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かきくけこのブログ。


ゲシュ崩ログ 494 昔の仏教の本

この前、昔の仏教の本を読んでたら、煩悩というものがよくわからなくなってしまった。


煩悩、と人がいう時。

 煩悩、というものが一体なんなのか。いってしまえばたった一言だけれども、よくよく考えたらおおざっぱで、フィジカル、という言葉が多く情報を持つような、そんな情報量の多い言葉だよな~と思います。

尼が差し出した目
 ホンには、尼が、煩悩と戦った描写があった。「あなたの目が美しい」とその尼は言われたと言う。なので、その尼は両目をえぐり捨て、「ならばくれてやる」と言ったという、煩悩というものを超越した清廉潔白な尼の理想像がそこにあった。みたいな事が書いてあるのですけれども、え…???どういうこと????と思った。

また、他にも、尼が煩悩を捨てきれず、やせこけても煩悩に汚らしくなっても、異性を求めた、みたいな事が書いてあって、ええ????異性を求める事が、汚らしい事なのk~~~~!!と、衝撃を受けた。まぁ、極端な描写のある仏教の本だった。

煩悩っていうのは、異性関係に恋愛感情を持つ事なのか…???というような、そんな感じの本だった。

褒められたら、両目をえぐる尼
 その本での、その峻烈な尼の凄惨な事態、「目を褒められたら目をえぐる」という行為が、私みたいな凡夫にしてみれば、なんていうアホな????と思いますが、人の上にたち、教壇から人を教え導くような、尼という立場の人は、それくらい煩悩というものに対して、命がけで向かい合っているという事を示しているのかもしれません。

褒められたら、その褒められたものを迷いなく与える。そんな幸せの王子様みたいな博愛の心というのか、褒められた事に慢心なぞ絶対にしないというような、そんな行為こそが、尼という生き物の求められる姿なのか…と、仏教の本における尼の理想像、というものに、冷え冷えとした恐怖?というか、なんという世界なんだろうか、尼の世界って…?という事を勉強しました。

汚らわしい卑しい、最低最悪の煩悩、そんな煩悩に、かわいいですね、綺麗ですね、と褒められたら、両目をえぐってくれてやる。?煩悩に褒められたとて、何が嬉しかろう?煩悩の認めるそれなぞ、嫌悪するべきものでしかないのだから


とでも言いたいというような、煩悩に対する尼の所業、褒められたら、目をえぐってくれてやるというそのすさまじさ。そんな教え。仏教の崇高な人達の戦っている悪、のようなものに対して、肉体を持って戦う人たちの心構えとして、

煩悩に両目を褒められたら、そんな目はえぐってくれてやる。というその姿勢。

そんな事が、理想の尼なのだという本が、この世にあるんだな~という事を勉強して、私の知らない世界や知識が、まだまだこの世界にはいっぱいあるんだな~という気がしました。

世界のどこかで、今日もどこかで、崇高な理想的な尼というのは、目をえぐってくれてやるというような、勇ましい戦いをして、私たちを悪魔から守ってくださっているのでしょうか。仏教の人が言う煩悩とは。一体なんだろう?そこまでして戦うものなんだろう?そんなこんなを、なんだかよくわからん世界だ…と思ってしまう私は、とても恥ずかしい世間知らずなのかもしれません。

煩悩っていったいなんだろう?と。

でも、昔の仏教の本によると、「両目を褒められたら、えぐってくれてやる」というのが、煩悩と戦う時の理想の尼の姿なのだそうだ。尼になりたい人は、そういう事を一回知識として勉強してからなったほうがいいんじゃないかといつも思う。




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