Nicotto Town


かきくけこのブログ。


36歳の自分は、彦山房様に叫びたい。

小さい時と今、36歳になってる今で、考えがずいぶん変わったと思う。自分では。まぁ、当たり前といってしまえば当たり前なんだけど。小さい頃、ここまで自分が変わってしまうと思ってなかった。いやまぁ、そりゃ当然なんだけど。


今の自分を作ってる本
 今の自分を作ってる大きな思想の根底に、もしかして親鸞聖人の存在ってあるかもなぁ~とつくづく思う。といういか親鸞聖人というか、五木寛之氏の親鸞という小説が大きいような。ちょうど十年前くらいにそれを読んでから、十年たって。まさかここまで影響を受けるとは思わなかったなぁ。

親鸞聖人のような伝説な聖人をわかるなんてことはきっと無いので不思議な不明点あるんですけども、五木寛之氏の小説の親鸞という小説は、子供にこそできるだけ早い時期に読んで欲しいな~と思います。ま、たぶん読まないだろうけど。大人になっても。でも、子供にこそ読んで欲しいと思います。

平安時代から鎌倉時代の日本
 五木寛之氏の小説親鸞の凄い面白いところは、簡明な文章でまるでタイムスリップして時代をみてきたようにその時代の親鸞聖人によりそい描き、その時代の苦難や人情や世相を人間のなまの感情に理解できるように書いたあの天才としか言えない能筆。十年、時々ちらちらと本を開いて平安時代は大変だよな~と考えてた十年だった。

親鸞聖人は流罪になっていた。
 今私が36歳で、親鸞聖人は同じ年の頃流罪になっていた。法然上人の死を流刑地で聞いたという親鸞聖人の気持ちはどれだけ寂しかったのだろう。と、同じ年になって、親鸞聖人の気持ちを想像するようになった。二十代の頃は「この頃の流罪とか罪ってこういうもんか~」とか、時代の背景や常識や人情が気になっていた。五木氏の本は情報量がハンパ無い。もう凄い。簡単な描写一文一文が大学専攻してたかのような博識さがうかがい知れる。汗牛充棟の書物からなる一冊の小説、というような、贅沢なエスプレッソ感がものすごい知識欲の甘やかしが異次元なのだ。もう、本好きであんなに博学なものみせつけられて、スキにならないわけないのだ。やっぱりああいうのは本当に本が好き…といういうか、ちょっと文才病みたいな文章への病的な脳がオーバーワークしてしまう病気みたいな異常な秀才さみたいなのがあってああいうのできあがるんじゃないかな~という感じの本だと思ってた。

五木寛之氏があの小説を書いたのは、2010年だから14年前。その時点ですでに五木氏は後期高齢者的な人だったはず。

人間、色んな人がいて、シルバーでも壮絶な仕事する人っているんだよな~と、国宝みたいな存在に色々な人間についての考え方を改めさせられる。

褒めポイントが多すぎて一つに絞れないけれど、この本は優れた歴史小説だと思っている私は、この本にでてくる外道院金剛と彦山房玄海である。この二人にやられた。まぁ、BL描写でビビった。そんなB級エンタメみたいなものを日本の文豪がとりあげてることにちょっとびっくりした。でももしかしたら平安時代とかのほうがそういうの普通だったのかもなぁとか二十代の共学育ちの私はビックリしていた。それはさておき、外道院たちの描写がもう凄い。並外れてる。そもそもこの時代の山伏みたいな不思議ファンタジー要素の描写なんだけど、この彦山房さんが、行動する時なんですけど…。増水で増えた川の水害から逃げる時、死体をいれたカンオケを数珠繋ぎにしてそれを浮舟にして水に浮いて水害を乗り切るっていう描写があるんですよね~~~~。もう、こんな文章あと五百年生きても書けんわ。って私思ったんです。か、か…かっっっっっっっtぅこいいい~~~としびれた。なんそれ。って思った。意味わからんけどその発想ができる天才かっこよ~と、二十代の貧困な想像力しかない女の子の私はそう思っていた。彦山房玄海のひかえめさと、やる時はやる行動力と、外道院に対する覚悟とか。もう彦山房と外道院の関係とか色々思っていた。今でも時々ちょっと読み返してドキドキしている。でも、ちょっと待てと。ありがたい仏教の上人様の本を読んでBL描写にドキドキするなんて。なんて私は汚れているのか??????自分の煩悩の深さを思い知るわけですよ。煩悩って、気が付いたらいっぱい垂れ流していたことにある日気が付きました。自分ってなんて恥ずかしいんだと、気づくことができただけ、少しは褒めてもらえたら嬉しいけど、恥ずかしいことはちっともなくならなかったのだった。彦山房様~~~~~と青空に向かって叫びたくなる。




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