Nicotto Town


かきくけこのブログ。


多産ママの傾向

現代は子供の平均が1~3人らしい。一世紀といかず、半世紀前くらいまでは5人兄弟も普通だったはずなのに。現代では、4人も生むと「多い」と言われる。戦後百年未満というスパンで推移、変化している。現代では4人以上生んだ女性はどこに行っても「凄いね、偉いね」と褒め称えられる。五人産むのが普通の時代もあったのに、面白い変化である。女性という生き物は、こうもかくも、時代によって評価がさまざまに、大きく変化していくと思う。こういう女性がいい女性だ、という評価は、手のひらを反すかのように時代でコロコロ変わっていく無常さに、女性という生き方に対してしみじみ考えさせられる。


 かくいう私の実家は、多産だった。四人兄弟だったので、母親は「多いね~凄いね~男女がそろっていいわね~」と、すでに褒められる世代だった。私の世代ですらもう、多産は少数派だったのだ。兄弟が多くてうらやましいうらやましいと、子だくさんを褒められていた。そういわれる母親を幼少期に見てきた。けして、「犬ばらみの畜生女」とか、産むだけ産んで教育もしないでとか、そういう文句を言う人は一人もいなかったし、わ~子供作るの好きな女だったんだな~とか嫌味を言う人なんていなかった。子供作るしか能がないとか、そんな事言う人は、一人もいなかった。大学も出てない女だから子供作る仕事しかなかったんだねとか、そういう事も言われてなかった時代だった。よく子供になんの愛情もかけない野生動物がそうであるように、「産みっぱなし」という文句があるけれども、そんな事を面と向かって母親に言ってる人はだれ一人いなかった。やっぱりどこに行っても、母親は「兄弟が多くていいわね~凄いわね~偉いよね~」と褒められていた。女性として一番偉いというか、凄いというか。どこにいっても褒められていた。4人以上生むと、女性はどこに行っても褒められる。それは実際に目で見てきた私には事実だと知っている。この、「凄いと褒められる」という事だけど、これはやっぱり、何を言ってもどれだけきれいごとを言っても、「産む」とう行為が、やっぱり現実の生きてる人間にとって、物凄く面倒臭い事だというこの裏返しなのかなという気もする。だからやっぱり、多く産むと、「偉いね、凄いね」と労われるのかもしれない。

自分が多産系家系だからか、多産の家庭が周囲に多かった気がする。多産家系のママというのは、少数派なのに。類は友を呼ぶという事か。

多産ママの傾向として、「ローカルな正義」をふりかざすという傾向がある気がする。多産ママというのは、よくも悪くも多産ママなのだ。そして出産育児という法律とか常識とか、そういうもろもろの枠組みというものを内側から根本的に押し上げてくるような営みを経ると、「正義」というものがいかに人間を苦しめるものかをよくよくわかっていくのかもしれない。また、正義というものが、どれだけ必要なのかという事も、わかっていくのだろう。基本的に多産ママという人種は、正義を持っている。不思議である。でもまあ人間がよりあつまった一つの社会である家庭という場所に、正義が生まれるのは社会的必然なのだろう。ちょっとした大統領のように、多産ママというのは各国の首脳とわたりあうかのように、様々な存在と、多産ママとして意見主張を、持たないといけない存在となる。結果、四六時中是非を決定している存在で、いつも常に黒か白というものをハッキリさせる判断力を磨いているという気がする。人の上に立つリーダーがすべてそうであるように、あらゆる判断を求められるのが、多産ママなのだ。多産ママが偉そうなのは、偉ぶってるんじゃなくて、多産ママという立場には、多産ママだからこそ言わなくちゃいけない事があり、多産ママだからこそ絶対に拒絶しなければならない事が多いのだ。多くのリーダーがそうであるように、そこには峻厳な現実が多産ママに強いた現実があって、多産ママが悪いわけじゃないのだ。むしろ多産ママというのは、押しに弱くて協調性がある人だと思う。猿山の大将とか偉そうな女とか言う人は、自分も子供を多く持ってから文句を言ってほしいものだと思う。やっぱりどこに行ってもそういわれるように、多産ママといのは「偉いわね、凄いわね」と褒められる事なのだ。現代では。

多産ママは女系
 多産ママは子作りが好きだから男好きなのかと思うかもしれないけれど、なぜか多産ママというのは女系な人が多い。別に子供が多いから、セックスが好きってわけじゃないですよ。私の親もそういうのはとっても潔癖で普通でした。私の親なんかはハッキリと「女のほうが好き」って言ってた。育児という大仕事をしていくうえで、男性がどんだけ非協力的なのかをまざまざと知るからなのか。まぁよく考えなくても、何人も人一倍育児をしていくなかで、女性が一番最高に頼れるから、自然な流れでそうなるのかもしれない。しかし、だからといって「女性のほうがいいわ」って私に言ってきた母に、私は無言だった。何て言えばよかったんだといまだに謎だ。私が必要以上に女性らしい恰好をしないのは、そういう事情もある気がする。

多産ママはなんだかんだ言って偉い
 やっぱり最初は苦労するけれども、多産ママは最後は安泰という気がする。やっぱり、正義というものがいかに人を救うのかという事じゃないかという気がする。別に歴史に名を残さなくても、子供を残せばだれにも褒められるし、多産家系の無教育な子供を必要とする場所というのは、社会の人が思っている以上にけっこう多いという気がする。むしろ学が無い人間だから重宝するという場所があるという事実に、普通の上流階級の人は理解できない気がする。こぞって学歴を持たせたいと願うのが普通なのに。でもそれは事実なのだ。そんな真実だけど人の言の葉にのぼらない社会を裏社会とまでは言わないけれど、人がやりたくない仕事をしている人間がいることは、現実で真実で、むしろ上流階級の人がそんな人間を必要としているのです。だからなんだか変な話ですけど、子供を産むという事は、やっぱりなんだかんだ言って、偉いし凄いし、ありがたい事なんですよ。ありがとうありがとうと、どこにいっても本当に感謝される。社会のためにありがとうって。そういう姿を、私は見てきました。なんの無教育で学もないし地位も名誉もないけど、上流階級の人に感謝される方法として、子供を多く産んで上納するみたいな生き方は、あると思いますよ。それが卑怯とか人道にもとるとか言う人も多いと思いますが、でもそういうやり方でものし上りたいと思う人は多いし、そんな方法でも勝ち組になりたいと思う欲望に忠実な貪欲なハングリー精神あふれる負け組は、私は嫌いになれません。人身御供を捧げるという言い方をする人もいるかもしれないけれど、自分にどんな事が起こってもいい天罰くだってもいい覚悟なら、いいんじゃないかなと、多産系に生まれた私は思いますよ。子供を自分の出世の道具みたいに扱う人というのは、大体が地獄みたいな境遇で育った哀れな人なので、いいじゃないの、ほめときゃ、って思います。ほめときゃいいんですよ。多産系のママは。羅生門の泥棒とか死体食いババァみたいな人にお説教とか馬耳東風ですよ。ほめときゃいいいいですよ。「凄いですね~」って。供養だと思って。




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