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かきくけこのブログ。


貧乏キャラで市民権を得たい私。

浮世では、ママ友がブランド品やら高級外車でマウント合戦をしているらしい。そんな話をきいて「なんていう外国の宮廷の姫君?」っていう気分になる、プロ貧乏の私。おとぎ話の夢物語?という位、お金持ちさを競うという話が、霞か雲かと掴みどころ無く響く。


私はプロ貧乏。
 私は世間にプロ貧乏を自称してもいい人間だと思っている。自分の事を「貧乏なんですよ」っていう事は、普通言っちゃいけないことですね。むしろ世間ではママ友が「私はこんなに金持ちよ」とブランド品武装しているというからには、貧乏くささを出したら、即社会的に死、というのが現代なのだと思います。ですが、そんな貧乏くささを出したら村八分で社会的に抹殺される令和時代に、プロ貧乏キャラとして認知されたい。いや、認知されてもいいのが私なのだ。と思っている。

奨学金を貰う、=貧乏な家庭、質素倹約を公に強制される。
 高校の時、奨学金を貰って生活していた。奨学金は全部母親にあげて、バイトしてバイトのお金から学費払っていた。毎日バイトしながら、大人になったら学費を返すために働くのか…とか借金の額を聞きながら、高校入ってすぐになんのために高校行ってんだろと思って、高校辞めたいと思ってた。親は「バイトの給料全額親に渡せ」って言うし。ちょっとカワイイ事したいなと思ったら社会は「お金援助してもらってる苦学生ならメイクとかしてんじゃねぇよ」って言うし。周囲は「なんで男みたいにおしゃれしないの」ってバカにするし。どんなド底辺というド底辺を味わいつくしていた私。高校時代が一番自由が無かったような気がする。絶対に高校生にもどりたくない。地獄すぎた。高校時代にもどりたいとか言ってる人の人生がはるか頭上高みにある勝ち組の人に思える。華も恥じらう女子高生時代に、奨学金を貰っていたという事は、もう、それまで自分をだましだまし普通だと思ってなんとか自尊心を保っていたようなのに、奨学金を貰ったという事は、「実家は超貧乏」という事が、社会的に、公然と、偉い人に「お前んちは貧乏」と認定されたという、経済の動きの中で、お墨付きの貧乏の称号を得た!という事……。もう、言い逃れできない貧乏なのだ。実家は超貧乏。それが、奨学生というのがバレた人なのだ。自分のそんな事が恥ずかしくて、一時期奨学金もらってたとか話をしたくないと思っていた。でも貰ってしまった。私はもはや、自分を普通とすらいえない、貧乏な家の生まれなのだ。そんなことを隠したりはできるかもしれないけど、でも事実はそうなのだ。そしてそれを隠したからといって、ブランド品で武装できるわけでもなく。いまでもやっぱり貧乏な私は貧乏でブランド品でマウント合戦なんかできない人種であった。もう、いっそだったら、こんなにも貧乏歴の長い、そして根深い、奨学金という借金すら十代で経験している私は、そんじょそこらの貧乏とはレベルの違う、プロ貧乏なのだ。そこらへんの貧乏と格が違うのだ。もはや公然と自称してもいいのが、私というプロ貧乏なのだ。と思っている。もう、一番底で色んな人を見上げ続けて、もはや私が自称しなかったら、誰が自称するのよという位だ。そんなんですから、私は自称プロ貧乏だ、と言ってはばかりません。お金持ちに、なりたいです!(笑)お金持ちに、なりたいです!!!(笑)もういい年こいてるのに、すごくハングリー精神がいまだにあるという私、貧しい発展途上国の人のように、ギラガラした飢えた目つきをしてしまう、現代日本の基準でいえば恥ずかしい私。セレブの優雅さ、お金持ちの気品、余裕みたいなのが全くない私。時間をかけて遊ぶ楽しむ自分の人生を愛していたわる。というような、財産が生み出す豊かさがまずしく、いつも頭の片隅で貸借対照表を気にして喜べない私。どこからどうみても、私はそんな、お粗末な貧乏キャラです。まぁそこまでなら、いっそ自称したほうが、得!と思ったという、得だから自称しようとしている、やっぱり恥ずかしい私。乞食三日やったらやめられないだったか、忘れられないとか言うといいますが、私から言わせてもらっても、乞食というのは確かに一種、不道徳な美味しみがある、とは言えるかもと思います。




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