箱根彫刻の森美術館
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2024/11/25 00:44:26
こんばんは!25日(月)は、
北陸から北の日本海側では午前中を中心に雪が多く、
にわか雨やにわか雪の所があるでしょう。
ただ、次第に天気は回復に向かう見込みです。
その他の地域は概ね晴れそうです。
【おすすめの観光地は?】
A、箱根彫刻の森美術館さんです。
[箱根彫刻の森美術館]さん
THE HAKONE OPEN‐AIR MUSEUM
住所 :神奈川県足柄下郡箱根町仁ノ平1121
電話番号:0460-82-2623
開館時間:9:00~17:00 年中無休
*入館は閉館の30分前まで
入館料 : 個人 障害者手帳を 介助者
お持ちの方 (1名まで)
当日窓口 WEB
チケット
一般 2000円 1000円 1000円 1000円
大学生・ 1600円 1400円 無料 1000円
高校生
中学生・ 800円 600円 無料 1000円
*未就学児無料
アクセス:・電車をご利用の場合:
小田原駅→箱根湯本駅→箱根登山鉄道「彫刻の森」
駅下車、徒歩約2分
・お車をご利用の場合:
東京方面より
東名厚木IC→小田原厚木道路→西湘バイパス箱根口IC→
国道1号線→宮ノ下交差点左折→強羅(ごうら)方面右折→
県道723号線、約500m
御殿場方面より
東名御殿場IC→国道138号線→宮ノ下交差点右折→
国道1号線→強羅方面右折→県道723号線、約500m
〔彫刻の森美術館さんについて〕
富士箱根伊豆国立公園に位置する箱根。
彫刻の森美術館さんはその自然を生かし、
フジサンケイグループにより、1969年に開館しました。
当時の創設者であり、初代館長の鹿内信隆さんは・・・
「彫刻の為の美術館は日本に前例が無い為、彫刻の発展に寄与する」
このような目的としました。
《鹿内信隆(しかないのぶたか)》さん
1911年(明治44年)11月17日ー
1990年(平成 2年)10月28日
日本の実業家で、フジサンケイグループ会議初代議長です。
フジサンケイグループ内で絶対的な権力を持っていました。
1974年郵政官僚出身の浅野賢澄(あさのよしずみ)さんに、
社長職を譲りまして、自らは会長に就任します。
又、ニッポン放送社長を同郷の後輩である、石川達郎さんに譲りました。
1982年郵政官僚出身の浅野賢澄さんにフジテレビ会長のポストを譲り、
1984年フジサンケイグループの最高顧問の座に就きました。
しかし・・・
1988年長男の春雄さんの死去を受けて、
春雄さんが大量に所有していたフジテレビさんの親会社にあたる、
ニッポン放送株を春雄さんの未亡人・頼近美津子さんが相続します。
フジテレビさんは頼近さんの支配下に置かれかねない状況に陥った為、
慌てて頼近さんからニッポン放送株を買い戻しまして、
再びグループ会議議長の座に就任しました。
1990年10月28日、78歳でその生涯を閉じました。
≪環境彫刻≫
1969年は折しも、
彫刻の野外進出という動向が国内外で広まり始めていた時期です。
量塊(りょうかい)性を軸にした伝統的な彫刻に替わりまして、
多様な素材を用いて作られる開放性のある彫刻が出現します。
それらはスケールの巨大化とともに、彫刻の空間性を拡大させまして、
「環境彫刻」という呼称も登場しました。
野外の特定の空間を彫刻の展示場所とすることは、
時代の流れに沿っていたともいえます。
箱根の地はは丘や小川、池がありまして、両側の山を借景として、
地平線の彼方に海が遠望出来る景観を供えています。
このように日本庭園に必要な幾つかの条件が初めから揃っていました。
美術館と敷地の設計は、
彫刻家の井上武吉さんに依頼されました。
《井上武吉(いのうえぶきち)》さん
1930年12月8日ー1997年9月26日
奈良県宇陀郡室生村(現:宇陀市)出身の彫刻家です。
井上武吉さんは、日本を代表する抽象彫刻家です。
東京都庁舎等、多くの公共建築にパプリックアートを残しています。
1967年に大規模パブリックアートの設計としては初めての仕事として、
靖国神社さんの無名戦士の為の記念碑「慰霊の泉」を、
完成させたのを皮切りに、箱根彫刻の森美術館さんや、
池田20世紀美術館等の建築・都市計画の設計監理を行いまして、
東京都港区にある、芝公園近くの、
「my sky hole 93-3 手まり坂」や、
滋賀県大津市の「my sky hole 97-2 水面への回廊、琵琶湖」等、
広場を設計デザインする等、
作品制作の幅はモニュメント彫刻制作の域から、
大きく飛躍するものでした。
又、海外での活動も精力的に行いまして、
国立ベルリン美術学校での客員教授就任や、
パリのポンピドー・センターで「My Sky Hole」の、
映画上映が行われた他、大規模な古典をも成功させます。
1994年にはドーバー海峡の英仏を結ぶ、
ユーロトンネルの開通記念モニュメントを設置しました。
国内でも中原悌二郎賞や吉田五十八賞、芸術選奨文部大臣賞等、
彫刻や建築に関わる多くの賞を受賞しまして、
公共空間の造形美術の旗手として活躍が期待されていた1997年、
67歳の若さで急逝されました。
問題 上記井上武吉さんの発想についてです。
次の文章の中の〇〇に入る言葉を教えてください。
井上武吉さんは親と子供の為の場所を作りたいと考えていました。
「〇〇自体が彫刻なのだ」
このような発想を持っていました。
人間の肉体の上を歩いているような肉感的な要素のある丘があり、
彫刻と自然が溶け込み、知的な刺激が心に残るような場を、
彼らに贈りたかったのです。
こうして、自然の中で人々と芸術が交流する場が誕生しました。
1、物体
2、大地
3、木々
ヒント・・・〇野外彫刻
野外展示作品は、彫刻の森美術館さんの最大の魅力です。
@アントニー・ゴームリ― さん イギリス 1950年~
「密着 Ⅲ」1993
鉄27×201×174cm
ゴームリ―さんは最初ケンブリッジ大学、
トリニティ・カレッジで考古学・人類学を学びまして、
その後、美術に転じました。
1981年より自身から形取りした彫刻を、
制作するようになりました。
大地に伏せて手足を精一杯伸ばしたポーズのこの人物像も、
ゴームリ―さんの身体から型を取ったものです。
お分かりの方は数字もしくは〇〇に入る言葉をよろしくお願いします。
にゃしむさん、度々どうもありがとうございます。
そうですか、参考にだなんて、恐れ多いです。
どうもありがとうございます。
そうですね、3はひっかけですねw
周囲の森も見渡せる、素晴らしいロケーションの美術館ですので、
雰囲気がとても良かったですよ。
いつの機会か、箱根に行かれる時はいかがでしょうか!?
本日も疲れたはずです。
ゆっくり、暖かくして、どうぞおやすみくださいませ。
どうもありがとうございました。
箱根彫刻の森美術館は、行ったことがなかったので参考になりました!
答えは3,かな…と思ってたら、見事にハズレでした(^_^;)
そうですね、オブジェです。
ここはかなり以前に行ったことがあります。
中にはショップがありまして、当時はピカソさんの軽いカードを購入したり、
布製のペンシルケースを購入しました。
水色が主体でカラフルでしたw
問題ですが2番の大地が正解です。
本当に箱根彫刻の森美術館の屋外に、そのモニュメントが配置されていて、
当時フジテレビさんの20:54~21:00までCMがありました。
CM通りの光景の所に行けて、おお~って感動しました。
作品も当時とだいぶ変化している可能性もですので、又伺ってみたいですね。
たまに見かけるオブジェのことなんですね。
私にはよく分からないと思って見てました(笑)
答え 2かな?