苗字の日
- カテゴリ:勉強
- 2023/09/19 00:41:46
こんばんは!19日(火)は、北日本や北陸では雨の降る所が多く、
雷を伴って激しく降る所もあるでしょう。
東日本の太平洋側から西日本は午前中は晴れる所が多いものの、
午後は所々でにわか雨や雷雨がある見込みです。
南西諸島は概ね晴れますが、所によりにわか雨があるでしょう。
【祖母・祖父との思い出】
A、祖母とは一緒に水戸黄門を視聴したこと,祖父とは山へ登ったこと
【苗字の日】 みょうじのひ
☆9月19日には「苗字の日」です。
1870年(明治3年)9月19日、
太政官が「平民苗字許可令」を布告しました出来事に因みまして、
記念日として制定されました。
[太政官] だじょうかん
令制で国政の最高機関です。
*令制(りょうせい)・・・律令制の略
八省以下の百官んを総括しまして、国家の大政を総理します。
*八省・・・令制で太政官に属します8つの中央行政漢官司です。
・中務省 ・式部省
・治部省 ・民部省
・兵部省 ・刑部省
・大蔵省 ・宮内省
長官は太政大臣、左右大臣で、後にこの下に内大臣がおかれました。
*左右大臣(三公と称します)
次官は大納言で大臣を補佐します。
慶雲2年(705年)大納言の員数を減じまして中納言をおきました。
又、大臣、納言以外に国政に参加します参議もありまして、
天平3年(731年)正式の職名となりました。
以上を総称しまして公卿(くぎょう)といいます。
又、太政官内にはそれぞれ少納言、左右大弁があります。
おおいまつりごとのつかさといいます。
太政官ともいいます。
<概要>
〇名字
現在では「氏」も「姓」も「名字」と名前という意味で用いられていますが、
古代(平安時代以前)では氏姓制度がしかれまして、
「氏(うじ)」と「姓(かばね)」は区別されていました。
@古代の「氏姓」と「名字」は別のもの
★氏
「氏」とは「氏族」と呼ばれます血縁集団を表しまして、
各氏族には王権の中で担当します職務が定められていました。
古代の大王家(天皇家の前身)を中心としましたヤマト王権では、
その氏族を「氏」と呼びまして管理しまして、
氏族もその氏を名乗っていました。
神事、祭祀を担当しました中臣氏(なかとみうじ)、
軍事や刑罰を担当しました物部氏(もののべうじ)等は有名です。
「氏」は天皇から与えることもありました。
☆性
「姓」とは元々は古代の大王家が氏族に与えました「称号」のことをいい、
臣(おみ)、連(むらじ)、伴造(とものみやつこ)、
国造(くにのみやつこ)等があります。
飛鳥時代になりますと、、
天皇を中心とする中央集権制度への改革を目指します大化の改新の中で、
身分制度の整理を目的としまして天皇系から
八色の姓(やくさのかばね)が与えられました。
八色の姓は・・・
・真人(まひと) ・朝臣(あそん)
・宿禰(すくね) ・忌寸(いみき)
・道師(みちのし) ・臣(おみ)
・連(むらじ) ・稲置(いなぎ)
このような文字通り8種類ありました。
さらに・・・
戸籍制度が始まりましたのもその頃で、
管理上の必要から庶民にも庶民用の氏姓が与えられました。
つまり姓は天皇から授かります呼び名、称号のことです。
〇戸籍の歴史
@古代の戸籍のはじまり:名籍(なのふだ)
最も古い戸籍は日本書紀(日本最古の歴史書)に記録があります。
名籍とも呼ばれます。
6世紀中頃、現代の戸籍のような全ての人を対象したものではなく、
当時は渡来人等の記録をする為の対象としました限定的なものでした。
全ての人民を対象とするような制度ではなかった為、
今の日本の戸籍制度とは相当異なるものでした。
しかし・・・
戸籍にも想像以上に古い歴史がありましたことが分かります。
@庚午年籍(こうごねんじゃく)
奈良時代の645年「大化の改新」で戸籍が制度化されます。
670年「庚午年籍」と呼ばれる制度が作られました。
この庚午年籍が大化の改新以後、
日本で最初に作られました、整った形での全国的な戸籍とされています。
庚午年籍の主な機能は身分、氏姓を確定します台帳のようなもので、
徴兵の為に利用する目的もありました。
当時は当時の戸籍の保存年数が30年だったのに対しまして、
庚午年籍は永久保存とされました。
永久保存とされていましたが、
1300年以上の前の話ですから今では現物は存在しておらず、
当時の古文書から存在が確認出来る程度です。
現存しない為、詳細な記録や情報が無く、
本当に全国的な調査が行われていたのか等は、
歴史学者の間でも議論があります。
@庚寅年籍(こういんねんじゃく)
その後・・・
690年「庚寅年籍」という別の戸籍制度が作られています。
これは6年ごとに作成されました全国的な戸籍制度でした。
当時の人民支配の為に、家族構成や身分を記載していたものです。
上記で紹介しました庚午年籍より進化させました制度です。
この時代は、各地の豪族を中心としました政治から、
天皇中心の律令国家に向けて移り変わっていった時代です。
班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)という法体系のもと、
古代日本で人民、農地の管理と租税、徴兵の目的で戸籍制度が作られました。
つまり・・・
この時代の戸籍制度は人民の支配、管理の為でした。
@古代の戸籍制度の終焉
これまでの古代の歴史は日本史の教科書でいいますと、
ほとんど最初の十数ページに書かれている時代のことです。
この時代に作られました戸籍制度が様々な時代を経て現代まで続たかというと
9世紀初頭か(平安時代)から全国単位の戸籍の作成が行われなくなりました。
平安時代当時の戸籍は租税を課す基準になっておりました為、
税金逃れの為の戸籍の偽装が行われましたり、浮浪人が増えたりする等をして、
制度自体が崩壊し、消滅していきました。
さらに当時、大化の改新を機に続きました天皇を中心とする「律令制」が
大きく後退し、貴族の力を持つ制度に変化していきました。
問題 名字のはじまりについてですが、
平安時代終盤に名字が生まれることになります。
OOと呼ばれる貴族の名字と、武士の名字とでルーツが異なります。
しかし、どちらも当時の時代の必要性から自然発生的に生まれました。
こちらのOO入ります言葉を教えてください。
1、公家
2、武家
3、公卿
ヒント・・・〇区別されるようになり、自らもその呼び名を名乗る
増え過ぎました藤原の氏族は、
自分達の屋敷のあります京都の地名等から家名で
区別されるようになります。
いつからか自らも呼び名を名乗るようになりました。
*家名・・・九条、近衛、鷹司、二条、一条等
貴族であります源氏、平氏、橘氏、にも同様に広がり、
平安時代の終わりには「家名」が定着しました。
お分かりの方は数字もしくはOOに入ります言葉をよろしくお願いします。
ペテンさん、どうもお疲れ様です。
こちらこそ、いつもありがとうございます。
暑いので水分補給をして、体調を崩さないようにお過ごしくださいませ。