大化の改新
- カテゴリ:占い
- 2022/06/12 16:39:26
ニコットおみくじ(2022-06-12の運勢)
こんにちは!九州から東海まで広く晴れる。
関東と東北南部は昼過ぎまで雨。
東北北部と北海道は天気が変わりやすく、急な雨や雷も。
沖縄は雨。
【大化の改新】 たいかのかいしん
☆大化2年(646年)春正月甲子朔、新政権の方針を示す
改新の詔(みことのり)が発布されました。
<概要>
○大化の改新、乙巳の変の違い
@乙巳の変
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が中心となりまして、
政権の実験を握っていました豪族の曽我氏を滅亡させました
クーデターのことをいいます。
*中大兄皇子・・・藤原鎌足(ふじわらのかまたり)
@大化の改新
孝徳天皇によります改新の詔が発布をされました一連の
政治改革のことをいいます。
★乙巳の変 :645年
☆改新の詔 :646年
○乙巳の変とその後
@曽我氏の独裁
622年、朝廷で政治の中心を担っていました聖徳太子が
死去してしまいます。
*聖徳太子・・・厩戸皇子(うまやどのおうじ)
それまでは、聖徳太子と豪族の中で最も力を持っていました
曽我氏が政治を行っておりましたが、聖徳太子が亡くなってしまいますと、
曽我氏へ権力が一気に集中をしまして、
その力は天皇家を上回る程でした。
628年、推古天皇が次の天皇を誰か指名することなく、
崩御をしてしまいます。
★次の天皇
田村皇子と聖徳太子の子であります山背大兄王の名前が上がりました。
しかし・・・
大臣の蘇我蝦夷(そがのえみし)は無理やり田村皇子を
次の天皇にさせました。
*田村皇子・・・舒明(じょめい)天皇
☆独裁体制
曽我氏の力はさらに強まります。
豪族たちは朝廷ではなく、曽我氏の屋敷に働きに行く始末でした。
舒明天皇が崩御しますと、皇極天皇が即位します。
さらに・・・
ますます曽我氏の独裁体制は強まります。
★大臣
蘇我蝦夷が病気を患いました。
643年、朝廷の許可無しで息子の蘇我入鹿に自分の紫冠を授けまして、
大臣にしてしまいます。
☆冠位十二階
推古天皇が治めておりました推古朝の604年に、
12段階の階級にそれぞれ色を付けまして、
朝廷内の序列を決めました階級制度のことです。
★親から子に勝手に授けてはならない
冠位十二階で授けられました冠位は個人に与えられるものでありまして、
親から子に授けて良いものではありません。
@蘇我入鹿の暗殺
朝廷の祭りや儀式を仕切ります神祇官という仕事をしていましたのは
中臣(なかとみの)鎌足は、この曽我氏を良く思っていませんでした。
そして・・・
曽我氏を倒そうというクーデター計画を立て始めます。
クーデターの計画の仲間を探しています時に、
鎌足は中大兄皇子と出会います。
☆儀式の場を選ぶ
鎌足と中大兄皇子は、蘇我入鹿を暗殺する機会に、
三国の調という儀式の場を選びました。
<三国の調>
現在の朝鮮半島にありました3つの国です。
・新羅(しらぎ)
・百済(くだら)
・高句麗(こうくり)
この三カ国の使者が日本にやって来ました時に行われます儀式です。
この時は・・・
蘇我入鹿は必ず出席しますので、この時をチャンスだと思った訳です。
★成功
鎌足と中大兄皇子の部下によりまして蘇我入鹿は切り殺されます。
暗殺は成功しました。
@曽我氏滅亡から新政権へ
☆父親であります蝦夷を討つ
蘇我入鹿の暗殺に成功をしました中大兄皇子は、
すぐにその父親であります蘇我蝦夷を討とうと準備を致します。
しかし・・・
翌日、蘇我蝦夷は自分の屋敷に火を放ちまして自害をします。
こうして長い間強い権力を握っていました曽我氏の宗家は滅亡しました。
★新政権の発足
蘇我蝦夷が自害をしました翌日に、皇極天皇は退位をします。
そして・・・
孝徳天皇へ天皇の位を譲ります。
中大兄皇子は → 皇太子
政治の実権は中大兄皇子にあります。
<中大兄皇子政権>
・左大臣:阿部内麻呂
・右大臣:曽我倉山田石川麻呂
・内臣 :中臣鎌足
・国博士:高向玄理
:旻
*旻(みん)生年不詳ー白雉(653年6月)は飛鳥時代の学僧
こうして新政権が発足をしまして、大化の改新が進められました。
○政治改革
@氏姓制度の廃止
当時の朝廷では・・・
朝廷に仕えます一族に「氏(うじ)」の名前を付けまして、
それぞれの一族の身分の高さに応じました「姓(かばね)」の
名前を与えます「氏姓制度」がありました。
*朝廷に仕えます一族・・・豪族
☆氏姓制度
世襲制で一族(氏)に与えられました姓は、
親から子に引き継がれることになります。
氏姓制度で天皇が指名出来ましたのはあくまで朝廷に仕えます一族です。
そんな人物を朝廷で働かせるのは、その一族のトップが決めていました。
このような状態では、天皇に権力があるようにみえましても、
本当に権力がありますのは、役職等を与えています一族のトップです。
<廃止>
権力が散らばっています状態から、
天皇に権力が集中するようになる為に、氏姓制度を廃止が必要でした。
@律令国家の成立へ
☆律令国家
日本は度々ですが、遣隋使等で得ました隋の制度を参考にしまして、
制度を作っていました。
大化の改新を目指したのも、隋の律令制を参考にしました。
*隋・・・現在の中国
<律>
刑法のことを指します。
<令>
それ以外の・・・
・行政法
・民法
・商法
これらを指します。
簡単にいいますと・・・
法律で統治されました体制のことをいいます。
日本は律令制に基づきまして、天皇に権力が集中をしますやり方の、
中央集権国家を目指しました。
*中央集権国家・・・律令国家
○改新の詔の内容
@改新の詔
曽我氏を滅ぼすことに成功をしました中大兄皇子らは、
即位をしました孝徳天皇を通じまして大きく4つに分けました
「改新の詔」を発布致します。
1、公地公民制
個人的な所有と支配を認めずに、
天皇が統一をしまして土地と人民を支配します体制にすることです。
2、国郡制度
実際には「評」です。
全国を約60以上の国に分けまして、
その国をさらに郡にして分けます。
新たな国等、地方の組織を整理しますことで、
地方を納めます役人を新たに配置することが出来るようになります。
3、班田収授法
人民に朝廷の公地を貸し与えまして、
借りていました民な亡くなりました場合、
その土地は朝廷に変換されます。
4、租庸調の税制
租:収穫された米の3~10%を税として納めること
庸:朝廷のある京都へ労役する代わりに、布や米、塩などを納めること
調:麻や絹などの繊維製品を納めること(地方の特産品でもよい)
問題 日本はその後ある国とある国に大敗をします。
そのある国とある国を教えてください。
1、隋と高句麗
2、唐と新羅
3、隋と新羅
ヒント・・・ ○ある国(618年ー907年)
最盛期の7世紀に・・・
・中央アジア
・東南アジア
・北東アジア諸国
これら地域の国々に、税制や文化の面で影響
お分かりの方は数字もしくはそのある国とある国をよろしくお願いします。
大和さん、お久しぶりです。
お元気ですか?
はい、解説や色々なお気持ちをありがとうございます。
何とか平和で安定した生活が過ごせることを願います。
今週もお天気が不安定な地域がありそうですので、どうぞご体調にお気をつけてお過ごしくださいませ。
どうもこうしてコメントをありがとうございました。
それから1400年間、中臣鎌足の子孫、藤原氏が日本を支配し続け、百人一首や大乗仏教(オカルト宗教)などによって、プロパガンダで国民をコントロール、今では、フジテレビ、日テレ、朝日など、テレビや新聞、学校教育で、国民をマインドコントロール。
太平洋戦争も、藤原四家の近衛文麿によって起こされました。
くだらない→百済ではない人間、日本人は、バカにされ政治に関与できず、中国や朝鮮人、韓流などに踊らされ、やりたい放題。いつまで、日本は、この状態が続くのでしょうね。