年越し
- カテゴリ:占い
- 2023/12/31 16:15:50
ニコットおみくじ(2023-12-31の運勢)
こんにちは!低気圧や前線の影響で九州から東北にかけて広く雨が降る。
北海道は雪で吹雪く所も。
沖縄は晴れ。
最高気温は平年より高い所が多い。
【年越し】 としこし New Year's Eve
ringing old year out
year‐CROSSING
☆新年を迎える夜の行事です。
普通は大晦日の夜でありますが、
立春、七日正月、十五日正月の前夜をいうこともあります。
年神様を迎えます為に物忌(ものいみ)をし、
終夜起きているのが古い形でありました。
「としとり」と称して特定の食事をする例があり、
年越しそばもその一つです。
<概要>
〇大晦日(おおみそか)とは一年の最終日
大晦日とは12月31日のことであり、一年の最終日を指したものです。
〇大晦日の由来
旧暦上、月の最終日(末日)に当たります「晦日」からきています。
@旧暦
月の最終日のほとんどが30日(もしくは29日)です。
晦日は「三十日」と書きまして、30日を意味しています。
そんな晦日の中でも一年を締めくくります12月に大を付けまして、
大晦日と呼ぶようになりました。
@つもごり
新暦に変わりまして・・・
月の最終日に31日が表れましても、
旧暦の名残から12g津31日を含める月の最終日は、
現在でも晦日、大晦日と呼ばれています。
因みに・・・
旧暦の晦日は、月が隠れる日の「月隠り(つきごもり)」とされまして、
それが語源の「つもごり」ともいわれています。
@大晦日の歴史
平安時代の頃から始まったといわれる大晦日の歴史です。
その昔、大晦日は豊作をもたらすといわれている「歳神様」を
元旦に迎え入れる準備の日とされていました。
当時の日本では一日が夕方から始まると考えられていた為、
大晦日の夜は、既に新年の始まりとなります。
このことから・・・
現代でも大晦日になると遅くまで眠ることなく、
歳神様をお迎えするという風習が続いています。
〇大晦日当日や晩のイベントや行事
@除夜の鐘
除夜の鐘は大晦日の夜から元日にかけまして、
「梵鐘(ぼんしょう)」と呼ばれるお寺の鐘をついて鳴らすものです。
大晦日の夜を「除夜」と呼びますことから、
その夜に鳴らす梵鐘の音を除夜の鐘といいます。
★意味や由来
人の心にあります煩悩を祓うといいました意味が込められた除夜の鐘です。
・欲望
・怒り
・執着(しゅうちゃく)
これら等、108あるとされます煩悩の数に合わせまして、
除夜の鐘も108回鳴らします。
昔から厳しい修行を積んでいない人でも、
除夜の鐘をつくことにより心の乱れや穢れを祓う力があると信じられまして、
現代でも大晦日に除夜の鐘を鳴らす儀式として続くようになりました。
因みに除夜の鐘を鳴らす108回の回数には諸説あるとされまして・・・
・煩悩の数以外に持つ月の数(12)
・二十四節気(24)
・七十二候(72)
これらを足した説があります。
・四苦(4×9=36)
・八苦(8×9=72)
これらを足した説等があります。
☆除夜の鐘の作法
お寺によりまして、
お坊さん以外の一般の方でも除夜の鐘をつくことが出来ます。
大晦日の午後11時前から鳴らし始めまして、年内に107回。
そして、1月1日の午前0時を回りました時点で、
最後の1回を鳴らす流れが一般的です。
それぞれのお寺の作法やルールがありますので、
厳守しまして、除夜の鐘をつくようにします。
@年越しそば
大晦日に食すものといいますと、年越しそばです。
別名は・・・
・つもごりそば
・三十日そば
このように呼ばれています。
又、年越しそばは麺の切れやすさから、
「その年の災いを断ち切る」等、縁起を担いだ食べ物として知られています。
★食す理由や由来
年越しそばはその見た目の長さや細さやそば粉が持ちます性質から、
健康や長命、金運や無病息災といいました意味が込められていまして、
年越しの際に食されるようになりました。
・海老天:長寿
・油揚げ:商売繁盛
このように食材にも意味があります。
大晦日に年越しそばを食す風習は、江戸時代から定着したといわれています。
□食す習慣
古くは鎌倉時代より人々に定着したといわれています。
■災厄を断ち切り、細く長く
江戸時代頃までは毎月の末日の晦日にそばを食す習慣がありました。
・そばは切れやすいから:悪縁や災厄を断ち切る
・長く伸びることから :寿命も身体も細く長くあるように
これら等の願いを込めて食されていたようです。
毎月の晦日にそばを食すという習慣自体は、
明治以降徐々に無くなっていきました。
一年の締めくくりであります12月31日の「大晦日」に、
願いを込めて食す年越しそばの習慣として残っていったようです。
□無事息災を祝いまして
室町時代に関東三長者の一人といわれる増渕民部(ますぶちみんぶ)さんの
増渕民部(ますぶちみんぶ)さんのお宅では、
無事息災を祝いまして大晦日にそばがきを食す習慣がありましたようです。
増渕家の繁盛にあやかろうと江戸の商家がこの習慣を取り入れまして、
それが庶民にも広まっていったという説もあります。
☆関東三長者=関東菅領?
関東菅領は、主に支配地域の守護及び地頭(じとう)の管理に
当たっていました。
初期におきましては、
斬波(ざんば)氏や畠山氏が就任していましたが、
次第に上杉氏が独占しまして、最終的に上杉氏が世襲していきました。
又、関東菅領は鎌倉公方を補佐しまして、
管内における政務の統轄を行っていたとされています。
具体的な内容につきましては・・・
鎌倉公方の出します御教書に関する奉書や施行状の発給、、
室町幕府からの命令を、鎌倉府、管内諸国への取次、
鎌倉府に置けます庶務沙汰の受理と奉公人選定等が挙げられています。
問題 年越しそばにつきましてですが、
福岡県博多での呼び方を教えてください。
1、運そば
2、商売そば
3、よかそば
ヒント・・・〇承天寺(じょうてんじ)に人を集め、「そばがき」を振舞う
鎌倉時代の博多貿易商である謝国明(しゃこくめい)さんに
あります。
謝国明さんは博多の町で飢饉と疫病が流行しました年の瀬に、
福岡市博多区にあります臨済宗東福寺派の寺院の
承天寺に人々を集めまして「そばがき」を振舞いました。
「そばがき」で元気を取り戻した人々は、
翌年からも大晦日に「そばがき」を食すようになり、
食すと「正解の呼び名」が開ける「正解の呼び名」そばと
呼ばれるようになったといわれています。
[承天寺]さん
住所 :福岡県福岡市博多区博多駅前1丁目29-9
電話番号:092-431-3570
@開???
自分の努力次第で変えられる部分で、
???気を上げるには時間をかけてじっくり行うことが大切です。
お分かりの方は数字もしくは博多での年越しそばの
「名称」をよろしくお願いします。