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かきくけこのブログ。


ゲシュ崩ログ 348 保育園の環境と留守番虐待

埼玉県で、留守番が虐待になろうとしているらしい。まぁ、その子育てに対して、子供を虐待から守ろうというすべての親の願いを反映した結果だと思えば、あまり怒らないなと思った。そういう風に世界全体で子供の健やかな心、からだ、精神を守ろうとする埼玉県はすごい…と思った。そういう高い意識で子育てを考えている埼玉県は、すごくすばらしい県だと思った。バッシングも覚悟していたと思う。それでも条例を作ろうとしている埼玉県の条例作った人すごいと思う。絶対に虐待を許さないというその心、世界的にも素晴らしいと思う。


 でもさすがにちょっと今、いったいどうしてかな、と思う。というのも、留守番が虐待にあたり、ゴミ出しは虐待にあたらない、という曖昧なそのルールが。家に子供を残して行くのはどちらも同じならば、どっちも虐待になるべき。だが誰のなんの基準なのか、こっちはOKこっちはだめ。ゴミ出しは短時間だから、というならば、ゴミ出し五分以上かかるならば、ゴミ出しとはいえ六分なら虐待、とかそういうことなの?ということになる。十五分ならOK、十六分なら虐待ってこと?みたいなことになる。そういうことじゃないだろうけど、留守番がダメでゴミ出しがOKというのは、もうまんまそれな気がする。四角四面の行政がやることにしては、あまりにも杜撰というか。まだちょっと完成されてなさすぎるというか。


 これは、同じようなことが、保育園の先生方のありかたにもそのまま言及できる事態に発展するので、この埼玉留守番虐待問題は保育に携わる人が一番風を真に受ける変化なのだと思う。

そもそも、現代日本の保育の現状では、先生の数が足りない、不足しているという現場の声がある。まさに埼玉県がいう虐待の構図「先生の目〈子供の数」という図式があるではないか。私は現代保育関係者が虐待の構図の中で仕事しているとはまったく思わないし、プロ現場で毎日嘘偽りようのない仕事をしている先生方の能力や仕事意識はすごいと尊敬する。でも、埼玉県のいうのが虐待なら、保育園はどうなの?と言い出す親はいると思う。私たちは片時も目を離してないですが、先生方はどうなの?とか言い出すモンペがでてくるんじゃないか…と。戦々恐々する保育関係者はいる気がする。



 ほかにも、「子供だけで遊ばせたら虐待」というのがある。それは、保育園の環境の大根幹であり、子供だけで遊ばせたら虐待というならば、子供たちは常に何事も、先生と遊ばないといけないじゃないか。鬼ごっこやかけっこも、先生と一緒にやらないとおかしいという話になる。ひとり遊びの積み木やおもちゃも、ひとりでそれを遊ばせたら虐待ということになる、ということではないか。

 登下校も一人ではさせてはいけないというのもわかるけれども、じゃあ登下校のタクシー代を市が出してくれるのだろうか、というと出さないですよね。集団登下校を引率するのは市のボランティアとかPTAのもちまわりとかになるだろうけれども、そういうかかりの人の負担は、国が援助してくれるのかというとそうでもない。政治家はなにするにしてもタクシー代とかなんでも税金もらってるのに、国家を担う子供のために登下校を引率する係の人にはその仕事分の報酬とかなんもないというのも。そこで新しい仕事を創出していくというならわかるけれども。そういった新しい事業の始まりはまだ見えない。

 今後、虐待を防止するため、という新しいビジネスの芽がたくさん花開くというならば、それが一番素晴らしいことですね。条例により虐待にあたる環境を改善するための、監視カメラ設置などの義務や管理職創出や、保育関係者の人員確保、登下校時のパートタイマーの出現、園や学校以外の第三の児童の保護施設等、虐待という紛れもない犯罪を抑止するという名目で、新しい価値基準がスタートするならば、そこに不必要だったものが、必要となるのは当然ですね。

ということで、そういうスタートアップですから、虐待防止条例を作った埼玉県は、虐待防止に関したビジネスに対して、潤沢に補助や無償化などしてください。そうすれば「社会で虐待をふせぐ国家の裁量のモデル県」として、みんなが住みたくなる県になる。というか、私もそうなったら、そうなったならば、住みたい。親と子供を引き離す県として有名にならないでほしいですよね。どっかのあの県みたいに。




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