重陽
- カテゴリ:勉強
- 2024/09/09 00:54:48
こんばんは!9日(月)は関東甲信や東北南部太平洋側では雲が多く、
所により雨や雷雨がありそうです。
その他の西日本から北日本は概ね晴れる見込みですが、
西日本の太平洋側を中心に雨や雷雨の所もあるでしょう。
南西諸島は雨や雷雨で、激しく降る所もある見込みです。
【16周年のニコッとタウンの思い出】
A、おしゃべり広場で様々な方々と出会い、そして今がある感謝です。
【重陽】 ちょうよう
☆五節句の一つで、最高の数字である9が付く9月9日に行われます。
菊や栗等の秋の食材を使用した料理や和菓子を食して、長寿を祝います。
■五節句
日本の伝統行事で・・・
・1月7日の人日(じんじつ)
・3月3日の上巳(じょうし)
・5月5日の端午(たんご)
・7月7日の七夕(たなばた)
・9月9日の重陽(ちょうよう)
これら5つの季節の節目を祝うものです。
これは中国の考え方の影響で、奇数の月と日の重なる日が選ばれています。
五節句は無病息災を願う年中行事でもあります。
<概要>
〇重陽の節句
@別名
「ひな祭り」が「桃の節句」と別名があるように、
「長陽の節句」にも別名があります。
「長陽の節句」は、別名「菊の節句」と呼ばれています。
又、この日に栗ご飯を食す習慣もありましたことから、
「栗の節句」と呼ばれることもありますし、
「御九日(おくんち)」とも呼ばれています。
@英語
「長陽の節句」は日本ならではの行事ですので、
英語にしても「The Choyo Festival」と書きます。
☆菊の節句
「The Chrysanthemum Festival」と表記します。
@時期
「長陽の節句」は、旧暦の9月9日に行われる行事です。
★2024年の「長陽の節句」
9月9日(月)です。
「長陽の節句」の「9」は最も大きい「陽」の数字であり、
その数が2つ重なることから「長陽」と呼ばれています。
@由来
古代の中国では、
9月9日の重陽の日に香りの強い木の実を身に着けて山に登ります。
菊の花弁を浮かべた菊酒を飲み、長寿と無病息災を願う風習がありました。
@由来になりました逸話
説話は中国の道教に伝わる神仙説話の1つで、
舞台は六朝時代(222~589年)です。
そして桓景(かんけい)さんという人物に関する故事です。
汝南(じょなん)という場所に、
両親や妻子と共に暮らす若者がいました。
決して裕福ではないものの幸せに暮らしていましたが、
ある年、汝河という川の両岸に伝染病が流行り、
埋葬する場所も無い程、どの家からも犠牲者が出てしまいました。
桓景さんの家も残念なことに、両親が犠牲になってしまいます。
大切な家族を失い、
ふと桓景さんは幼い頃に大人達からいわれたことを思い出します。
「汝河には疫病神が棲んでいて、
人間界に毎年やってきては伝染病を撒き散らしていく」
このような言い伝えです。
そこで桓景さんは、
この汝河に棲む疫病神を退治しようとその方法を知る師を探しました。
桓景さんは東南の山奥に住む費長房(ひちょうぼう)さんという仙人が、
退治の方法を知ると聞きつけ、仙人に会いに向かいます。
桓景さんから疫病神の話を聞いた費長房さんは、
桓景さんに疫病神を討つ為の青竜剣を渡します。
それから桓景さんは、
費長房さんの下で、朝から晩まで剣術の練習に励みました。
1年が過ぎました頃、
桓景さんが剣の練習をしている場所に費長房さんがやってきます。
「今年の9月9日、汝河の疫病神が又やって来るだろう。
急いで帰り、退治しなさい。
それからお前に茱萸(ぐみ)の葉を1包と菊花酒を1瓶渡す。
さぁ、早く帰って村の人々を高い山に避難させるのです。」
費長房さんは、そう告げますと桓景さんを送り出します。
桓景さんは、急いで故郷に帰りまして人々を集めました。
そして、仙人の話を皆に伝えます。
「村の人々は9月9日に妻子を連れて近くの山に登ってください。
そして、茱萸の葉を1枚ずつ配るのでこれを身に着けること。
そうすれば疫病神は近づいてこない」
このように教えます。
さらに村人の一人一人に菊花酒を飲ませまして、
「これを飲むと伝染病にかからない」と伝えたのでした。
村の人々を山に避難させた後、
桓景さんは青竜剣を身に着けまして、一人で家の部屋に残り疫病神を待ちます。
間もなく、汝河から怪しい音が聞こえてきました。
ついに疫病神が川から飛び出て、岸に上がって村にやって来たのです。
疫病神は、村人を探しますがどの家にも人影がありません。
しかし、ふと山を見上げるとそこには大勢の人が山の上に集っていました。
疫病神はすぐに山の麓に向かいますが山に着くと酒の匂いがしまして、
さらに茱萸の香りで肺を刺激してどうしても山に登って行くことが出来ません。
諦めた疫病神が再び村に戻りますと、1人の男が家の中に座っていました。
疫病神はすかさず声を上げて襲い掛かります。
桓景さんは、疫病神がやって来たのを見ると剣を構えて立ち向かいます。
たった1人だけの人間と軽視していた疫病神でしたが、
何度立ち向かっても桓景さんを抑えることが出来ません。
疫病神がたまらず逃げ出そうとしたところを、
桓景さんは青竜剣を振り上げ心臓に剣を突いて、
疫病神を討つことに成功しました。
それからというもの、
汝河の辺りでも疫病神の襲来を受けることは無くなりました。
そして、村の人々は9月9日になりますと山に登りまして、
桓景さんが剣で疫病神を討った話を代々受け継いでいったのです。
@歴史
上記のお話の通り、
中国では古くから残る故事が由来して9月9日に山に登りまして、
菊の花弁を浮かべた菊酒を飲むことで、
長寿や無病息災を願う風習が根付いていました。
☆日本に伝来
そのような中国の習わしが日本に伝わりましたのは、
飛鳥時代(592~710年)です。
そして、宮廷の行事として伝わりまして、
「菊花宴」として開かれるようになりました。
そして時代が変わりまして、
平安時代になりますと「重陽節」として正式な儀式になります。
平安時代の初期には、
当時の天皇が中国の風習に習って宴が開かれるようになりました。
そこでは、茱萸を袋に入れまして、
御帳の左右に掛けて菊の花を眺めながら菊酒を飲んだり、
詩を詠んだりして楽しみました。
問題 次の文章の中の???に入る人物名を教えてください。
日本独自の文化が花開きまして、
???さんが記した「???日記」には、
9月8日の夜に綿を菊の花にかぶせまして、
翌朝に露によりまして濡れた菊の香りがする綿を使用して、
肌を拭うと長寿を保つことが出来るという、
「菊錦」の習慣が描かれています。
1、清少納言 さん
2、紫式部 さん
3、和泉式部 さん
ヒント・・・〇???
藤原道長さんの要請で宮中に上がりました???さんが、
1008年(寛弘5年)秋から1010年(寛弘7年)まで、
宮中の様子を中心に書いた日記と手紙からなります。
源氏物語の作者である???が、
彰子さんの出産記録や宮廷の雰囲気を綴った日記です。
お分かりの方は数字もしくは???に入る人物名をよろしくお願いします。
そうですか、地域や各御家庭で節句の風習があるなしは異なりそうですね。
おお~、そうですか。
祖母様、お母様は長生きですか。
素晴らしい血脈と、そして、過ごし方も素晴らしい可能性もです。
問題ですが2番のNHK大河ドラマの主人公(紫式部さん)になります。
正解です、素晴らしいですね。
どうもおめでとうございます(祝)
幸い実家の祖母は長生きしたし、母も長生きしそうです(笑)
答え 2