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かきくけこのブログ。


ゲシュ崩ログ 463 絵本

近頃、なぜか絵本を読むことに熱い子供。

 前より熱心に、「読んで読んで」と言っているような。読む本は、大体似たようなラインナップ。私が同じ年の頃、私はグリム童話とか、アンデルセン童話とかをよく読んでいた。あと日本むかし話かな。でも子供は私が読んでいた子供の頃の本とは、まったく違う本ばかり読んでいる。こんなに違う本ばっかり読んでたら、絶対違う人間性になるに違いないな。と思いながら読んでいる。自分とは違う人の礎をこつこつ築いているのかと思うと、すごく楽しい。どんな未来が待っているのか、夢が広がるから。

 く考えたら、私は、小さいころ古い童話ばっかり読んでいた気がする。誰もが知ってる、桃太郎、みたいなメジャーな(?)のから読んでいた気がする。発行された日も古かった気がする。子供が読んでいる絵本は、けっこう新しい絵本で、最近作られた本。お話も、古典芸能じゃなくて、オリジナルな新しいお話ばかり。私が読んでいた本は、全部図書館で借りられる本だったけど、子供が読んでいる本は、全部お金を出して買った本ばっかり。図書館にはほぼ行ってない。

他人の事は知らないけれども、本好きな私の意見としては、図書館の本がダメとは言わないけれども、絶対に面白いし夢中になれるのは、本屋で買った本、という気がする。別に、本屋にある絵本なんて、図書館にも大体あるので、買う必要はないといえば無いんですけども、うちの子供は本を集めたいみたいな気持ちがある様子で、「図書館で見かけた事がある本を本屋で見つけた、欲しい」という感じになるみたい。(図書館で借りて読めよ…)と思ってたけど、子供の珍しいリクエストなので、そうやってたまに本を買ってたら、気が付いたら絵本が溜まっていた。という感じでした。

 私が子供と同じ年の頃は、毎日放課後に図書館に入ってクーラーのきいた環境で、ことわざの本とか四字熟語の本とかなぞなぞとか歴史の漫画とか読んで語彙を増やしていましたな。あの頃の私が一番真面目で一番頭よかったと自覚がある。なんであんなに猛勉強してたんだろう?何かに追い立てられるように(笑)もうあの頃にもどりたくない。毎日強迫観念にかられるように図書館で知識と語彙を増やそうとしていた。ほんとに。子供が絵本読みたいという時、自分のあの頃の必死な読みたい姿勢とは全く違うのを感じます。だからやっぱり、自分とは違う人生を歩むだろう、という確信が、日々こみあげている。どんな人間になるんだろう?子供という他人の人生を一番間近で感じていると、今まで理解してこなかった他人に、優しくなれそうな気がしてきます。

図書館に毎日通っていたような私みたいなのに言わせたら、本なんて読んでも一円にもならないので、やりたい遊びをしたらいいんじゃないの?っていつも思います。本を読め、と子供に言った事一度も無いんですけども、最近の子供の絵本ブームに、外で遊んだほうが絶対いいんじゃ?と言いたいけど、やっぱりほんの少しというか、けっこう、自分の趣味と同じ部分が少しだけあってくれると嬉しいかなという気がしている。
 もしかしたら、そういう大人の心の底を、子供というのは言外に受信して、子供というのは、大人のそういう細やかな心の機微を、鋭いアンテナで受信して、それで大人が喜ぶような事をしてくるのかもしれません。不思議な、本当に不思議な生命体。それが人間の子供。

絵本もさることながら、お墓を大切にする加藤家らしく、家にあったお経のかいてある本を、子供が手に取って、「これ何?」っていうので、説明して一緒に読経した。
2024年7月14日。それが子供が初めてお経を読んだ日だった。小さいのに読経なんて。しかも欲まみれでもない心でありがたいお経を読んで功徳を積めて、本当に幸運な人だとも考えられるかなと思いました。読経なんて途中で「つまんないあ~きた」って言って放り投げるかと思ったのに、意外と全部一緒に読み終えた。そんなところに、子供は集中力があると思って感激しました。お経を読む才能がある!と思った…。かなり限定的な場所で発揮される才能すぎて、嬉しがっていいのか悩ましい。




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