七五三
- カテゴリ:勉強
- 2024/11/15 00:47:45
こんばんは!15日(金)は、
西日本や南西諸島は曇りや雨となり、雷雨になる所もあるでしょう。
東日本や東北は午前中を中心に雨が降り、北海道では所々で雨が降る見込みです。
【忘れられない先生】
A、体育の時間に時々ですが、軍歌を歌う先生がおられました。
【七五三】 しちごさん
☆七五三は、7歳、5歳、3歳の子供の成長を祝う日本の年中行事であり、
神社や寺等で「七五三詣で」を行い、報告や感謝、祈願を行う奉告祭です。
<概要>
〇七五三
氏神の氏子となり、社会人の一員として認めてもらう節目の行事です。
@一般的
・3歳の男女
・5歳の男の子
・7歳の女の子
上記の方が行われるものとされています。
@由来
この行事の基は、宮廷や武家の儀式に由来します。
@儀式
昔は3歳までの男女の赤ちゃんは丸坊主でした。
★髪置き
3歳以降、髪の毛を伸ばし始める儀式です。
☆袴着
5歳の男の子が初めて袴を履く儀式です。
★帯解
7歳の女の子が帯を使い始める儀式です。
@袴着
平安時代中期には3歳の男女で盛んに行われていたと「源氏物語」や、
「栄花物語」に記されていましたが、
江戸時代には武家の男子が5歳で行うものに変化しました。
☆源氏物語
桐壺(きりつぼ)さんの帖での一説に・・・
「この御子三つになりたまふ年、御袴着のこと」
このようなくだりがあります。
これは我が子(光源氏さん)が3歳の「袴着」という、
儀式を迎えたことに下記のように綴っています。
「よくここまで育ってくれた」
このように感無量の母である、桐壺の更衣(こうい)さんの心情です。
■桐壺帝「桐壺院」
・光源氏さんの父親
・桐壺の更衣を溺愛し、物語の主人公である、光源氏さんが誕生
桐壺の更衣が亡くなった後は、
顔がそっくりな藤壺の宮を入内させて愛す。
息子の朱雀(すざく)帝が譲位した後は、桐壺院となります。
自分と藤壺さんの宮の子が、
実は光源氏さんと藤壺さんの宮の子であるとは知らないまま、崩御します。
□桐壺の更衣 さん
光源氏さんの母親です。
故按察(あぜち)大納言の娘で、身分は高くありません。
◆按察大納言
2つの職務が重なった官職名で、
按察(按察使)は国司「守(現:都道府県知事)」の、
行政業務を監督する監察官でありまして、外交官です。
『故大納言邸(京都文化博物館)』
幼い匂宮様を育ててくれた紫の上さんが、
二条院に迎えられる前に暮らしていた、
故按察使大納言邸は、京都文化博物館辺りにありました。
桐壺帝の寵愛(ちょうあい)を受け、光源氏さんを出産しますが、
周りの女達の嫉妬を受けて病気となりまして、
光源氏さんが3歳の時に亡くなります。
そして・・・
美しくは儚(はかな)い女性でした。
□光源氏さん
第一部、第二部の物語の主人公です。
亡き母にそっくりといわれている、
義母の藤壺の宮さんに恋をしてしまいます。
その後も亡き母である桐壺の更衣さんの面影を求めて、
多くの恋愛遍歴を辿ります。
妻である紫の上さんと正室である女三の宮は藤壺さんの姪です。
光源氏さんは、
藤壺の宮さんの血縁者に強く心を惹かれる人生でした。
■朱雀帝「朱雀院」
桐壺帝の息子で、母は弘徽殿女殿(こきでんのにょうご)様です。
つまり、光源氏さんの異母兄です。
光源氏さんと朧月夜(おぼろづきよ)さんが恋仲であることを知りながら、
朧月夜さんを深く愛します。
容姿端麗であり、優しく穏やかな性格の男性です。
□弘徽殿女御 様
桐壺帝の妃でありまして、朱雀帝の母です。
桐壺帝が第一皇子を産んだ自分よりも、
桐壺の更衣さんを溺愛したことに強く嫉妬して、桐壺さんをいじめました。
その子の光源氏さんをも憎んでいます。
光源氏さんを須磨(すま)・明石に追放するように計画したのは、
弘徽殿女御様とその父の右大臣です。
「源氏物語」は当時の貴族だけではなく、
庶民にも広く読まれていたとされる為、
この作品を通じて、七五三の知名度が上がったといわれています。
実際、この文学作品が一般の人々に七五三の存在を知らしめ、
広く受け入れられるきっかけになったといわれています。
この事実は、文学が社会の伝統や文化の普及に、
大きな影響を持っていたことを示しています
★栄花物語
平安貴族の全盛期を現代に伝える歴史物語です。
藤原氏の栄華を背景に、
10世紀末から11世紀半ばの宮廷生活を活写した大部の作品であり、
平安時代の政治や文化を知る上で欠かせない資料となっています。
□同世代を語る紀伝体(きでんたい)歴史物語
・大鏡(おおかがみ) :男性官人の観点を貫く。
・栄花物語(えいがものがたり):女性の手になる為、
構造や行文には「源氏物語」等の、
女流文学の投影が、色濃く見える。
☆袴着での地域による違い
袴着の風習・伝統が現在に残りまして、
関東では男の子の3歳祝いを5歳で行う家庭が多くなっているようですが、
地域によりまして違いがあるようです。
七五三は平安時代頃を起源として・・・
・行う形 ・年齢
・性別 ・時代
・階層
これらによって様々だった為、それが広がっていく過程で、
地域による違いに繋がっていったとも考えられています。
いずれにしましても、七五三の成り立ちには・・・
「子供は7歳までは神様のようなもので、人の子ではない」
このような考え方の背景があります。
問題 次の文章の中の〇〇に入る言葉を教えてください。
昔は7歳までの子供は〇〇や事故で、
いつ死んでしまうかも分からない存在で、魂が不安定とされていました。
だからこそ・・・
7歳まで育ったことへの感謝と、
7歳以降の無事と健康を神様に報告しまして、祈りを捧げました。
1、戦争
2、呪い
3、病気
ヒント・・・〇「源氏物語」は〇〇満載の物語
現代語に置き換えますと・・・
・胃痙攣(いけいれん) ・栄養失調
・風邪 ・脚気(かっけ)
・熱病 ・伝染病
・ノイローゼ ・不眠症
これら等の症状が、全54帖にわたってごろごろと出てきます。
それらに対する治療の様子も出てくる訳ですが、
特に詳しく治療の様子が書かれるのは、
臨終にあたっての病床の様子です。
「源氏物語」には印象深い死としては大きく・・・
・光源氏さんの母である桐壺 さん ・愛人
・夕顔 さん ・正妻
・葵の上 さん ・最愛の紫の上 様
・薫君の最愛の大君 様
お分かりの方は数字もしくは〇〇に入る言葉をよろしくお願いします。
お忙しい土曜日の夕方に、コメントとお答えをありがとうございます。
そうですね、七五三といえば千歳飴ですね。
あはは、そうですか、確かに量を感じませんか?
本日録画をしてNHK大河の43話を視ました。
今まででは、2も多いですね。
異様にやり過ぎの方もおられました。
そうですね、源氏物語は2が実際に多いですものね。
冷蔵庫に保存しながらチマチマと食べました。
今回は問題のヒントが面白いですねー
3の病気にしたいところだけど、源氏物語といえば2の印象が強いので、
2にしますねー(笑)