夏休みの宿題(苦い思い出)
- カテゴリ:学校
- 2012/08/24 15:46:18
俺の親父は手先が非常に器用な人間だ。
親父が小さい時は今のようにおもちゃが大量にある時代ではなく、何をするにも自分で作るのが当たり前であった。
凧や飛行機(竹ひごで枠を作り、和紙を張って羽根とします。プロペラは自分で削って作成して強いゴムを動力に飛ばします)などを作っていたそうである。
大学では電気工学を専攻し、ジャズ音楽にはまり自分でステレオセットを『自作』したと言っていた。
今でこそ、体力がなくなり、耳もわるくなってきたので作っていないが、ちょと前まではスピーカーボックスを自作してたものだ。
しかも、木製である。
木の板を買ったり、拾ったり(?)して色々設計図を引いて試行錯誤をしては、スピーカーボックスを作っていた。
叔父(親父の弟)が
『アニキはサラリーマンじゃなくて家具職人になれば良かったんだ』
なんて、半分冗談だが半分は本気で言っていたものである。
とにかく、金をかけずに、そこらへんにあるものを使って色々作るのが得意なのだ。
だから、孫たち(長女のひろむす、次女のちびむす)にもおもちゃを『買ってあたえた』事は一度もない。
そこらへんにあるものでちょっとギミックするものを作ってくれる。
それはもう大変にありがたいし、娘たちも大層喜んでいる。
この夏、ひろむすに自由工作という夏休みの宿題が出た。
何をするのかと思ったら、親父と一緒に作るという。
ちょっと大きめの箱に、木の枝を入れて、そこにセミの標本を付けるようだ。
ただ付けるのではなく、ジオラマっぽくするために奥には青い空をイメージした色紙をはりつけ、セミ標本を2体と抜け殻を1つ用意する。
羽を閉じた状態と広げた状態の標本をつくり、枝に止まっているセミと飛んでいるセミを表す。
『どうだ?ひろむす。いいだろ~』
と嬉しそうに話す親父。
『大パパ(親父の事ね)の方が楽しそうねぇ』とお袋が微笑んでいた。
兎に角、親父はこういう事が大好きなのだ。
ディティールにもこだわりを持ち、妥協を嫌う。まさに職人肌だ。
しかし、俺はお袋のように心からは微笑むことは出来ない。
俺が小学四年生の時。
夏休みの工作で動物を作って来なさいという宿題がでた。
あまり気のりしてなかった俺は、適当に丸太に足を四本つけて『犬』なんて誤魔化そうとしていた。
親父と違って手先が器用というわけでもないし。
そんなことを親父に進言したら
『そんなのはダメだ』
と言い出した。そして、色々がさごそと木の破片やら切れ端を出してきて物色をしている。
しばらくすると
『オイ、いいのがあった。コレを顔にしよう。なんとなくキツネに見えないか?』
と俺にみせるではないか。
確かに、形状がキツネの顔のようにすこし尖っていた。
わー。そうだね。キツネっぽいね。と俺は無邪気に笑ったのであろう。
そこからは親父の独壇場だった。
親父は木の板をもってきて、コレをこういう風に切れとか言い出す。
『そんな切り方じゃダメだ!へたくそめ。何をやってるんだ』
何をやってるもなにも、何がどうなるのかサッパリわからない。
お袋ときたら、ちゃんという事聞くのよ、みたいな事を言っている。
親父の作ろうとしているものは職人気質である親父の頭の中にしか無いのだから何がどうなってるのか子供の俺がわかるわけがない。
そして、手際が悪い俺をみて業を煮やしたのか、ついには親父が作り始める始末だ。
そんな親父を見て、情けないやら申し訳ないやら、何をしていいのか解らず親父が作っている隣で萎縮していたのを思い出す。
良く見ると、キツネの足なんかも爪があるような細かい所まで作っている。
そんなの俺が作れるわけがない、手伝ってもらったのがバレバレになってしまう。
しかし、今さらやめてくれとも言えず、完成した立派なキツネを持って学校へ行った。
当然、出来栄えは他の友達の作品とは雲泥の差だ。
友達からは『なんだよ、手伝ってもらったのかよ』なんて言われるし、先生からも『作り直してきなさい』と注意された。
素直に手伝てもらったと言えずに、男だからと変に去勢を張った俺は針のムシロといった具合である。
作り直せと言われて、何をしようと思っていたら、また親父が小さな切り株のようなものを持ってきた。
『これでダチョウを作るぞ』
俺としては、もうやめてくれと思ったのだが、親父の気が晴れなかったのであろう。
もしくは自分の息子が下手くそな作品を作るのがガマンならなかったのかもしれない。
とにかく、一から十まで親父が作った作品~ダチョウを提出した。
『うん。これなら手伝った風には”まだ”みえないわね』
といった先生の言葉は今でも覚えている。
それ以来、親父に夏休みの宿題を手伝ってもらったことはない。
今だからこそ解るが、親父は『他人にわかりやすく説明をする』というのが出来ないタイプの人間なのだ。
よくよく見たら、親父自身が『教わる』事を嫌う。なまじ他人より何でも先に出来てしまうのだ。
いうなれば器用貧乏である。
説明されなくても出来る人間が他人に説明できるわけがない。なぜ解らないのかが理解できないからだ。
そんな訳で、夏休みはまだ終わっていないが、ひろむすの宿題は全部親父が作るのだろうなと思っている。
小学生のときのような俺とは違い、ある意味素直なひろむすである。
『うん、大パパに手伝てもらったよー♪』と明るく友達に言うのかもしれない。
それなら、楽しい夏休みの思い出にもなるだろう。
俺の小学生四年生の夏休みの宿題は、未だにヘドロのような記憶の壺に仕舞い込んだままである。
ひろむすが、その様にならない事を望んでいる。
自分でやるの楽しいよねww
PCを自分で組み立てたりするって言ってなかったっけ?
十分遺伝子感じるけどなー
作るものこそ違えど、こだわってるのは同じじゃないの?(笑)
夏休みの宿題か~
ワタシは親に手伝ってもらったことないので
全部自分でやったなあ~
すごい自由研究をしてきた友だちとかいて
その才能がうらやましかったのを覚えてる…
2周年おめでと~
今日の日付で書きたかったので、まず先に書いておくね~
あれ?
なのに、インなし?
あらまー
最近、インしてないみたいだね~
そのうち遊んでくれるのかしら?
しゅーひさんの話のように 父ががんばりだして・・・
結局私も、父が描いた水彩画を 学校に持っていったのを思い出しましたヾ(〃థ ౪ థ)ノ
うちの親父も、似たような感じがする
匕首で、器用になんでも作ってたな、、電化製品もよくハンダ付けとかして治してた。。
なので、私も、結構そういうの好きです〜〜ヽ(^。^)ノ
扇風機とか、、昔のターンテーブルとか、、分解して治したりしたよ、、
宿題も手伝ってくれたかな?あんまり覚えてないけど、、多分、、そこまで徹底して無かったと思うわ。。
ていうか、、口も達者だったんで、いろいろ言われて私が、、やる、、みたいな、、
でも、、なかなか、言うとおりにはできなくて、、悔し泣きしたのは覚えてるな。。
孫にも、、ミニチュアの家具とか、、いろいろ作ってくれたり、、今は、、しまい込んであるけどね。。
素敵な思い出になるといいね〜〜ヽ(^。^)ノ
で、自分が親になったら、赤い羽根のポスターとか、ほとんど手伝っちゃって。。。
市の佳作に入っちゃってあわてたこともあったなあ。。
ソレからは、なるべく手を出さないようにしたけど、
手伝っちゃったおかげで、「作ることを楽しむ心」とか、
ちゃんと育ててあげることが出来なかったかなあ・・・って今は反省しているw
にいちゃんなんか、読書感想文もほとんど手伝ってたからねえw
今の先生は、親が手伝うこともしっかり見抜いているから、
(秋の作品展行くと、素晴らしいほどに親の力が発揮した作品が並んでます)
あまり、うるさくも言わないと思うヨw
だって図工の時間の作品を見れば、その子の実力がわかるんだからさw
孫と息子はまたスタンスも違うので、心配ないサーw
だってさ、私には鬼軍曹の如きであった父も、こさえらには甘い、甘い・・・w
というか、『父親』という立場の時より『祖父』という立場の時の方が余裕あるんだろうなぁ~
私に教える時には出来なかった『見守りながら待つ』という事を
可愛い孫娘のこさえらサンには、しっかり出来てるもんねぇ
そういえば、忘れもしない。あれは、小学1年生の夏休み
母方の祖父母の家へ遊びに行った時、祖父は私に漢字をた~っくさん教えてくれたんだよね
しかも、薔薇だの蒟蒻だの海豹だの・・・それ、絶対に小学校で習わないよっていうのばっかりw
得意分野だったからなのか、やけに楽しそうだった祖父の顔は今でも憶えています
『おじいちゃんは漢字博士だね~』と言ったら、恥ずかしそうに笑って、でも嬉しそうだった事も・・・
ひろむすちゃんにとっても、大パパさんにとっても、夏の工作が
『おじいちゃんと孫娘の楽しかった夏休みの思い出』の一つになると良いね!
お父様がきっとしゅーひさんにとって良かれと思ってやったことが苦い思い出になるというのは、ちょっと切ないですね。
娘さんがそうならないように、もしそういう風に感じてしまうようなことがあったなら、しゅーひさんがフォローしてあげてくださいね?
娘さんにとってお父様とステキな夏の思い出が出来ますように^^
私は学校の先生に絵を修正されて
完成した時には先生の絵になってた事があるなぁw
俺は「これぐらいのこと出来るでしょう」と叱咤されて育ったのが、少々苦い思い出です^^;
デキると思われるのも、良いようで悪いというか。
何でも程々ってのが一番かも知れないなと思いますね。
ひろむす嬢が、楽しい夏休みの思い出と昇華させてくれると良いですね。