Nicotto Town


モリバランノスケ


沖縄のソラ

こんにちは。ソラです!。今、私は、沖縄におります。
マングローブ林の木陰で、海を眺めています。聞こえてくるのは、寄せては返す、波の音のみ。青い海原が、何処までも続き、太陽の光を反射した波頭が、キラキラと輝きながら、岸辺に近づいて来ます。静かですね。

今から80年前のあの日、米軍が、サイパン、フィリピンの日本軍基地を陥落させた後、この海岸から上陸。そして、ここ沖縄を、惨禍の渦に。島民は、洞穴の中に隠れ、徹底抗戦へ。成年男子は徴集、残されたのは、老人婦女子。米軍は、火炎放射器で、洞穴を攻め立る。この穏やかな砂浜の下に、上陸して来た戦車の轍、兵士の足跡、そして、人々の悲惨な叫びが、刻み込まれている。

そんな壮絶で悲惨な光景が、どこか遠い出来事の様に、打ち寄せる波が、静かにリズムを、刻んでいます。今、この雰囲気に浸りながら、楽しんでいるFamilyがいる。ご夫婦と、三人の子供達だ。笑顔を交えながら、互いに、語り合っている。微笑ましい、心温まる光景だ。

なんですか?。私(ソラ)に、聞きたい事が在る?。

(何故、貴女は、ここ沖縄に、来ているのですが?)。

オット、この美しい、渚の風景に、我を忘れて、ここに来た目的を置いてきぼりにする所でした。それは、今、白砂の浜で、静寂との触れ合いを楽しんでいる、FamilyのMさんとの再会です。彼女は、仏人のご主人との間に、4才2才0才の三人のお子様達に、恵まれた母です。

でも、最近、どうやら、幸せと言えども、生きる事に疲れを感じているみたい。そこで、彼女の心に寄り添い、疲れを少しでも、癒やしてあげたい、と思ったのです、

Mさんとの、親交は長い。心友ですから。北海道出身、道産子です。北国の、豊かな自然、の中で育ちました。庭の草花達、森の樹木達、蝶やトンボ、それに、狐や熊等の動物達。彼等と、言葉を交わす事が、出来ました。その様な少女時代から、彼女には心眼が在ったのです。だから、私ソラとも、深い所で言葉を交わせたのです。

あれは、彼女が、小学5年生頃だったでしょう。広い庭の真ん中に、樹齢五百年、と思われる、蝦夷松の枯木、が鎮座しておりました。広い庭と思われたのは、牧場だったでしょうか。Mさんは、時間が許される限り、何時も、枯木蝦夷松さんの下に赴き、彼と会話をするのが好きでした。時には、筆記用具を持ってきて、詩や文章を書きました。又、心象風景を、スケッチしたのです。

私に、更に何か聞きたい事が、在るみたいですね。

成る程、(私と、Mさん、枯木蝦夷松さんは、どんな話をしたのとか)、と言う、質問ですね。

そうですね。Mさんは、心眼が有りました。小学校五年としては、驚かされる、哲学的質問が多かったでしょうか。常識に囚われない、純粋な心を、持っていたから、とも、言えるでしょう。話のデ―マは、生きるとは、死とは、自分とは、存在とは、等など多岐に渡りました。

どうやら、母親のMさん、私が来ているのに、気付いたたようですね、話しかけて来ました。

M  (こんにちは、ソラさん!。来ていたんですね。)
ソ (こんにちは。貴女が、家事と子育ての忙しさに、
  少し疲れていると感じたので、来たのです。)

私は、北海道の大草原、に鎮座する、枯木蝦夷松、にも話すように促します。

松 (私も、貴女が、少し疲れているな、と感じて、
  心配いておりました)
M (まあ、なんていう、幸運でしょう。
  枯木蝦夷松にも、お会い出来るなんて)

Mさんの表情に、笑顔が戻った。三人の幼児、ご主人の表情にも、笑顔が戻った。白砂の浜で、寛いでいる、Familyのいる場所が、サンサンと注ぐ、太陽の光を受けて、輝いている。それは、Mさんが、わたしソラ、枯木蝦夷松と、言葉を交わす事で、回復した兆しであろう。

私(ソラ)は、問わず語りに、静かに、Mさんに、語りかけていた。

貴方は、北海道の大草原で、枯木蝦夷松さんの訓育うけて、多感な少女時代を過ごし、成長した。そのあとは、東京で大学時代を過ごす。台湾の企業に就職。台湾で働き始める。そこで、海洋学者のフランス人に出会った。
目出度く、二人は結婚。が、ご主人の病が発覚、帰仏。

それからは、フランスの、田舎暮らし。病身の夫を抱え、貴女は市場などで、必死に働いた。そんな中で、二人の愛の結晶、三人の子供達に、恵まれたのだ。病状が回復し始めたご主人は、本意ではない、高校の教師をして、家族を支える。そんな中で、Mさんは、日本のニュースから、沖縄で、海洋生物分野の人材を、求めている事を知る。ご主人も、興味を示し、コンタクトを取り職を得、現在こうして、一家は沖縄で生活しているのだ。

これまで、何事も前向きに捉えて、道を切り開いてきた、貴女の生き方は、本当に素晴らしい。

Mさんは、おんぶ紐で、赤子を抱き、あやしながら、私に言葉を返す。

M (そんなに褒めて、いただくなんて、恐縮します。
  でも、とても嬉しいです。これは、貴方様が、何時
  も、私に寄り添い、励ましてくださったからです。
  本当に、有難うございます。)

私は、彼女に、言葉を返した。

貴女には、幼い頃から現在まで、努力して身に付けてきた心眼がある。その為、深い所で、私と話す事が出来たのです。元を辿れば、その能力を身につけた、少女の頃にお世話になった、大草原の枯木蝦夷松さんに、感謝する事ですね。そうですよね。枯木蝦夷松さん。

松 (ご主人、三人のお子、に恵まれて、しあわせで、    
  元気な様子。最近、少し、元気がない、と聞いて
  いたが、その声を聴いて安心した、嬉しい限り)
M (ソラさんから、今、お蝶の子供、小蝶が、北へ
  向かって旅をしていると、聞きました。そちらへは
  、寄りました?)
枯 (そうですよ。昨日、私の所にやって来て、夜は
  私の葉陰で、羽を休めました。今、Breakfastの為
  、牧場の花から花へ、飛翔を楽しんでいる所だ)

又、私(ソラ)は、問わず語りに、話したい衝動に、駆られ始める。

神は、天地を創造された。最初に、造られたのは、思いである。だから、始原の世は、思いで出来上がり、思いに、満ち満ちていた。神は、その思いを、言葉にされた。言葉から、この宇宙、様々な生命、様々な現象、が生み出された。だから、言葉が、先ず最初なのである。

現代は、様々な難問を抱える、生きづらい時代である。

原因は、言葉真意味の、忘却置き去りに在る。

蜘蛛の糸のように、入り組んだ迷路から、道を見つけ出し、解決する糸口は、言葉の復権。

言葉は、様々な現象に付いた名前、それは錯誤である。
言葉は、そもそもの諸元である源、それを覚醒しよう。

私(ソラ)は、神の似姿なのです。そして、私を、心眼で把握出来る、Mさん、枯木蝦夷松、老クスノキ、お蝶、小蝶も、神の似姿なのです。

そして、私の話に聴き入り、感じ入っておられる、皆様方も、神の似姿なのです。

 これを
 どうやったら感じ取れるかって?
 君のhereとnowのなかで
 君全体をオ―プンにすることさ
 それしか手はないんじゃないかな

これは、2500年前の、老子の言葉(加島祥造訳)。

#日記広場:日記




Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.