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かきくけこのブログ。


ゲシュ崩ログ 477 お坊様≠面接官

コロナ期間を除いて、お盆の季節になると、毎年我が家にお坊様がやってきて、読経してくださいます。お坊様ってハンサムな人が多いですよね。我が神(夫)は、若いころにお坊様になりたかったらしい。ハンサムな人が多いからかなんなのか、聖人に、なりたかったらしい…。どういう生き方でどう考えたらそうなるのか…。とても興味深いですよね。


でもならなかったらしい。残念なのか、運がよかったのか。本人の心次第でよくも悪くも考えられる事態。

もし神(夫)が、若いころに入信(?)してお坊様になっていたら、不犯の清僧として、子供もつくらなかっただろうし、私も夫の子供カワイイゲシュタルト崩壊日記を毎日何年にもわたって書かなかった。色んな事があって、今がある。不思議です。

お坊様にならなかった理由
 お坊様になりたかったらしい我が神(夫)は、なぜならなかったのかというと、入門しようとしたら、門前で「ダメっ」って言われたらしい。門前払い。文字通りの門前払いを受けたので、すごすご入口まで行って帰ったらしい。信心深い人を追い返す…という事にいまだに私は首をかしげ続けています。なんでダメだったんだろう?と。でも、なぜかひと目で「ダメ」って言われたらしい。就職とはワケが違うんだなぁ、と思った。お坊様っていうのは、面接官みたいに「志望動機は?」とか聞かないんだな~と思いました。

ダメと言われると、入りたくなる。
 でも、ダメって言われるって、なんだか素敵ですよね…(笑)なんでこう、「だめよ、だめだめ」って言われると、グっとくる(笑)んでしょうねぇ(笑)
 インチキねずみ講とかがいっぱいあるこのご時世、ここは狭き門なのだーーーーーっと人を寄せ付けない。そんな場所が、現代にもあるんだな~と神(夫)の話をきいて思いました。そう簡単にやすやす入れる場所は、きっとなんだかどっか、それなりのリスクを抱えているのではないかと思います。

その山の本
 若いころ、私がなんとなく手に取った高野聖という本を、夫も私も偶然にも読んでいた。それが私が夫に興味を持った最大の理由、とはいかないまでも、かなり大きな理由だった。高野聖という本なんて、マイナーのマイナーなのに、世界に誰も読んでないようなホンなのに、同じ本読んでたら、運命じゃない???と思っちゃいました。空海さんに対しての考え方は、私と神(夫)で大きく異なります。だから空海さんの話をすると、私と神(夫)は全然違う生き物くらいな距離を感じるんですけども、その距離がなんだか心地よいなと思います。それに、夫はとことん空海さんに心酔していた時期があったんだな~というほほえましい温かみがあります。そういう人がなぜ、入信を断られたんだろう???といつも謎です。でも、まぁ、やっぱり私が女だからなのか。高野山というのは、本当に女の人には何から何まで謎で不可解な、男性の世界なのだろう。そんな世界には一種、ミステリアスな好奇心がついてまわり、そんな世界についてのあれこれ色々が、終わりなく興味をかきたててやみません。

お経をじっと聞いていた子供
 お坊様が読経してくださいますあいだ、子供も一緒に読経を傾聴しました。子供なんて、「つまんな~~~~い」って言って走って部屋を飛び出すのかと思いきや、子供はなぜかじっと座って聞いていました。これが現代の子供なのか…?と不思議でした。お経聞くのなんて、苦痛って感じじゃないんだな~と不思議でした。まぁたまに私も仏壇で読経してたからかな…。お坊様の低く渋い浪々とした読経に、一家で耳を澄ませた夏でした。子供が面白くないとか言わなかったのには、「お経を聞く才能があるっ…!」と私は思ったんだけど、そんな才能のいかしどころって、どこ…?と喜んでいいのかどうなのか迷いました。




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