Nicotto Town



長崎原爆の日


こんばんは!9日(金)は、

西日本から東日本や南西諸島では広い範囲で晴れるものの、
所によりにわか雨や雷雨があるでしょう。
東日本では土砂災害等に注意、警戒してください。
北日本は曇りや雨となり、雷を伴った激しい雨の降る所もありそうです。

【思い出のある大事なものはありますか?】

A、地図帳です。

【長崎原爆の日】ながさきげんばくのひ Nagasaki Atomic Bomb Day

☆長崎原爆の日は、
 1945年8月9日にアメリカが長崎に原子爆弾を投下した日です。
 この爆弾は「ファットマン」と呼ばれ、午前11時02分に炸裂しました。

 この爆撃によって約7万4千人が死亡し、
 長崎市の建物の約36%が全焼又は全半壊しました。

 ■ファットマン Fat Man(太った男」の意味

 ファットマンはマンハッタン計画の一部として、
 ロスアラモス国立研究所で造られました核兵器です。

 ◇原爆搭載機の侵入経路と投弾
  
  原爆搭載機Bockscatに同乗の原爆責任者である、
  Frederick Lincoln Ashworth さんの記録のの引用に従いますと、
  Bockscarの行動時間は次のようになっています。

  *但し他の資料や電文類と比較しますと、時刻に多少の差が見られます。
   そして、時刻は日本時間に直したものです。

  ・8月9日午前2時47分、テニアン北飛行場を離陸します。
  
   『米軍、原爆投下に使ったテニアン島の飛行場を再建へ 中国への対抗』

   *CNNさんより抜粋 2023年12月22日(金)14:20

   米空軍が第2次世界大戦で、
   日本への原爆投下の出撃地となった太平洋のテニアン島の飛行場を、
   再利用する計画を立てていることがわかった。
   米太平洋空軍のトップが語った。

   ケネル・ウィルズバック司令官(空軍大将)は、
   今週公開のNikkei Asiaさんのインタビューで、
   テニアン島のノース・フィールド飛行場は再建が完了したら、
   「大規模な」施設になると述べた。

   米陸軍航空軍の最後の舞台が1946年に利用を終えて以降、
   同地は囃子が生い茂っている状態にある。

   「今後数カ月で大きな進展があるだろう。
    特にテニアン・ノースでだ」とウィルズバック氏は語った。
   空軍は島の中心部にあるテニアン国際空港でも施設を増やす予定。

   太平洋空軍はウィルズバック氏のコメントを確認したものの、
   本件に関する公式なリリースはないと言い添えた。

   テニアン島は米領北マリアナ諸島の一部で、
   ハワイの西約6000キロにある。
   面積101平方キロで、人口はわずか約3000人。

   Nikkei Asiaさんによると、
   ウィルズバック氏は飛行場の運用を開始する時期には触れなかった。

  ・8時15分に会合点屋久島に到着、
   5分後にBock機The Great Artiste(*1)と会合、
   しかしHopkins機(*2)が発見できなかった。
   8時50分に2機だけで屋久島出発、第1目標小倉に向う。

   (*1)Frederick C・Bock大尉が操縦する、
       計測器搭載機The Great Artiste(B29)。

   (*2)James I・Hopkins,Jr中佐が操縦する、
       観測撮影機Big Stink(B29)。

  ・9時44分に攻撃始点に到着、3回の爆撃航程が目視できず、
   小倉上空で45分を費やしたのち長崎に向う。

  ・10時50分長崎に到着、レーダーで接近し、雲の穴を見つける。

  ・10時58分に目視でF31を投下。

   *F31・・・長崎に投下された原子力爆弾(通称:ファットマン)

  ・11時05分に沖縄に向う。

  ・12時51分に沖縄の読谷(よみたん)飛行場に着陸。

  ・午後9時45分にテニアンに着陸。

  原爆搭載機の乗組員が小倉の投弾をあきらめて長崎へ向かう

  *以下は、長崎への原爆搭載機・ボックス・カー号の機長の手記を
   掲載した長崎原爆戦災誌第一巻から、
   原爆投下に至る部分を引用したものです(一部省略した部分があります)。

   *機長・・・チャールズ・スィ二―さん

   同手記では、投下時刻は午前11時1分とされています。

  ー「ジム、長崎への機首方位を教えてくれ」 
  ファンペルトさんはすでに計算を終えており、
  すぐさま返答して機首方位を伝えてきた。

  「当然ながらーこのルートで行けば、
   九州の戦闘機基地の真上を飛ぶことになりますが・・・」だが、
  基地を避けて海上に迂回して、余分な燃料を消費する余裕がなかった。
  直進する以外に道はない。

  ー北西から近づいていた我々は、
  あと数分で攻撃始点に到着するところだったー

  ー攻撃始点を過ぎると、
  ヴァンペルトさんとバックリーさんが照準点までの接近を調整しはじめた。

  街の外観が、レーダースコープに映し出された。

  バックリーさんが機首方位と正確な接近速度を、
  ビーハンさん(爆撃手)のために読み上げ、
  ビーハンさんは雲の切れ間が現れることを願い続けながら、
  データを爆撃照準器に入力していった。

  爆弾投下まであと30秒だった。
  
  トーン・シグナルが作動し、爆弾倉の扉が音をたてて開いた。

  あと25秒、その時ビーハンさんが叫んだ。
  「見えました!見えました!」

  私は応えた。「よし、決めてやれ!」

  ビーハンさんは、
  工業地区の三菱さんのある二つの軍需工場のちょうど中間に、
  雲の隙間を見つけたのだ。

  そこは予定照準点から北三キロの場所で、
  海岸沿いの平地の奥に広がる丘陵によって、住宅地からは隔てられていた。

問題 毎日新聞さん2020年9月25日公開の、
   次代への遺言~私が見た戦争 森田富美子さん(91)
   原爆で失った家族「体に残そう」と血を手に・・・。

   次の文章に入る言葉を教えてください。

   「その時、この手は洗えないと思いました。
    自分の体にしっかりと残そうと思って、すり込みました」

   東京都内に住む森田富美子さん(91)はそう話し、
   左右の手のひらをすり合わせた。75年前、長崎で被爆。
   父と母、弟2人の遺体を大きなトタン板に並べて火葬した。

   手には???と一緒に、両親と弟たちの血のりがべっとりとついた。

1、赤い血

2、青たん

3、黒いすす

ヒント・・・〇〇い雨 井伏鱒二(いぶせますじ)さん

      1898年(明治31年)2月15日ー
      1993年(平成5年)7月10日

      1966年に発表された作品で、
      広島出身の井伏鱒二さん自身も被爆しました。

      @登場人物

       広島市に暮らす閑間重松さんです。
       妻・シゲ子さんと姪・八須子さんとの3人家族です。

      @題名が象徴しているもの

       題名通り、放射能に汚染された雨を表しています。
       やがて、周囲から忌み嫌われ孤立を深めます。
       題名は、戦争がもたらす偏見や差別の恐ろしさも象徴しています。

お分かりの方は数字もしくは???に入る言葉をよろしくお願いします。

  

 

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2024/08/09 17:24
こんばんは!晴れの金曜日をお疲れ様です。
お忙しい夕方に、こうしてコメントをありがとうございます。
そうですか「名誉扱い」ですか。
アメリカはMLBでもそうですが軍人を異様に称えるのですよ。
文化の違いを私も感じます。
 スズラン☆さん、今夜も恐らくですが蒸し暑くなります。
体調を崩しやすい時期でもありますので、どうか涼しくしてお過ごしくださいませ。
アバター
2024/08/09 16:24
アメリカでは原子力爆弾の名前は名誉扱いになってるので
勝戦国との差を今も思い知らされます・・・




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