三十路男の失敗談
- カテゴリ:人生
- 2010/07/04 08:16:37
1:1972年
大阪・河内長野で生まれる。
実は皆、女の子が生まれる事を想像してて、
両親始め、誰も男の名前を考えてなかったのです(本当)。
結局、祖母が命名。
(この頃の記憶は当然ないんですが、祖母曰く「とてもお前を可愛がってた」そうで。
…信じられないことだけど)
2:’77年~88年(幼稚園~中学)
父の都合で埼玉・川口市に引っ越す。
…思い出すのも忌まわしいのでここでは書きません。
中3(88年)の秋に、家庭の都合で再度、大阪(今度は大阪市)へ引越し。
3:88(秋)~93年
紆余曲折を経て、地元の公立高へ。
まさに“極楽トンボ”な高校生活を謳歌(我ながら「よく卒業できた」と思うくらい)。
高卒後、コンピュータの専門学校へ入学。
しかし、授業の中身についていけずドロップアウト。
93年4月以降は、半年ほど働いた後、色々ゴタゴタが起こり退社。
そして、物書き目指して上京を決意し、新聞奨学生となる。
4:94年~95年3月
上記の通り、新聞奨学生として東京へ上京し、某専門学校へ入学。
…したものの、自分の書いた小説を晒し物にされ「ありがち」と一刀両断されてからは、
学校に行かなくなり、新聞配達専門に。
…末期はその新聞配達さえ苦痛でした。(阪神大震災&地下鉄サリン事件)
5:95年4月~’03年
元々は、アルバイトで始めた(物流系の)仕事でしたが、翌年に運良く正社員に昇格。
その後、2000年に(またも)家庭の事情で祖父母の家へ引越し。
会社の方は’03年に仕事先を移転してからは状況が悪化。
ちょうどその時、カイロプラクティックの施術を受け(腰痛もちなので)、
その影響で、周りの反対を押し切って会社を辞め、その専門学校へ通うことを決意。
(これが今の迷走の元凶となるとは知る由もなかった…)
6:’04年4月~’07年10月
昼はカイロの学校へ通い、夜は医療関係のアルバイト…という、
ある意味理想的な生活を過ごすも、
やはり「二束の草鞋」生活は大変なだけと実感。
二年生になると、テストで落ちることが当たり前になり、焦りだしてたところで、
唯一の親友が自殺というショッキングな出来事に遭遇。
一年休学した(その間、バイト先をフルタイムにして働いていた)後復学するも、
一年のブランクで、カイロドクターの実力のなさを痛感。
学校もバイト先の会社も辞め、職を点々とするハメに。
7:’07年12月~’08年8月
派遣会社に振り回された。以上!
(個人的には2と同じくらいのレベル)
8:’08年8月~’09年3月
チラシで見つけた会社になんとか入社(契約社員)。
仕事もそれほど大変じゃなく、職場の雰囲気も良かったが、
’09年になってからは勤務時間短縮。
更に追い討ちをかけるかのように「仕事ないから」と3月にクビ。
9:’09年6月
梅田早期就職支援センター経由で、ある会社に入社(契約社員)。
が、求人票には『試用期間3ヶ月』とあったのに、
「君は真面目だけどプラスアルファが足りない」という理不尽な言いがかりを付けられクビ。
(ちなみにこの年の8月に、障害者手帳を交付される)
10:それ以降
職探しをするもすべて不採用。
やっと採用された会社も、フルタイムではない上に、
やはり「仕事ないから」と半年でクビ。
現在は、職業訓練を受けるための下準備中。
(『職業訓練を受けるとカネがもらえる』制度があるため)
…なんかもう泣けてきました。
生まれてきてごめんなさい;;。
大丈夫?
気になる・・・もうそんな寂しい事言わないでよ・・・ね?
焦らないで・・・大丈夫だからね。
すんごくショックを受けたことがあるんです
サーティーンさんは、大切な友達なので
生まれてきておめでとうですよッ!
最後の言葉は・・・ダメです!!!!!
生まれていけない命はないですよ!
私は看護師です・・・日々人の生死に関わっています。
この場で恥ずかしいですが、サーティーンさんの為に言います。
精子と卵子が出逢い育ち・・・生まれてくる事さえ奇跡なんだから。
人生は山あり谷あり・・・神様は平等に幸と不幸を与えて下さってると言いますが、違うと思う。
頑張れる人には・・・その価値がある人にはより多くの試練を与えていらっしゃると思います!
私もそう・・・看護師の仕事には恵まれましたが、日常ではここでは言えない辛い事が沢山ありましたし、今も進行形です。
一緒に頑張ろうよ・・・いつでも聞くから、お願い!!
最後の言葉は取り消して下さい!
泣いていいから・・・一人ぼっちじゃないんだから!!
自殺した友達の為に、もう少し・・・
お願いだよ!!!
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