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初荷


こんばんは!2日(火)は、北日本では日本海側を中心に雪や雨が降るでしょう。

雷を伴う所もある見込みです。
東日本の太平洋側は雲が広がりやすく、所によりにわか雨がある見込みです。
北陸から西日本や南西諸島は概ね晴れますが、
九州北部では夜には雨の降る所があるでしょう。

【2024年の抱負は?】

A、健康あってこそです。

【初荷】 はつに the first cargo of the New Year

☆初荷とは年が明けて最初に工場や倉庫等、
 物流拠点から販売店へ向けて商品(製品)が出荷されることです。

 元々は初売りと同じく1月2日に行われていましたが、
 今日では官公庁や多くの企業業務が開始される1月4日に、
 新年の初出荷が行われることが多いです。

 その際、以前は・・・

 「初荷」と書かれた旗やのぼりをつけたトラックが走っていましたが、
 高速道路等での安全性の点から、現在ではほとんど無くなっています。

<概要>

〇その年に初めて送る荷物のこと

@初荷の意味

 漢字の通り、初めて送る荷物のことです。
 新年になり、最初の出荷を行う時に使用されます。

 古くは馬の背に旗をつけ、
 車が流通してからはトラックにのぼりや幕を取り付け、
 新年最初の荷物を届けるように知らせていました。

 [馬借(ばしゃく)]

 中世、近世の運送業者です。

 馬の背に荷駄(にだ)を乗せて運送し、駄賃を稼ぎました。

 *荷駄・・・馬で運ぶ荷物のこと

 11世紀半ばに成立をみました。

 *成立・・・新猿楽記(しんさるがくき)

 〔貨幣経済の浸透で勃興(ぼっこう)した馬借〕

  古代日本では、
  律令制の下で人民に租庸調(そようちょう)の税金を課したことは、
  よく知られています。

  時の農民は庸と調で絹や布や糸のような特産品を生産した上に、
  商品を運搬する運脚(うんきゃく)という義務を背負っていました。

  さらに・・・

  輸送に掛かるコストは全て人民が持ちますので、
  非常に重い負担になっていました。
  
  しかし・・・

  平安時代中期になると墾田永年私財法が施行され、
  公地口伝田性(こうちくでんせい)が崩れて、
  各地に荘園が誕生しまして大和朝廷の統治が及ばなくなりまして、
  律令制が形骸化します。
  そして、運脚も消滅していきました。

  ≪墾田永年私財法≫ こんでんえいねんしざいほう

   奈良時代であります743年に聖武天皇によりまして発布されました。
  
   「土地を開墾しました分だけ自分の土地に出来る」

   このような法律です。

   この法律によりまして、公地公民制が崩壊します。
   そして、貴族や豪族達が荘園を作り出して荘園制が誕生しました。

   『荘園制』 しょうえんせい

    古代、中世(8世紀~16世紀)に存在しました、
    権門『(ごんもん)「中央の貴族(公家、武家の棟梁)、
    大きな寺社等)」』が収入を得るために領有支配しました農地と、
    その周辺の山野を含みます土地を指します。

 その後・・・

 鎌倉時代も末になりますと貨幣経済の勃興によりまして、
 近畿圏、若狭、近江、大和、越前のような地域におきまして、
 荘園で生産されました余剰物資を輸送して、
 相互に補完する広域経済が成立するようになります。

 この輸送の急増に応えまして、
 自然発生しましたのが馬の背に物資を乗せて運ぶ馬借や人力、
 又は、牛や馬に荷車を引かせる車借(しゃしゃく)という業者でした。

 *車借・・・牛や馬に車をひかせて荷物を運ぶ

 元々個人事業者でした馬借ですが、
 貨幣経済の発展に伴いまして、規模も次第に大きくなります。

 文永7年(1270年)の勧学講条々によりますと、
 馬13疋(ひき)を1チームとする隊商を組みまして、
 街道を往来するようになりました。
 この頃には馬借も職業組合である座を組みまして、
 自分達の商売が安定するように対応していたことが窺(いか)がえます。

 〔勧学講条々〕 かんがくこうじょうじょう

  中世の日本における物資の集散や運送に関する記録です。

  特に敦賀湊と海津間の運送について詳しく記されています。

  この記録によりますと・・・

  延暦寺の勧学講の料所として、
  吉田郡藤島荘上郷、下郷の大漁の年貢米が充てられまして、
  それらは三国湊から敦賀湊に運送されまして、
  陸揚げされてから近江国海津まで駄送されました。

  「問職事」として記されました部分では、
  米を陸揚げしますのは鋼丁(年貢や公事等の輸送責任者)でありまして、
  海津まで駄送しますのは馬借でありますことが明記されています。

  問は年貢米を請け取りまして、輸送の手続き等をしまして、
  運送米百石につきまして一石の手数料を徴収したとされています。

  この記録は、
  中世の日本における物流や運送業の実態を理解する上で、
  貴重な資料となっています。

  又、勧学は近世末から日本仏教の宗派の中で、
  教学の研鑽を極めた指導的立場の僧侶に与えている称号を指します。

  浄土宗や天台宗等では、
  僧侶に僧階の他に学階を設けまして、
  教学面での階位の最高位に勧学の称号を置いています。

  このように・・・

  「勧学講条々」は、
  物資の流通と仏教教学の両方についての重要な情報を提供しています。

  これらは中世から戦国時代にかけて交通の要点でした。

  馬借や車借は各地の拠点を中継しまして、
  都市への生活必需品を運搬売買しまして、生計を立てていました。

  又、馬借は専業の運搬業者もいましたが、
  周辺農民が農閑期には仮座に入りまして、馬借をすることも多くありました。
  現代風に言いますと兼業農家です。
  この点から馬借と農民の緊密な関係を知ることが出来ます。

 初荷は江戸時代の頃には始まっていた風習です。
 1月2日には商売人の所に最初の荷物が届きまして、 
 初売りが行われていたといわれています。

問題 とある現在もあります大手企業が1931年に初荷を実施しました。

   その大手企業名を教えてください。

1、株式会社東芝 さん

2、株式会社日立製作所 さん

3、松下電器産業株式会社(現:パナソニック株式会社)

〇積極経営で不況を克服

1929年明治以来の最悪の経済恐慌が起こる。

正解の企業も売り上げが半減し、倉庫は在庫であふれる。
OO幸之助社長は「生産は半減する、しかし、従業員は解雇してはならない」

この方針が伝わり、一致団結しました。
およそ2カ月で在庫を一掃し、逆にフル生産。
不況の暗い空気を吹き飛ばそうと1931年「初荷」を実施しました。

ヒント・・・〇日本の大手電機メーカー

      エアコンや洗濯機等、白物家電分野をはじめ、
      照明器具、配線器具、B2B向けの空調事業等の
      分野等に重点を置いています。

      @白物家電(しろものかでん)

       家庭内の家事の労力を減らしたり、
       或いは生活に密着した家電製品の一般名称です。

      @B2B(ビーツービー) Business to Business

       企業が他の企業に対して商品やサービスを提供する
       企業間取引といわれる形態を指す言葉です。

お分かりの方は数字もしくは1931年に初荷を行いました企業名を
よろしくお願いします。

  






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