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かきくけこのブログ。


ゲシュ崩ログ 261 自転車と女性

時代によって「非常識」が変わっている、と聞いてもあんまりピンとこない。とはいえそこまで変わらないんじゃないのかな。と思うけど、やっぱり確かに変な常識ってあったんだな、と思う。の一つに昔の日本人女性は自転車に乗ってると「非常識な女」と言われていたという事。夫と話してたら、「ひいばあちゃんが乗ったら非常識って言ってた」とリアルな生の肉親の話として言っていた。のを聞いて「…本当だったんだ!?」とビックリした。嘘みたいな本当の話である。でもなんで自転車に乗ったら非常識だったんでしょう?危険だったのかな。昔の自転車?今も安全を考慮して乗らないと危険ですけどね。危険だから、だから自転車ダメだよ!って言ったら、令和時代の女性に「非常識ね!」って言われますね。こんなにも時代によって変わるんですね。非常識であるとかそういうのって理不尽なんだよなとは思いつつも、人間はそんな社会性を持っている生物だから、いきなり自分は生物的に人間の生理がおかしいと気付いたから鳥みたいに生きるっていうのもまたそれは違うのかもしれない。人間だから人間のヘンテコな習性でヘンテコを楽しんで生きるというのが人間なのかもしれない。
 サウジアラビアでは、令和のこの時代でも女性は自転車乗ったら非常識らしい。他国の女性が抑圧されているのを考えると、日本の偉い人が女性の自由をどれだけ頑張って確保してくれたのかがよくわかって凄いな偉い人って、と感謝しかないですね。車の運転は、免許が必要な事からしても、自転車もある程度視力がいいとか危険性が無いと判断さてない人が乗ると危険という事は、まあ言えると言えばいえるんで、自転車=乗っちゃダメ、というのはごく少数には当てはまるといえば当てはまる話でもあるんですね。だからと言って乗れるだけの能力がある人が乗っちゃダメという風潮に抑圧される事が損失なのであり、また本人のせいではない健康上の理由で乗れない人が乗っている人をひがみ妬むという事もまた、損失である。だからまぁ「あーもー面倒だからもう乗るな」って丸投げざっくり法案になる気持ちもわからないでもないけれど、そういう事を乗り越えて乗り越えて、人間は組織で 歴史を作りながら自由を獲得している生物なんですね。ありがたい話です。ある意味、というか、まるきりすっかりこれは、革命といえる話なのかもしれない。自転車乗るなもう。っていうある意味命を最大限に尊重した結果の法の、その中にかくれた悪法の悪だけを糾弾し、打破した革命成功の話。革命家って政治家攻撃するっていうイメージがあるけれど革命っていうのはこういう話なのかもしれない。
 それにしても、自転車に現代女子供が乗れる事を喜ぶ反面、私は子供が「自転車乗りたい」って言ったら「…だめ~~~っ」というテキトウというか、ダメな常識を作り出したくて仕方ない。自由にさせてあげたいけど、子供はまだ危険だから…。大人になったら乗ってもいいけど…っていう気持ちで。こういう気持ちのある人が、その時代に「自転車女乗るな」っていう常識を作ったんじゃないかな。と、やっぱりあながち自転車乗るなの常識はそこまで変な常識じゃなかったような気もする。そしてそれは、革命されてもいいと常識作った人も思っていたに違いない。むしろ革命は起こって欲しいと思う位でしょう。はねっかえりな人のほうに真実と勝利がある場合も、確かにある。




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