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かきくけこのブログ。


映画 ミスト 感想

この前、アマゾンプライムで無料映画になっていた。「ミスト」という映画。面白かったです。ネタバレ注意。



大人向けなダークな雰囲気のモンスター映画
 この映画は子供にはおススメしないかな、というか。というのも
↓ネタバレ注意



現代人のこどく
 主人公がラストに考えつく決断が、あまりに孤独すぎて。最終的に自決しようとするんですが、それすらできなくて、自分のしたい事、好きな人、大切な人を全て失って、しかも最後に自分が見捨てた人が救われているのをまざまざと目にしたりして…。という、なんつう残酷な映画なんだこれは…という、鬱映画でした。なんであんなにも人の気持ちをやるせなくするダークな気持ちにする映画なんだ…なんのすがすがしさもない…と、見ると元気がなくなる映画でした。そのあまりの絶望感がたまらないです。残酷で無残な世界であればあるほど、凄いたまらんです。なぜ残酷な映画が好きなのか、と言われると、残酷だからいいというワケじゃなくて、なんだか絶望的な映画にどっぷりハマった後、DVDをイジェクトした瞬間、「ああ、今私のいる世界は現実はなんてすばらしいんだ」とか思えるような。そんなもう、なんの希望もなくなったDVD世界から、自分のいる現実に戻る瞬間が好きです。まぁ、私の現実も来世に期待するしかない世界なんですけど(笑)でも、この映画「ミスト」の主人公のあまりの無残さに比べたら…私なんてまだまだ不幸なんかじゃないのだ。と思えるような。そんな人の不幸を愉しむという…趣味の悪い私の好きな映画でした。人の不幸と自分の不幸を比べてしか私は自分幸せとか思えないとか。どんだけ性格がドス黒いんだろう。自分の事ながら、自分の性格のひねくれたおぞましさには恥じ入るばかりです。

老人と女と子供を最初に切る主人公
 歴史的鬱映画の記録的ラストシーンで、主人公が「もう終わりだ」と思って、最初に足切りするのは、老人と女と子供だった。自分もモンスターに襲われて死のうとしたら、その時助かってしまう。絶叫して終わる。というラストシーン。このラストで凄いのは、人間の自尊心が真っ二つに折れる、しかももう二度と戻らない事が証明される、決定的になる、ということが描かれているところ。主人公は、自分が正しいと思って生きてる人間です。正しいと思って楽な死を人に与える。主人公が最後に自分も死のうとしていたところが、「主人公は自分をいい人間だと思っている」という性格があらわれている。主人公は驚くべき事に、四人銃殺しても、自分は良い人間でいようとしている。けして自分を悪人だと思っていない。自分だけ逃げおおせようとしていたら、主人公は死のうとしなかったと思う。でもどうにか人を殺した事を、自分で自分を罰しようと試みて、「自分が悪いわけじゃない」という姿勢を崩さない。主人公は最後まで自分の事を悪をなす悪人だとは思ってない。もうどうしようもないから銃殺するしかなかった、でも銃殺した後でとても生きられない、死にたい、と願う。なぜなら、自分をいい人間だと自覚しているから…。


自分も死ぬ事で「自分も死のうとしたんだし、悪くない」という人間だったと思うんですよね。だからあんなに絶叫したりしたと思うんですよね。四人銃殺しても、自分は良い人間として終わりたいんだと。そういう選択をして、自分をいい人間だと思いたくて、そして仕方ない選択をしただけの善人として、自殺したかったと思うんですよね。そこがスゴイえぐい、どこまでも人の醜さをえぐりぬく演出だと思います。四人も殺しといて、でも自分は悪くない、自殺しようとしてるんだから。というような。そんな人間のすさまじい自己肯定感を垣間見ます。自己愛の凄さというか。でもそれは、どんな人間にも潜在的に存在する可能性があり、とても他人ごととは思えないものもあります。だからあのラストシーンは恐ろしくて、全身凍り付く怖さがあるんだと思います。

善人として生きられなくなる
 でも、最後に四人殺した後に、主人公が助かってしまうんですよね。主人公は自分は仕方なく悪事をなした善人として死にたかったんですけど、でも、助かってしまう。そのあと、自分が銃殺した事実もバレてしまう。その後、生きなくてはいけない。自分が悪事をなした犯罪者だという事実が公然とバレても、生きていかなくてはいけない。自分は誰より安らかな死を与えた善人として最後を迎えたかったのに、本人は、どこまでも自分は善人で、よかれと思ってやってきた行為、よかれと思ってしてきた行為だったのに、生き残った彼には到底、全ての善人が受容できない悪人の姿しか残っていない。そして覆らない事実、自分は善人として生きる事はできなかった悪人になってしまったという受け入れがたい自分を受け入れて生きていけなくてはいけない、というラストを迎える。

一番人間を苦しませる、残酷な重たい罰とは
 主人公は、自分は悪い事をした、だから死のうとした。と考える。主人公の考える一番ひどい罰は、自分が死ぬ事だった。自分が死ぬ事で、自分は悪くないと、自分を肯定し自尊心を守ろうとしている。でも最終的に、あの「ミスト」の映画のラストは、そんな主人公の大切な自尊心をへし折る、自分が自分であると自己認識を保つためにしていた自殺を許さなかった。悪人の矜持をへし折ったんですよ!そこがスゴイ。なんという絶望スマッシュ。人が嫌だと思うことをよく心得た人しか、あんな惨たらしいラスト考えられないですよ!最後の最期に、人間が正気を保とうとしている自己認識を、ベキっとバキっと粉砕する。そんなんだから、「ミスト」の主人公は、ラスト助けられた事によって、「うあああああああああああ」と、普通そこで喜べよという状況で、「うああああああああああ」と、発狂するんですよねぇ…。発狂する…。肉体を壊して死のうとしたけど、最初に壊れたのは精神のほうだった。という。ゆっくり殺すタイプの、そんな因果応報がふりかかっていた、そんな主人でした(笑)大爆笑です(笑)悪人が絶叫しながら発狂するとか(笑)いや、本当に私は、酷い人間です(笑)
 確かに、酷いことをして死ぬのは、とても簡単で楽なのかもしれない。人を四人も殺したら、発狂するようなラストシーンくらいなければ、そうでなければ因果応報はやっぱりウソだろう?というラストシーンだった。因果応報という考え方はやっぱり嘘だと思ってるほうですけど、映画「ミスト」で主人公に待っている因果応報の物凄さ、すさまじい発狂という因果には、人を殺したらいけないよな…と、思ったり。あと数年のうちいつかは悪人を世の為人の為に一人か二人くらいは殺したいな~と、ボンヤリ考えている私に、「う~ん。やっぱり世の中の人の為といっても、殺したらいけないのかな」と、善良な市民として生きるために寄与してくれる映画だと思います。どんなに「こうしたほうが、人の為だ」と思っても、死では足りない罪があって、死より辛い痛みで「うああああああああああ」って言ってる人は、いるのかもしれない。と、絶望的な状況を見て、いや、あんな残酷な映画考える人がいるんだから、現実世界にはもっと残酷な考えの人っていっぱいいるぞ絶対。と、明るみにでているだけの部分ででも、恐ろしい事を考えつく人がいるんだから、世界の恐ろしい暗部が、恐ろしくなります。ヘタにやさぐれず、まっとうな道をまっとうな事をして、歩いていくのが幸せだと思います。




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