょうか?。
(貴女は、先程、生き方がステキだな、と思われる、命の心から心へ、と言われました。生き方がステキとは
、具体的にどの様な生き方なのでしょうか?)
そうですね。生き方がステキ、と言う意味ですけれど
、その置かれた環境で、精一杯生きると言う事です。
どのような境遇に在ろうとも、今と言うこの瞬間を、真摯に生きている姿です。この世は、常識と言う尺度ゆえ、理不尽な差別、敗者と勝者が生じます、しかし、それは相対的な事として、前向きに考える生き方が、ステキと言う意味です。例えば、不幸や貧困に遭遇した人、ガザやウクライナの人達、絶滅危惧種の生物、等など。
話が、小難しくなってきました。私は、こういう事を、言葉で説明するのが、とても苦手です。
ようするに、どんな不幸のどん底に落ちても、泰然として、笑みを絶やさず、ニコッと出来る生き方の事です。
話は変わります。NHKの(チコちゃんにしかられる)と言う番組があります。見たことは、有りますよね。実は、彼女は、私と同じ惑星からやって来た妹なんです。育ての親に、身体を、賜りました。(私は、永遠の5歳です)とか、(ボ―と生きてんじゃないよ)とか、軽口を叩いているけれど、心の深い所では、葛藤を抱えている様子。
私は、時々訪ねて、彼女の心に寄り添っております。
なんですか?。もうひとつ、質問がある。さて、どんな事でしょうか?。
(今迄、何百、何千と言う、熱き心との出会いが在った事と思います。ここ最近で、印象に残ったHotな出会いに付いて、聞かせて頂けますか?)
そうですね。やっぱり、大相撲の安青錦かな!。彼は
、ウクライナ出身の21歳。名古屋場所は、とても残念でした。前頭東筆頭で、横綱豊昇竜を始めとする上位陣を撃破。残念ながら、優勝は逃しました。ロシア侵攻激しさを増すウクライナにいた頃から、彼には私を見る心眼が有り、私も彼の心に寄り添い続けてきました。彼は
、見も知らぬ日本に来れたのは、色々な方の御縁に導かれたからと述べています。
初心を忘れなければ、年内か来年の早い時期に、大関に
昇進、来年名古屋場所を、横綱として迎える事が出来るのではないか。無論努力の賜、が、私の力も大(笑い)。
私は、今、東京西部多摩地域にある、KさんNさんのS家宅にお邪魔しております。先にも申しましたが、私には、時間と空間が有りません。それは、何処にでも、居ると言うこと。但し、この瞬間を生きる、心眼がなければ見えません。お二人には、その素養が、ある様です。
この御夫婦、健康の為に、毎日ウオ―キングを楽しんでいます。その途中で、路傍の花達を、スマホで写真に撮るのも副次的な楽しみの様です。
今日も、これから、ウオ―キングに出かける所です。
勿論、私も、同行します。家は、戦国時代に、秀吉によって、落城した城址跡に連なる、分譲地にあります。
先ず、丘陵地を下り、古道を通り、多摩川の孫支流(何故か一級河川)の堤を、時間を掛けて歩きます。このところの様に、気温が異常上昇した時は、途中で図書館や公民館により、涼を取ることが、在りますけれど。
途中、シャッターチャンスは、幾度も訪れます。お二人とも、とても楽しそう。堤を歩いて、少し長い高架下のトンネルを抜けると、駅前商店街。ここで、二人は別れます。奥様は、買い物。ご主人は、不動尊の境内へ。別れる時の、お二人の仕草が、とても面白い。私は、何時も、笑ってしまいます。〜〜なんですか?。私は、どちらについて行くのかって?。勿論、両方にです。私には、時空が有りませんから、可能ですよ。
お二人は、南房総に山荘を所有しています。約築25年
.、幸福度NOワン国、フィンランドの杉材が使われたログハウスです。今年の5月連休、ご夫妻の元に、Familyの幾人かが、集いました。娘さんの子供(ご夫妻の孫)の
、T君、G君、二男のKさん、奥さんのYさん。勿論、私も同行しました。とてもとても、楽しかったです。
皆さん夫々、非日常の森生活、心から楽しんでました。
私も同様です。二日目の朝、ブラリと辺りを散策しました。先ず、露天風呂の脇を通り、僅かな坂道を上がり、孟宗竹達が元気良く繁茂する、丘の頂上に出ます。東の空に目を向けると、丁度、太陽が、僅かに顔を覗かせた所です。オレンジ色の朝日が、神々しく望めました。
この森には、シンボルツリーの様に、十数本のクスノキが、仲良く、生育しております。その中でも、王者の様に、君臨しているのが、樹齢4百年、になろうと思われる枯木がいらっしゃいます。私は、ここに来ると、皆から、(老クスノキ)と呼ばれている彼との会話を、楽しみにしています。
私は、丘を下りて、老クスノキさんの下に進み、朝露でキラキラと光るゴツゴツした樹肌に触り、思わず頬ずりしてしまいました。そして、会話を始めます。
私 (老クスノキさん。おはようございます)
老 (おお、これは、めずらしい。ソラではないか。
おはよう。今朝は、どうしてここに?)
私 (昨日、ログハウスの主、ご夫妻に、連れられて、
参りました。所で、アサギマダラのお蝶は、元気な
のでしょうか?)
老 (彼女は、亡くなった。そこに、石を置いた、祠が
在るだろう。そこに、眠っている。代わって、彼女
の子供、小蝶が旅を続けている。多分今は、東北の
盛岡八幡平辺りを、楽しんでいるだろう)
私は、祠に向かって、お蝶を思い、哀悼を表し、祈りました。いつの間にか、私の周りに、ウサコ、ピョン太を始めとする、森の仲間達が、集まって来ました。
それからは、お蝶の祠を中心にして、私と森の仲間達との、談笑の輪が、深く大きくさざ波のように拡がりました。正に、綺麗な花が、一面に咲いたようです。
その時、私は、確りと見たのです。
お蝶の祠が、パッと光を放ち輝くのを。
仲間達の心が、輝くのを!。
それは、燃え盛る、生命の輝きです。
それは、まさしく、私が、宇宙の果ての果てから、
この地球にやって来た理由なのです。