納めの不動
- カテゴリ:占い
- 2021/12/28 15:43:27
ニコットおみくじ(2021-12-28の運勢)
こんにちは!冬型の気圧配置が緩み、日本海側に降っていた雪は、
午後にやむところが多くなる。太平洋側は概ね晴れる。
【納めの不動】 おさめのふどう
☆毎月28日はお不動さまの縁日です。
<概要>
石川県津幡町の倶利迦羅不動寺では、1年雄締めくくる納め不動がありました。
津幡町の倶利迦羅不動では、お不動さまの縁日とされます毎月28日のうち、
1年の締めくくりとなります12月28日を「納め不動」と呼んでいます。
〇感謝
この1年に参拝客が納めました古いお札や御守りが火にくべられまして、
集まりました参拝客は1年の家内安全に感謝をしまして、
手を合わせていました。
〇分散参拝
こちらのお寺では、2021年も新型コロナウイルスの感染拡大防止の為に・・・
1月10日まで準初詣機関として分散参拝を呼び掛けています。
〇不動尊
不動明王を御本尊とします成田不動尊や目黒不動尊では、
護摩供養の日に合わせまして毎月28日に縁日が開かれます。
〇護摩祈祷
これまで受けられた護摩札や御守りをお不動さまの炎の中にお返しします。
*野外で行います護摩祈祷です。
お不動さまに対しまして1年の御加護に感謝する行事です。
〇成田不動尊
@正式名
成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)
@歴史
平安時代に関東で平将門(たいらのまさかど)の乱が起こりました。
弘法大師こと空海様が乱を鎮めようと、
関東を守るために成田山に不動明王像を安置致します。
★神様のお告げ
乱が見事治まりまして、空海様が京に帰ろうとしますと、
像が動かなくなりまして、それを神のお告げとしまして
この地に新勝寺を建立されたとされています。
@名乗り
江戸時代の歌舞伎役者であります市川園十郎(いちかわえんじゅうろう)さん。
市川園十郎さんが屋号に成田屋を名乗り、
不動明王が登場をする芝居をしたことから、
民衆からの絶大な信仰を集めるようになりました。
@公共交通機関
JR成田線成田駅、京成電鉄成田駅から徒歩15分です。
☆納めの不動の日
野外での護摩供養が行われます。
山伏姿の僧たちが御礼や御守り等をお炊き上げしまして、
不動明王様へ1年の御利益を感謝致します。
〇目黒不動尊
@創建
今から約1200年前の平安時代に15歳の慈覚大師こと円仁様が、
故郷の下野国「(しもつけのくに)(現栃木県)」から
比叡山(滋賀県)の伝教(でんきょう)大師こと最澄様の元に向かう途中に、
目黒の地に立ち寄りました折りに、不動明王様の夢告(むこく)を得まして、
自ら不動尊像を彫刻したことに始まります。
*今から約1200年前の平安時代・・・808年
*円仁様・・・後の天台座主第三祖様
@関東最古の不動霊場
・木原不動尊(熊本県)
・成田不動尊(千葉県)
上記に2不動尊と併せまして、日本三大不動に挙げられています。
★御開帳
御本尊様は秘仏としまして・・・
12年に1度、酉年に御開帳されます。
@歴史
江戸時代には徳川三代将軍家光公が帰依(きえ)なされまして、
庶民に「目黒のお不動さま」といわれ親しまれました。
「五眼不動」の一つとしまして名所になりました。
毎月28日に行われます大縁日に当時の面影を偲ぶことが出来ます。
十二支によります生まれ年ごとの守り本尊、縁結びの
愛染明王(あいぜんみょうおう)、山手七福神巡り初めの恵比寿神、
蘭学者・文化人でサツマイモを広められました甘藷(かんしょ)先生こと、
青木昆陽(あおきこんよう)さんのお墓等見どころが多いです。
山手七福神の恵比寿様を祀りましております為に、
初詣の際には新年初護摩祈願が行われます。
山手七福神巡りの達磨(だるま)をお求めになられます人々で賑わいます。
〇目黒不動尊 龍泉寺
@住所
東京都目黒区下目黒3-20-26
@御本尊
不動明王様
@御利益
福寿開運 諸願成就 厄除開運 国家安寧 縁結び
@例年のお正月参拝者数
約12万人
@アクセス
JR目黒駅から徒歩約20分です。
東急東横線「不動前」より徒歩約12分です。
☆バス
JR五反田駅(西口)より東急バス渋谷行き(渋72系統)
「目黒不動尊境内」下車
〇年末年始の予定
1月1日 0:00~ 初護摩
元旦~1月8日まで 新年初護摩祈願
1月3日 元三慈恵大師忌 角大師(降魔図)元三大師御影御開帳
@料金
拝観無料
問題 甘藷先生こと青木昆陽さん。
青木昆陽さんは、どなた様に取り入られまして
サツマイモの試作を始められましたでしょうか?
1、林土佐守忠和(はやしとさのかみただかず)さん
2、大岡忠相(おおおかただすけ)さん
3、遠山景元(とおやまかげもと)さん
★遠山景元さん・・・テレビドラマ(遠山の金さん)のモデルです。
〇青木昆陽さん
@生誕
江戸日本橋の魚屋の子として産まれました。
@幼少期
学問を志、京都の伊藤東涯(いとうとうがい)さんから儒学を学びます。
@27歳
江戸で塾を開き、やがて町奉行(正解の人物)に認められました。
@当時
・大商人による米相場の操作
・飢饉・蝗害
☆蝗害・・・バッタ類が大量に発生し、作物を食べ尽くしてしまうこと。
・民衆による米問屋襲撃
・農民一揆
@目的
青木昆陽さんは、この世の中の窮状(きゅうじょう)を少しでも変えようと、
「蕃薯(ばんしょ)考」を書いて将軍に飢饉対策用に甘藷の栽培を
進言致しました。
そしてサツマイモ栽培を成功をさせ、
その功を認められまして将軍から直接のご褒美を受け賜わりました。
サツマイモ栽培に取り組みましてから・・・
約4年後のことです。
@甘藷先生
サツマイモはその後全国に広まりまして、
飢饉に苦しむ農民たちを救っていきます。
その功績から「甘藷(かんしょ)先生】と呼ばれるようになりました。
〇正解の人物
江戸時代中期の幕臣・大名です。
父は美濃守・OOO高さんです。
母は北条氏重さんの娘です。
正解の人物の子孫は、代々西大平藩を継ぎまして、明治自ぢを迎えました。
@主になさりましたこと
・享保(享保)の改革を町奉行として支えました。
*無駄遣いについてです。
・江戸の市中行政に携わりました。
・評定所一座に加わりまして、
関東地方御用掛(かんとうじかたごようがかり)や
寺社奉行を務めました。
・町代の廃止
・町火消(まちびけし)の整備
・小石川養生所(現文京区)の整備等に次々と取り組む。
お分かりの方は数字もしくは青木昆陽さんがどの人物に仕えましたかを
よろしくお願いします。
こちらにお返事も大変ですよね、いつもありがとうございます。
はい、正解です。
そうですか、お寺に行かれたことがありませんか。
かなり独特な雰囲気で私は好きですよ。
そうですか、道中3方向ぐらいから鐘の音が聞こえますよ。
歩いていると身が引き締まります。
仏教じゃないので大みそかから新年はお寺に行ったことはないですw
でも除夜の鐘には憧れました(*^^*)