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彼岸入り

ニコットおみくじ(2024-09-19の運勢)

おみくじ

こんにちは!九州から関東は晴れ間が広がるが、雷雨の所も。

北陸と東北南部は曇りや雨で、局地的に大雨。
東北北部と北海道は晴れる。
沖縄は曇りで、夕方から夜にかけては雨が降りますが、
夜は雲が広がるでしょう。

【彼岸入り】 ひがんいり

☆彼岸入りとは春分の日や秋分の日の3日前で、
 お墓参りやお供え物を行う日です。

<概要>

〇お彼岸

春のお彼岸と秋のお彼岸と、年に2回あります。

彼岸とは雑節の一つです。

@雑節

 二十四節気や五節句の他に、
 季節の移り変わりをより的確につかむ為に設けられた特別な暦日です。

 ★二十四節気(にじゅうしせっき)

  1年間を24等分にしたもの

 ☆五節句(ごせっく)

  季節の節目の行事

 ★特別な暦日(れきじつ)

  暦で定められた日

彼岸とは春分の日と秋分の日を中日(ちゅうにち)とし、
前後それぞれ3日間を合わせた7日間のことを指します。

*中日・・・真ん中の日

この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)といいます。

@彼岸会

 春と秋の2回行われる仏教の法会(ほうえ)のことです。
 
 ☆法会

  仏教において、
  仏法を説く為や供養を行う為の僧侶や檀信徒の集まりです。
  特に大きな法会は大会(たいえ・だいえ)と称されることがあります。

  ■檀信徒(だんしんと)

  ◇檀家(だんか)
  
   特定の寺院に所属して、
   その寺院を護持「ごじ(支援)」している家のことです。

   仏教は元々僧侶は在家者「ざいけしゃ(一般の方々)を仏法に説きまして、
   在家者は僧侶に食事をはじめとする必需品を施すことで、
   僧侶の生活を支えるという関係の上に成り立ってきました。

   *必需品を施す・・・お布施をする

   僧侶は戒律によりまして生産活動(耕作等)が禁じられている為、
   在家者からの施しに依存する修行形態をとっていました。

   こうした関係は仏教がインドから他国に伝播(でんぱ)したり、
   次代を経たりすることによりまして、
   少しずつ、時にはダイナミックに変化をしていきましたが、
   「在家者が僧侶に施しをする」という根本の部分は、
   曲りなりにも現在にまで続いています。

   ただし日本仏教では、
   在家の信仰者が個人的に僧侶に施しをするというよりも、
   一家の代表者が付き合いのある寺院に対しまして、
   「家」を代表して布施をするといった方が実状に近く、
   それは個人が布施をするというよりも、
   「家」が布施をしていると捉えた方が正確だと考えられています。

   本来であれば施主は個人であるはずなのに、
   なぜ日本では「檀家」とあるように「家」が単位となっているのか。
   この点がまさに「檀家とは何か」の核心です。

   この核心は江戸時代にまで話が遡ります。

   「家と寺院」の結びつきである檀家制度が生まれた背景には、
   江戸時代に設けられました「寺請(てらうけ)制度」が関係しています。

  ◆寺請制度
  
   江戸時代に設けられた、民衆会員がいずれかの寺院に所属しまして、
   キリシタンでないことを寺院が証明する制度です。

   これは当時「邪宗門(じゃしゅうもん)」と敵視された、
   キリスト教の意見や締め出しの為に行われた制度でありまして、
   民衆派所属した寺院から寺請証文という、
   身分証明書のようなものを発行してもらいまして、
   自分は仏教徒であり、キリシタンではないことを証明しました。

   因みに・・・

   所属する寺院のことを菩提寺(ぼだいじ)といいます。

   寺請制度によりまして、民衆がいずれかの寺院に所属しますと、
   必然的に民衆はその寺院の檀家となりました。

   ただし・・・

   これは必ずしも悪いニュアンスばかりのものではなく、
   民衆側にも寺院への帰属願望があったからこそ、
   寺請制度は日本中に浸透し得たのだろうという考え方が有力です。

   こうした寺請制度によりまして、
   民衆と寺院は「檀家と菩提寺」という関係を築きまして、
   葬儀や先祖供養は菩提寺が行いまして、
   檀家はお布施等によりまして、菩提寺を護持するという、
   檀家制度が始まったのです。

  ◇経済的安定と宗教的堕落

   寺請制度の発足によりまして、
   寺院は檀家となる民衆に対して寺請証文を発行する義務を負うようになり、
   檀家について正確に把握しておく必要が生じました。

   そこで寺院は・・・

   邪紋人別帳という、今でいう戸籍のようなものを作る必要に迫られました。

   それは役所の機能を寺院が担うことを意味していまして、
   寺院は幕府の一翼を担う機関として、
   統治体制の中に組み込まれていきました。

   つまり・・・

   寺請制度とは、実質的に寺院が幕府の出先機関の役所に、
   実質的に寺院が幕府の出先機関の役所に位置付けられた制度です。

   幕府の一翼として寺院が役所の仕事をするようになりますと、
   寺院側は本来の宗教活動が疎(おろそ)かになるという、
   悪影響が生じました。

   又、檀家という安定した支援者を得た寺院の中には、
   宗教活動が怠慢になり堕落するという、
   良からぬ僧侶も現れるようになりました。

   こうした仏教教団の腐敗は、
   その後、明治期における廃仏毀釈の一因へと繋がっていきます。

 彼岸会とは仏事として「春の彼岸会」と、
 同じく9月には「秋の彼岸会」があります。

 この行事は彼岸会の期間中、仏教各宗はとも僧侶は様々な法要儀式を執り行い、
 在家信者はお寺に詣でたりお墓参りをしたりして、
 ご先祖の霊を慰め、その成仏を祈る風習です。

お彼岸は・・・

・最初の日:彼岸入り・彼岸の入り

・最後の日:彼岸明け・彼岸の明け

このように呼びます。

彼岸は仏教用語で、
今、私達がいる煩悩や迷いに満ちた世界を「此岸(しがん)」といいます。

此岸にいる者が六波羅蜜「ろくはらみつ(菩提になる為の方法」の修行で、
煩悩や悩みの海を渡って辿り着く悟りの世界を「彼岸」といいます。

その為、お彼岸は極楽浄土に思いを馳せ、
より彼岸に近づけるように修行をする期間といわれています。

又、彼岸は西、此岸は東にありまして、
春分と秋分は太陽が真東から登り、真西へ沈むことから、
彼岸(極楽浄土・あの世)と此岸(この世)が通じやすくなると考えられ、
先祖供養をするようになったといわれています。

問題 彼岸会はインドや中国には存在せず、
   日本独自の習俗が仏教の概念と結びついて生まれたもので、
   一説には聖徳太子様のことから始まり、
   平安時代から江戸時代にかけて習慣化され、
   年中行事化したといわれていますが、起源は定かではありません。

   彼岸会の期間中に行う「六波羅蜜行」仏教の修行が存在しますが、
   「六波羅蜜」の意味を教えてください。

1、お釈迦様の入滅前後の状況が事実に近い形

2、菩薩様が涅槃の世界に入る為に修める六つの行

3、モーセ様が神から与えられたとされる10の戒律

ヒント・・・〇六波羅蜜

      布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若という、
      〇つの善行・徳行であり、覚りを目指して、
      成就する為に大乗菩薩の修行を行うこと。

お分かりの方は数字もしくは「六波羅蜜」の意味をよろしくお願いします。

   








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2024/09/19 15:48
こんにちは!雲が増えてきましたが、晴れの現在です。
ミオティカさん、どうもお疲れ様です。
そうでしたか、身についたところですか。
そうですね、食べ物でも有名ですね。
はい、お彼岸は日本独自ですね。
はい、モーゼさんは違う宗教です。
おおお~、問題ですが2番が正解です。
修行といいましても、肉体的な方面と精神(見通す眼を)を養ったりもありますね。
 本日のニコタはイベントが始まりまして、各皆様ご多忙のはずです。
その中で、こうしてコメントとお答えをありがとうございました。
アバター
2024/09/19 15:34
何度もおかんに聞いて 彼岸は 21日をはさんで前後3日と・・・
やっと最近身についたところですw
おはぎとぼたもちの違いもなんとなく(^_-)-☆
↑秋   ↑春 ですか?

(´・∀・`)ヘー日本独自なんだ!?
モーゼは違う宗教じゃ?wwww あれ?モーセ?

ほぼ2択だけどわからない・・・わからないけど
六が入っているので 2番!( ・∀・)

・・・・修行って書いてあるwww




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