生きるとは
- カテゴリ:日記
- 2026/09/26 14:32:41
第三章 相模
第一節 芦名郷
時は、文明二年「1470年」元旦である。
常和は、今、浜辺の磯に立たづむ。そして、眼の前に広がる大海原を、少し目を細めて見渡している。無風の中、空には雲一つなく、どこまでま晴れ渡り、渾然一体となったような空気が、穏やかさを演出している。
静かだ。寄せては返す波の音だけが、一定の間隔をおいて、そこにある。
三浦半島の山並みから、顔をのぞかせた太陽が少しづつ上昇してゆき、海原をキラキラと照らしている。早朝の新鮮な空気を全身で味わいながら、上空を旋回している海鳥が、一瞬目がくらんだように急降下しては、また、上空へと昇ってゆく。多分、海中では、小魚の群れが、相模湾の中を回遊しているのだろう。
西の方角には、真っ白に雪を頂いた富士山がそびえる。まるで、大海原を従えるような、悠然たる姿だ。清々しく凛とした、存在感である。山の頂上付近は、強風にさらされているのかもしれない。右側斜面が、霞んで見える。
波頭が太陽の光を反射し、金波銀波ごとく輝いている。その中に平たく岩で作られた島が浮び上がる。気がつくと、10数羽の鳶が、常和の頭上を旋回している。彼が、腰に下げた笛を入れた袋を、獲物と勘違いしているのかもしれない。
常和は、十数歩足を動かし、磯にある岩の上に腰を下ろした。そして、あらためて、朝日が降り注ぐ、岸辺の風景を眺めている。それから、おもむろに、腰に下げた袋から笛を取り出し吹き始める。その音色は、静かに少しづつ周りの空気に溶け込み始め、次第に、あたりの風景と調和して、鳴り響き渡る。輝く光、波、砂、そして、上空を群れ飛ぶ鳥たちも、その音色に合わせ踊っているようだ。
常和の身と心は、穏やかな空気に溶け込んでゆく。なんとも言えぬ幸福感が、心の深いところから、満ちてくるのがわかる。さして、彼は、自然と一体になれるこの時間を、とても大切にしている。それは、現実逃避ではなく、世の中を直視する力になると考えているからだ。
常和は、大きく一つ深呼吸した。人心ともに乱れ、統制のきかない世の中に、思いを巡らし始める。
京都の足利幕府、ここ関東の古河公房、管領、そして、古河公房の力を抑えるために将軍足利政が送り込んできた堀越公方が、互いに対立している。そして、この地域に根を張る小中勢力は、そのいずれかに加わったり、また、離れたりの離合集散を繰り返している。更に、事態を深刻かつ複雑にしているのは、ここの勢力内で権力者同士が対立し、いずれかに加わることで、勢力を伸ばそうと企てていることである。
約15年前、父常縁が将軍からご教書を頂き房総に進駐したのは、千葉家内の争いを幕府側の立場に立って纏めるためであった。言い換えると、京都の足利幕府の方針を房総に拡めることであった。常縁は、足利幕府の奉行衆である。そして、常和は、堀越公方の奉行衆である。だから、ここあし名郷は、幕府の備えとしての役目もあり、堀越公方に敵対する勢力を抑えるための要所でもある。
父常縁は、美濃へ戻った。堀越公方の奉行衆として関東に残る常和に、次のように言い残した。
「物事を大きく捉えることだ。堀越公方に反抗する勢力と、いかにしたら穏やかで平和的な関係を築けるか苦心することだ」
常和は、その命題を前に、できうる限りの努力をするつもりでいる。
まず、今の世の中の現状を、しっかりと見据えねばならない。相手側が何を欲しているのかのかを理解すること、言い換えると、相手側が満足する解決策の糸口を探らなければならない。そして、いかなる方法であっても、相手を納得し説得させるためには、自分の人間性を磨かねばならない。
今、民衆の暮らしはどうだろう。止むことなく続く戦乱の被害をひうむるのは、農民である。今までの騎馬武者による戦いは、槍を持った何十人もの足軽たちを前に出しての形態に変わった。農村から集められた民は、あるものはそこで命を失い、また、負け戦の場合は、帰るべき土地を失ってしまう。彼らは、都市部へ流れていかざるを得ないのだ。残された老人、女、子供たちは、乗り込んできた勢力に、商品のように扱われる。実際、若い娘たちは、コメ四俵の値段で、売り飛ばされるという噂がある。
これからの戦いは、農産の民を足軽として加えた総合力が問われるとするなら、彼らの士気ををいかに高めるかが、鍵となるであろう。そのためには、平時における農民の生活の向上と安定のために務めなければならない。また、街に流入する人たちが商工業者としての成長できるよう制度を整える必要があるだろう。今の混迷を極める世の中を統一する人物は、これらの点で比類なき才覚と統率力を兼ね備えることが条件となる。
常和が、あれこれ思いを巡らしていると、背後から声が聞こえた。
「何やら考えているようだな」。
振り向くと、叔父の常次郎が、微笑を浮かべながら近づいてくる。
「磯の陽気に誘われ、笛を吹いていました。その後は、世の中のあり様について考えていたのです」と、常和は返事をする。
常次郎は、「真に、難しい世の中になっちきたものだ」と、天空の一点を見つめ呟く。さして、次のように続けた。
「時には、大局に立って考えることは重要だ。しかし、それに偏りすぎると、ともすれば机上の空論に陥りがちだ。おぬの場合なら、芦名郷の運営と堀越公方の奉行衆としての務めに邁進することだ。その場こそ、大切な紛れもない、現実なのだから。
そなたを見ていると、女気のないのが、少し気になる。ここは、嫁をもらい、所帯を持つたらどうだ。顔の広い私だ。相応しい女を見つけてきてやるよ」と、豪快、に笑った。
その時、空がかき曇り、霧雨が降り始める。先程まで見えていた富士山にも、雲がかかり始めた。二人は、近くに生息する、樹齢五百年にはなるであろう楠木の下に移動して、そこにある石の上に、腰を下ろした。通り雨のようだ。あたりの空気は、水を得た魚のように、キラキラと輝いている。常次郎が、珍しく目を閉じ瞑想している。そんな彼に、常和が、声を掛けた。「今日は是非、貴方が、東南アジアと中国大陸を巡歴されたときの経験を話してください」。その声で我に返った常次郎は、天空の一点を見つめ、話し始めた。
「私が、中国大陸の元に向かって船出したのは、22才の時である。その頃、周囲の人達からは、誰とでも親しく付き合える、明るい性格の何事にも前向きで積極的な人物と思われていたかもしれない。
しかし、心のなかで感ずる自分は、深い悩みを抱える若者だった。複数の人達との集団生活だけでなく、対個人との人間関係でさえ馴染めず、自分の住むところには生きている意味を見出すことのできないまま、人々の和に加われないという苦しみに苛まれていた。一時的に隣り合わせた人と楽しく語り合ったとしても、表面的で長続きせず、そこから逃げ出したいという自分の気持ちに正直になれないという自分を、逆に嫌いになり追い詰めていった。まあ、一言で言ってしまうと、生きることが苦しかったのである。極端なことを言えば、呼吸をすることすら苦しかった。
自分とは一体、何者なのだろう。どこからやってきて、なんのために生き、何処へ行こうとしているのだろうか。そのような根源的な疑問が、私の背中を押したのだ。だが、これは、その時の行動を弁護する言い訳かもしれない。実際は、くるしくて大陸に逃げ出したというのが、本音だったと思う。
しかし、その航海の途中で、自分の生きている理由を、明確にハッキリと知る出来事に遭遇することになる。

























