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日本百名山 ~ BSプレミアム ~ ④


こんばんは!5日(金)は、北日本から東日本の日本海側で雲が多く、

東北日本海側から東日本の日本海側では午前中を中心に所々で雨が降るでしょう。
南西諸島も雲が多く所により雨の所もありますが、
その他の地域は概ね晴れる見込みです。

日本有数の
  花の宝庫
日本アルプス
 屈指の難ルート

            ❝不帰ノ嶮❞を越えて
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               白馬岳

〇登山ガイド 佐藤玲奈さん

佐藤さんは東京出身ですが、幼い頃からスキーをする為に長野に来ていました。
30代の時長野へ移住を決意。
今ではガイドとして険しい岩場も案内する程。

*撮影:8月中旬

前回は白馬山荘に到着をしたところまでの紹介でした。
今回は白馬山荘についての紹介から始めます。

<山旅スケッチ>
 大衆登山の幕開け

〇明治39年 開業当時の白馬山荘

白馬山荘の創業は明治39年。
日本で最初の営業用の山小屋といわれています。

〇松沢貞逸(まつざわていいつ)(1889-1926)

創業者は若干17歳の松沢貞逸。
測量用の石室を譲り受け、山小屋に改築しました。

〇石室→山小屋

白馬岳を訪れる植物学者たちとの交流がきっかけだったといいます。

〇白馬山荘 伊崎香生(いざきよしお)さん
  支配人

「高山植物の豊富さはやっぱ日本一ですので、
 貞逸さんは学者の方が発見とかするのを間近で見てますんでね。
 小屋を建てるきっかけになったのかもしれませんね~」

貞逸の孫、松沢貞一(まつざわていいち)さんです。

〇白馬館 代表
  松沢貞一さん

「進取の気性といいますかですね~、
 あの~、新しいものに挑戦していたというなことで、
 当時ですね~、山に入ると天気が荒れるとか、
 やめさせたいような感じがあったんですけども、
 そういう事を貞逸が払い除けていったと思うんですけどね」

〇明治43年 白馬岳の登山案内

貞逸は一般の人達にも白馬岳をアピールしていきます。

〇山頂への経路・距離が書かれている

まずは登山案内を作り、旅館の泊まり客に配りました。

「登山の最初のパンフレットっていえるかもしれません。
 案内書っていえるかもしれません」

〇大正11年 乗合自動車 開始(信濃大町~白馬)

大正11年には当時まだ珍しかった自動車を購入。
近くの駅まで送り迎えすることで、東京から客を呼び寄せようとしました。

「当時車なんかありませんので、農耕の馬とか牛がびっくりして暴れるとかね、
 で、そのお詫びだといって、あの~、サーカスを連れて来て見せたとかね」

〇昭和初期 白馬大雪渓の登山者

こうした取り組みによって、登山客は徐々に増えていきます。

〇昭和31年 日本隊 マナスル初登頂

そして昭和31年、日本隊のマナスル初登頂により、
空前絶後の登山ブームが起きると。

〇昭和31年
  登山客でにぎわう信濃四ツ谷駅前(現 白馬駅)

白馬岳にも、もの凄い数の登山客が。

100年以上前、一人の若者が始めた山荘。
多くの人々が登山を楽しむ礎となったのです。

今回は大衆登山の幕開けの説明までと致します。
次回は四日目、いよいよ白馬岳山頂を目指します。

アバター
2021/11/05 23:11
こんばんは!金曜日の夜をお疲れ様です。
そうですね、ご立派ですよね。
あはは、そうですね、4日は大変ですね。
アバター
2021/11/05 22:46
代々山小屋を守ってきてあるんですねw
頂上まで4日もかかるってビックリですw




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