Nicotto Town



庚申


こんばんは!25日(火)は、

西日本や北日本では曇りや雨となり、雷を伴った激しい雨の降る所もあるでしょう。
東日本は雲が広がりやすく、所によりにわか雨や雷雨がある見込みです。
沖縄は概ね晴れますが、にわか雨の所もありそうです。

【行ってみたいパリの名所は?】

A、もう一度パリ市内から地下鉄のメトロのオール2階建てに乗車して、
   ディズニーランド・パリで楽しみたいです。

  *オール2階建て・・・Dupurex(デュプレックス)

【庚申】 かのえさる こうきんのさる こうしん

☆庚申は干支の一つです。
 人が眠っている間に体内から出ていくという信仰があります。

<概要>

〇庚申

庚申は「干支」の一つです。
十干は、「十干十二支(じっかんじゅうにし)という場合もあります。

@十干

 ・甲(こう・きのえ)          ・乙(おつ・きのと)

 ・丙(へい・ひのと)          ・丁(てい・ひのと)

 ・戊(ぼ・つちのえ)          ・乙(き・つちのと)

 ・庚(こう・かのえ)          ・辛(しん・かのと)

 ・壬(じん・みずのえ)         ・癸(き・みずのと)

@十二支

 ・子(ね)               ・丑(うし)

 ・寅(とら)              ・卯(う)

 ・辰(たつ)              ・巳(み)

 ・午(うま)              ・未(ひつじ)

 ・申(さる)              ・酉(とり)

 ・戌(いぬ)              ・亥(い)

この十干と、十二支を組み合わせたものが干支になります。

最後の60番目が「癸亥(みずのとい)」になります。

「庚申」はこの組み合わせのうちの一つになり、57番目に巡ってきます。

つまり・・・

干支の組み合わせは60ありますので、年に当てはめると60年で一巡して、
日に当てはめますと60日で一巡します。

ということで・・・

「庚申の日」は、60日に一度巡ってくることになります。

〇「庚申の日」の由来

「庚申の日」は平安時代に中国から伝来した「庚申信仰」からきています。

@庚申信仰

 近世期を中心にして、 
 ごく最近まで全国的に広く行われていたものの一つに「庚申信仰」があります。

 ★庚申講(こうしんこう)

  「庚申講」と呼ばれる信者の集団が、
  干支でいうところの庚申(かのえさる)の日に一戸の宿に集まり、
  庚申を祀りましてお神酒や精進料理等を祭壇にお供えし、
  念仏を唱えました後、雑談をして時を過ごします。

  これら行為は、夜通し行われます。

 庚申信仰は道教に説く三尸(さんし)説を母体としまして・・・

 ・密教          ・修験道

 ・民間信仰        ・風俗

 これら等が複雑に組み合わさりまして成立したものです。

 それによりますと・・・

 人間の体内には三尸という三匹の虫がいます。

 ☆三尸

  三尸とは、次の三匹の虫のことです。

  ■上尸(じょうし)

  人の頭の中に潜みまして、首から上の病気を引き起こす虫です。

  □中尸(ちゅうし)

  人の腹の中に潜みまして、臓器の病気を引き起こす虫です。

  ■下尸(げし)

  人の足の中に潜みまして、腰から上の病気を引き起こす虫です。

 これらは常に人間の罪を監視していまして、
 庚申の晩に隙を見て天に昇ります。

 そして・・・

 天帝にその罪を報告します。

 その行為によりまして、人間は早死にすると考えられていました。

 しかし・・・

 庚申の夜に寝なければ三尸は体内から出ることが出来ず、
 天に昇ることもありません。

 したがいまして・・・

 庚申の日に身を勤んで徹夜をすると、
 早死にを免れて長生きが出来るとされていました。

 ☆庚申侍

  この行事をする人々の階層や時代によりまして種々呼び名がありますが、
  やがて一般に「庚申侍」と呼ばれるようになりmす。

 わが国に伝えられましたのは、8世紀後半頃と考えられていまして、
 最初は天皇や貴族の間で行われていました。

 道教では静かに夜明かしをせよと説くのに対しまして、
 日本では眠気を覚まして、又、時間を過ごす方法として、
 双六(すごろく)等の遊びや飲食を行いまして、
 賑やかに夜明かしを行いました。

 こうしたやり方が鎌倉時代以後も受け継がれまして、
 やがて室町時代に「庚申縁起」が成立しますと、礼拝本尊が考え出されます。
 そして、一般の人々にも仏教式の庚申信仰が広まり出しました。

 これに対しまして・・・

 神道(しんとう)側も庚申の「申(さる)」に因みまして、
 猿田彦神を本尊とする庚申祭を行いました。
 その本元は伊勢市の猿田彦神社とされています。

 [猿田彦神社]さん

 住所  :三重県伊勢市宇治浦田2-1-10

 電話番号:0596-22-2554(代表)

 *お電話対応時間
 8時30分~12時 13時~17時

 アクセス:JR東海伊勢市駅/近鉄宇治山田駅/近鉄五十鈴川(いすずがわ)駅

      各駅よりタクシーで焼く5~10分程度です。

      三重交通バス 猿田彦神社前下車

      *猿田彦神社さんの駐車場には限りがありますので、
       なるべく電車・バス等の公共交通機関をご利用ください

      *御祈祷中の駐車料金は無料とさせて頂きます
       (入庫30分はどなた様も無料)

 猿田彦大神様は、
 物事の最初に御出現になり万事最も良い方へ「おみちびき」になる大神で、
 古事記や日本書紀等にも下記のように伝えられています。

 「国初のみぎり天孫をこの国土に啓行(みちひらき)になられた」

 天孫降臨を啓行された猿田彦大神様は、
 高千穂(宮崎県)に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)様をご案内されました後、
 天宇受売命(あめのうずめのみこと)様とご一緒に、
 本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻りまして、
 この地を始め、全国の開拓にあたられました。

 ★庚申講の変化

  江戸時代頃になりますと、庚申侍を18回繰り返します。

  その記録として・・・

  ・庚申塔
 
  ・庚申天

  このように文字を刻みました石碑を建てるようになりました。

問題 庚申侍は街中の到る所に石碑が建てられていましたが、
   明治時代になると「庚申信仰は迷信」となり、
   明治政府によりまして、多くの石碑が破壊されたり撤去されました。

   このように仏教関連のものを破壊しつくしたことを、
   何といいますかを教えてください。

1、廃藩置県(はいはんちけん)

2、神仏習合(しんぶつしゅうごう)

3、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

ヒント・・・〇正解の事件

      正解の実験は色々な地域で行われていました。
      中国においては3世紀以来行われるようになっていき、
      道教を重視した唐や宋では仏教が軽視されるようになっていきます。

      以後・・・

      朱子学派の〇〇論が大きな影響力を持ちました。

      @〇〇論

       中国における仏教攻撃論で、
       仏教が伝来した当初の漢時代には起きませんでした。
       やがて、僧侶の税役負担免除と仏教教団の蓄財が攻撃の的となる。

お分かりの方は数字もしくは仏教関連のものを破壊しつくしたことを、
何といいますかをよろしくお願いします。



 


 















アバター
2024/06/25 23:17
こんばんは!疲労困憊の中、お答えとコメントをありがとうございます。
ノエママン、どうもお疲れ様です。
 素晴らしいですね、3番の廃仏毀釈が正解です。
おめでとうございます(祝)
はい、よくご存じですね、その通りです。
はい、時代の流れとはいえ、辛いことですね。
 はい、どうもありがとうございました。
ノエママン、かなり疲労をしていますから、ゆっくりおやすみくださいませ。
アバター
2024/06/25 22:00
げんりんりん♥ちィ~ッす♪ฅ^•ω•^ฅ
火曜、お疲れ様~☆彡(_´Д`)ノ~~オツカレー♪

3、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)☆彡(^_^)v
「神仏習合」の状態にあった神社仏閣が、いきなり一気に仏教色の排除と破壊がおこなわれたのよね~!(;´Д`A ```
めっちゃドイヒ~だわよね~!(ノд-。)あぅ。。

時節柄ご自愛くだしゃんせ~☆彡(*´з`)-♥
無理せず無茶せず、心と体を労わりつつ、週ド真ん中もガンバルンバ~☆彡◡( ๑❛ᴗ❛ )◡ルン♥




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