女子英学塾が創立された日
- カテゴリ:勉強
- 2024/09/14 00:22:22
こんばんは!14日(土)は、台風13号が沖縄や奄美に接近する影響で、
南西諸島では雨が降り、雷を伴って非常に激しく降る所もあるでしょう。
沖縄や奄美では暴風に厳重に警戒し、高波に警戒してください。
九州南部から四国の太平洋側や東北では曇りや雨となり、
激しい雷雨となる所もある見込みです。
その他の地域は晴れる所が多いものの、
午後は所によりにわか雨や雷雨がありそうです。
【女子英学塾が創立の日】 じょしえいがくじゅくがそうりつのひ
☆明治33年(1900年)9月14日に、
津田梅子(つだうめこ)さんが女子英学塾を創立しました。
<概要>
〇女子英学塾が創立された日
@女子英学塾
1900年(明治33年)津田梅子さんが、
東京市麹町区の住宅に生徒10人で開校致しました。
英語教授と英語教員養成を目的とし、
少人数で男子と同じ教育を施しました。
1904年専門学校令で認可され、
1905年には英語科教員無試験検定が認可されます。
★文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験
1884年(明治17年)より1948年(昭和23年)まで行われていた、
中等教育免許の検定試験です。
「文献(ぶんけん)」と略される他・・・
・文部省教員検定試験
・中等教員検定試験
このように略される場合もありました。
□文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験
試験名称は時代と共に変遷していますが、
最も長く続いた正式名称は、
「文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験」です。
文部省が戦前期に実施していた教員検定としては・・・
・高等学校教員検定試験(略称「高検」)
・実業学校教員検定試験(略称「実検」)
これらがありますが、
最も歴史が古く規模の大きい試験であった、
中等教員検定試験についてのみ「文検」と略称されていました。
◆概要
旧制中等教育学校(中学校、高等女学校、師範学校)の教員資格は、
本来は高等師範学校卒業者に与えられるものとして、
制度設計されていましたが、
中等教育機関の拡充に伴う中等学校教員の必要数の拡大に対しまして、
高等師範卒業者が極少数のままであった為、
この教員養成機関卒業者意外に教員検定に寄る免許授与が行われまして、
文検がその試験でありました。
『教員検定』
文検による試験検定の他に無試験検定制度もありました。
「指定学校」としまして・・・
・帝国大学 さん
・高等学校 さん
・実業専門学校 さん
これら等の官立高等教育機関卒業者や、
「認可学校」として文部大臣の許可を得た公私立学校卒業者に、
中等教育免許が与えられていました。
『許可学校に対する無試験検定』
明治32年の「公私立学校、外国大学卒業生ノ教員検定二関スル規定」
(文部省令第25号)により導入されました。
許可学校である・・・
・哲学館(現:東洋大学) さん
・國學院(現:國學院大學) さん
・東京専門学校(現:早稲田大学) さん
・東京物理学校(現:東京理科大学) さん
これら等の学校も当初は限られていた為、
明治期を通じまして、文検合格者が中等教員の中心を占めていました。
1904年(明治37年)の調査では、
中学校教員のうち有資格者は61%でありましたが、
下記のようになりました。
・有資格者中文検合格者:50%
・無試験検定合格者 :50%:・高等師範卒業者:16%
・帝国大学卒業者:12%
・その他 :22%
このような結果でありました。
又、指定学校や許可学校卒業者による無試験検定合格者が、
中等教育免許取得者の中心を占めるようになりました。
試験検定による資格付与の量的必要性が薄れた大正後半期以降も、
「文検」制度が存続しました理由は下記の通りになります。
1、在野からの優れた教育家のリクルート
2、受験生の中心を占めていた諸島教員にとりましての自己研修の機会
3、教育養成の「傍系(師範学校卒業者で初等教員資格のみの者)から、
「正系(高等師範学校卒業者と同格の中等教員資格取得者)」への
バイパス機能
これらがあったとされています。
毎回の受験者が数千人に及びまして、
合格まで複数回受験が当然の難関でありました。
・受験者・受験雑誌(「教育学術界」「内外教育評論」「文検世界」等)
・試験出題者等からなる受験世界
これら、各教科毎に独自の世界として発達しました。
◇試験概要
『1908年(明治41年)11月26日 文部省令第32号
「教員検定二関スル規定」における内容』
・検定内容 :学力・品行・身体
・検定学科目:・修身 ・教育 ・国語及漢文
・英語 ・仏語 ・独語
・歴史(日本史東洋史、西洋史)
・地理 ・数学
・数学(算術台数幾何、三角法、解析幾何、微分積分)
・物理及化学(物理、化学)
・博物(動物及生理、植物、鉱物)
・法制及経済 ・習字
・図画(毛筆画用器画、鉛筆画用器画)
・家事 ・裁縫 ・体操
・音楽 ・簿記 ・農業
・商業 ・手工手芸
・受験資格
1、中学校卒業者
2、高等女学校卒業者
3、専門学校入学者検定(専検)合格者
4、小学校本科正教員、等
・試験区分
予備試験:各地方実施
本試験 :東京で実施
◆合格者数
統計が残されている第8回(1895年)~第71回(1939年)の計、
23395人です。
毎回の合格率が、10パーセント前後の難関でした。
1931年(昭和 6年)東京府下小平町に移転します。
1933年(昭和 8年)津田英学塾と改称します。
1943年(昭和18年)理科を増設しまして、津田塾専門学校になります。
1948年(昭和23年)津田塾大学となります。
問題 津田梅子さんの夢についてですが、
次の文章の〇〇に入る言葉を教えてください。
女性の高等教育を目指す私塾「女子英学塾」さん。
現在津田塾大学さんの創立者・津田梅子さんは、
女性の地位向上こそ日本の発展に繋がると信じて、
「男性と〇〇して対等に力を発揮出来る女性の育成」を目指しました。
《津田梅子》さん 現在の津田塾大学創立者
1864年12月31日ー1929年8月16日
日本における女子高等教育の先駆者で、英語教育や個性を尊重しました。
1、対決
2、協同
3、協力
ヒント・・・〇〇〇の意味
複数の人、又は団体が、力を合わせて物事を行うこと。
お分かりの方は数字もしくは文章の中の〇〇に入る言葉をよろしくお願いします。
そうですね、津田塾大学さんはこうして100年以上の歴史がありますね。
なるほど~、関西だと確かに聞かない方もおられそうですね。
問題ですが、素晴らしいですね。
2番の協同が正解です。
どうもおめでとうございます(祝)
100年以上も前に男女参画の大事さを考えていたとは、
素晴らしい先見を持つ、津田梅子さんですね。
スズラン☆さん、この高温多湿で熱中症にかかりやすい為、
どうか涼しくしてお過ごしくださいませ。
現在のところ、熱中症で搬送された方は9万人で、
まだまだ伸びているそうです。
名前は知っていましたが、
関西ではあまり聞いたことがないと思いました。
答え 2