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ラッカセイ

ニコットおみくじ(2024-10-18の運勢)

おみくじ

こんにちは!湿った空気の影響で、九州から関東、東北の太平洋側は所々で雨。

北海道は晴れ。
沖縄は晴れ。
最高気温は平年より高く、夏日の所も。

【ラッカセイ】 落花生 Arachis hypogaea L.

            peanut

            groundnut

☆マメ亜科ラッカセイ属の一年草です。

<概要>

〇ラッカセイ

ラッカセイとは南米が原産とされるマメ科ラッカセイ属の一年草で、
東アジアを経由して、江戸時代に日本に持ち込まれたといわれています。

ピーナッツという名前からナッツだと思われることも多いラッカセイですが、
実はマメ科の植物です。

マメ科の植物は世界で約2万種が知られていますが、
中でもラッカセイはユニークな特性を持つ、マメ科の変わりものです。

@ラッカセイが生まれた場所

 ラッカセイの生まれ故郷は南米です。

 ブラジルの一部の地域で見つかりました野生の原始的な種が、
 地形の変化とともに広がり、
 変異、進化をしながらブラジル、ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、
 アルゼンチンの5カ所に跨る地域に広がっていったと考えられています。

 ボリビア、アルゼンチン、パラグアイの国境が接する地域で、
 2つの種が交配して出来た植物がラッカセイの原種となり広がり、
 やがて先住民により栽培され、
 現在のラッカセイが生まれた可能性が高いといわれています。

 ★古くは紀元前から出土していた「ラッカセイ」

  日本で初めてラッカセイが栽培されたのは、
  1871年(明治5年)頃だといわれています。
  
  □千葉県ラッカセイの歴史(明治)
  
  日本では沖縄県でかなり古くから栽培されていて、
  本州へは宝永3年(1706年)に中国から伝播(でんぱ)しましたが、
  栽培にはいたりませんでした。

  現在のわが国の栽培は明治7年(1874年)に、
  政府がアメリカより種子を導入し、各地に配布しました。
  この栽培を推奨したのが初めてとされていますが、
  明治4年には神奈川県の渡辺慶次郎さんが種子を入手して、
  栽培を始めています。

  千葉県のラッカセイの栽培は明治9年(1876年)に、
  山武郡南郷町(現:山武市)の農家、牧野万右エ門さんが、
  神奈川県三浦郡中里村から種子を購入し、
  それを試作したのが始まりとされています。

  明治10年(1877年)には、
  当時の県令(知事)柴原和さんが種子を鹿児島から取り寄せ、
  県民に論告し、その栽培奨励に着手しました。

  当時の干潟(現:旭市)付近は痩せた酷い砂地の為、
  畑作として適当な作物が無く、農家はほとんど甘藷や野菜等を作り、
  現在の旭市、銚子市、山武市付近を商うことを生業としていました。

  匝瑳(そうさ)郡鎌数村(現:旭市)の戸長の金谷総蔵さんが、
  ラッカセイ栽培及び販売に尽力しました結果、
  旭市を中心とした千葉県のラッカセイ産地が育成されました。

 ☆千葉県ラッカセイの歴史(大正)

  大正に入りましてから、旭市から印旛郡台地(現:八街市や富里市等)へ、
  漸次(ぜんじ)普及されました。

  当時のラッカセイ栽培は旭市を中心としていました。

  しかし・・・

  旭市で栽培されていた当時の品種は大粒の立性が中心で、
  干ばつの被害を受けやすく、年によって収量に大きな差があることと、
  甘藷の売れ行きが良かったこと等から、ラッカセイ栽培は減少し、
  甘藷に転換していきました。

  一方、八街(やちまた)市付近の畑地では干ばつや砂地等の悪条件に強く、
  比較的安定した収穫を得ることが出来る品種が中国から入ったと思われ、
  次第に栽培面積が増加していきました。

  *収穫を得ることが出来る品種・・・青島種等

 ★千葉県ラッカセイの歴史(昭和)

  昭和2年頃には、
  県下の栽培面積が3000ヘクタールを下回り最低となりましたことから、
  千葉県は昭和2年から農業試験場でのラッカセイ研究に着手し、
  多収で良質な優良品種の改良を目的として、在来種の改良に当たりました。

  その結果・・・

  昭和5年に優勝品種である、
  「千葉43号」、「千葉55号」、「千葉74号」の3品種が育成され、
  青島種に代わって栽培されるようになり、収量が安定しました。
  
  ・昭和10年:4000ヘクタール

  ・昭和15年:5000ヘクタール

  このようになりました。

  特に「千葉43号」は良質で多収で栽培しやすく、干ばつにも強い為、
  千葉県ばかりではなく、茨城県やその他全国的に普及しまして、
  昭和27年に現在の優良品種「千葉半立」が育成されるまで、
  20数年も栽培の主力品種となりました。

  昭和16年に戦時体制に入りますと、
  八街市の一部を除きまして、ラッカセイ栽培は禁止されました。

  戦後、昭和21年から再び栽培が始まりまして、
  特に栄養価の高いラッカセイは食品としての価値が急に高まりまして、
  売れ行きが伸びました。

  しかし・・・

  需要量を供給出来なかった為、価格が爆騰しまして、
  昭和23年~24年頃に60kgあたり20000円以上になりました為、
  八街市を中心とした印旛郡台地での栽培が急激に増加しまして、
  昭和27年には10000ヘクタールを超えまして、
  戦前の旭市に代わりまして、
  八街市がラッカセイの集散地として多くの商品が誕生しました。

  ■最も古い出土は、ペルーのリマ近郊にある遺跡から

  紀元前2500年前の大量のラッカセイの殻が発見されています。

  □埋葬の際、ラッカセイがともに発見

  当時からラッカセイは、
  文化や生活において重要な位置にあったことが分かっています。

  ■16世紀頃のアステカ族文化

  ラッカセイを食用ではなく、薬としてとらえていた記録もあるとのことです。
  反面、ヨーロッパでは気候や文化の違いで奇妙な食べ物に見られていたりと、
  次代や国によって様々な認知のされ方をしていました。

@特徴

 ラッカセイはマメ科の蔓無し品種と同じように30cm前後の大きさに成長し、
 夏になりますと黄色い花を咲かせます。

 普通のマメは花の付け根から膨らみますが、
 ラッカセイは子房(しぼう)柄と呼ばれる一本の蔓が、
 花托(かたく)の脇から伸びて地面に潜っていきます。
 その先が膨らみまして、殻付きの実を実らせます。

 「花が地面に落ちるようにして実を付ける」ことから、
 落花生と名付けられました。

問題 次の文章の中に入るビタミンの種類を教えてください。

   抗酸化力が強いことで知られるビタミン〇が非常に沢山含まれている、
   ラッカセイ。

1、A

2、C

3、E

ヒント・・・〇ビタミンE

      活性酵素を抑えまして、
      体内の不飽和脂肪酸の酸化を防ぐ働きがありますので、
      動脈硬化や心筋梗塞等の生活習慣病の予防に役立っていると、
      考えられています。

      @生ラッカセイのビタミンEの含有量

       ☆生ラッカセイ1個5gのの可食部「3g」あたり

        ビタミン〇は0、22mg含まれています。

       ★生ラッカセイ100gあたり

        ビタミン〇は7、2mgです。

お分かりの方は数字もしくは〇に入るビタミンの種類をよろしくお願いします。






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