Nicotto Town


「さくら亭」日報


沢村凛『黄金の王 白銀の王』感想


うかつにも沢村凛という作家をこれまで知らなかったのだが、
ふと覗いた本屋で「これは好みに違いない」という直感のもとに購入したのが
『黄金の王 白銀の王』(角川文庫)。
表紙イラストは古代日本風な感じで、ファンタジーらしい。
あんまり古代っぽいと好みからはずれることもあるので難しいけど、
作品の最初に舞台となる土地の地図があったから、「これは行ける!」と確信した。
架空の国の地図というのは架空の年表・家系図と並んで私のツボである。

余談ではあるが、中学2年の時、トールキンの『指輪物語』を読んで衝撃を受けたが、
あの作品で一番気に入ってしまったのが巻末の年表と家系図と補遺。
勢いのまま地図と家系図を作ってしまった(もちろん架空の)という短絡行動。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ(『ハウルの動く城』の作者。英国FT作家)の作品に
『九年目の魔法』(創元推理文庫)というのがあるのだが、
ヒロインがやはり『指輪物語』に興奮して
同じようなファンタジーを書いて責められたシーンは胸に痛かった。
ええやん、人類は模倣して発展してきたんやし(←なぜ関西弁?)

話を『黄金の王 白銀の王』に戻すと。
正直、かなり地味な話である。
というより、とことん地味な話である。
おそらく若年層にはうけないんじゃないかなあ。
歴史好きなら受け入れられるかもしれないけど、
派手な展開を求める向きにはどうだろう?
美形もロマンスもないわけじゃないけど薄いし、
戦闘もあるにはあるけれどカタルシスを生むようなものではない。

長らく何世代も何百年も「翠の国」の覇権を争ってきた二つの血族。
互いに憎みあい殺し合い、覇権を奪い合ってきた。
翠を現在統治しているのはその片方、鳳穐(ほうしゅう)。
鳳穐(ほうしゅう)の若き王、穭(ひづち)はこの憎しみの連鎖を断ち切り、
翠の国を平和に発展させるべく、
敵対する旺廈(おうか)の正統な血筋である少年、薫衣(くのえ)に共存の道を提示する。
代々憎しみあってきた二家にとってはありえないこと。
しかしそうせねばならないと他の臣下や国民は思いつきもしない。理解もされない。
だがその道を進み、いつか真に統一される未来をつかむため、
二人の王は歩き始める――。

翠の国は島国で、海を隔てた大陸の大国からの攻撃も予想されていたというのも大きい。
共通の敵に立ち向かうべく手を取る必要があるし、争っている場合ではない。
丁度、蒙古襲来に似ている。
『インデペンス・デイ』的とも言えるかもだけどw
ただ旺廈(おうか)はもっと立場的に弱いので本当に理解されないんだけどね。

この地には宗教はないのだけれど迪学(じゃくがく)という倫理学的なものがある。
どう生きるか、どう行動するかを自らに問いかけるようなものだが
これが作品内で大きな意味を持つ。
特に統治する者に対しての実際的な思想なんだが、
王となれば誰に教えを請うこともできず、自分で導き出せねばならない。
二人の王はそれができたからこそ、この物語があるのだけれど。

決して短いスパンの物語ではない。
作中では生まれた子が成人するまで語られるからだ。
穭(ひづち)は実務に優れた理性的な王で、
薫衣(くのえ)はカリスマを秘めた直最適な王だ。
このあたりの対比も面白い。

もっとも、欠点がないわけではない。
それというのも読者は両家の憎しみを実感する場がないから。
例えば薫衣(くのえ)は幼い頃に家族を殺されているのだけれど、
その描写もあっさりとしていて、
神視点の読者は理性的な判断を良しとするから、葛藤に共感できないのだ。
また穭(ひづち)の側の人間的な描写が少ないのも問題だろう。
統治者として実に有能なんだけれど魅力という点があまり感じられない。
これは迪学(じゃくがく)の教えに「私利を退ける」という考えがあることで
作品内の空気が理性的であろうとしていることもあるだろう。
怠けること、怠ることが悪だと思われるこの国、私には生き辛そうでもあるw

と、色々書いてきたけれど、
数時間、翠の国の歴史を追う(それも重大な節目の)ことができたことには
十分満足していると〆ようではないか。
この作者のほかの作品にも興味がわいたしね?




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