Nicotto Town



クマガイソウ

ニコットおみくじ(2025-05-20の運勢)

おみくじ

こんにちは!九州から関東は晴れて広く真夏日になる。

九州や中国は午後に所々で雷雨。
北日本は日本海側を中心に雨で、雷の所も。
沖縄は晴れ。

【クマガイソウ】 熊谷草 Cypripedium Thunb.

              Japanese lady's slipper

              Korean lady's slipper

☆ラン科アツモリソウ属に分類される多年草の一種です。

<概要>

〇クマガイソウ

@特徴

 独特な形の大きな花と、扇状の葉を付けることが挙げられます。
 
 草丈は約20~40cmで、表面に毛が生えています。

 大きな花は袋状で、
 萼(がく)がその上から苺(いちご)の蔕(へた)のように付いています。

 ★名前の由来
 
  袋状の花弁が特徴で、熊谷市の郷土の偉人である、
  熊谷次郎直実(くまがやじろうなおざね)公が矢から身を守る為に、
  馬上で背負った母衣(ほろ)に形が似ていることから、
  クマガイソウと名付けられました。

  □母衣・母衣武者

  戦国時代、「母衣武者」と呼ばれた武将がいました。
  
  ◆熊谷次郎直実公

   保延4年(1138年)-承久3年(1221年)

   「日本一の剛の者」と源頼朝公が絶賛!
   永治元年(1141年)~建永2年(1207年)

   平安時代末期から鎌倉時代初めにかけて活躍した熊谷郷の武士です。

   源平の合戦での活躍が有名で、
   源頼朝公をして「日本一の剛の者」と言わしめました。

   しかし・・・

   一の谷の戦い(1184年)で、自分の息子と同年代の、
   平敦盛(たいらのあつもり)さんを討ち取ってからは、
   戦場に見せなくなります。

   出家して名を「法力房蓮生(ほうりきぼうれんせい)」と改めまして、
   法然(ほうねん)上人の門に入り、修行に励みました。

   その数奇な一生は「平家物語」や歌舞伎、浄瑠璃等、
   文学や演劇の世界でも語られています。

   晩年、熊谷に戻った蓮生様が念仏を唱える為に建てた草庵が、
   現在の熊谷寺(ゆうこくじ)の始まりといわれています。

   △エピソード

   <宇治川の先陣争い>

   源頼朝軍と京都の源義仲(よしなか)さんとが、
   京都の宇治川で合戦を行った時の逸話です。

   義仲軍は頼朝軍の入京を拒む為、宇治川に架かる橋板を外してしまい、
   橋げたのみが残っている状態でした。
   そこで熊谷直実・直家父子は先陣の功名をあげようと、
   橋げたを足場にして敵陣に向かって行き、
   敵からの攻撃に対してはお互いを庇(かば)いながら、
   先陣争いを行ないました。

   <東行逆馬(とうこうさかうま)の逸話>

   出家して蓮生法師となり、京都で法然上人のもと、修業を励んでいる際、
   故郷熊谷へ一時変えることとなりました。

   その時・・・
 
   西の方にはお釈迦様がいらっしゃるという教えを守り、
   お釈迦様にお尻を向けることは出来ないと馬の鞍を前後反対に乗せ、
   西に正面を向いて、馬に逆さに乗ったまま、
   熊谷までの帰路に着いたという逸話です。

   <十念質入(じゅうねんしちいれ)>

   京都から熊谷まで帰る途中、旅のお金が無くなった蓮生法師は、
   今の静岡県藤枝市の辺りで、そこの土地の長者である、
   福井さんからお金を借りようとしました。

   その際に質草として蓮生法師が「南無阿弥陀仏」と十回唱えますと、
   十体の阿弥陀様が現れまして、阿弥陀様を質草としてお金を借り、
   熊谷へ帰りました。

   そして、京都へ戻る際に、福井さんに借りたお金を返し、
   「南無阿弥陀仏」を九回唱えますと、
   阿弥陀様が蓮生法師の口から吸いこまれていきました。
   そして、残りの一体を御本尊として福井さんはお寺を建立しまして、
   蓮生法師に帰依(きえ)しました。

  前田利家公もこの「母衣武者」にあたりまして、
  彼らは様々な意味で優遇されたエリート武将でした。

  母衣とは、甲冑の補助的な武具のことです。
  鎧の背中に大きな布を挟みまして、
  風で膨らませて、戦場の矢等から身を守る形で使用されていました。

  中世の戦の様子を描いた作品に、
  風船やパラシュートを背負ったような武士が描かれていることがありますが、
  これが「母衣武者」です。

  先に戦国時代と書きましたが、
  実際には母衣はもっと昔から存在していました。
 
  元々、母衣は全身を被(おお)うように着用する防寒具の一種でした。

  しかし、平安末期になると、騎乗の際に背中に装着して、
  風を使って布を大きく膨らませるという使い方が流行り始めました。

  この頃、戦の主要武器といえば弓矢だったので、
  背後から急所が狙いにくくなる母衣は防御面で有効だったのです。

  戦が集団戦になったのは室町時代からで、
  母衣は防御面よりも見た目が重要視されるようになりました。

  例えば、竹や鯨の髭(ひげ)等を骨組みにして、
  風が吹いていなくても膨らんでいるように見えるものが使用されました。

  なぜそんな形になったかといいますと「目立つ為」です。

  母衣を纏(まと)った武将は、
  姿を目立たせることで自らの活躍をアピールしたのです。

  中には、10mを超える大きな布が使用されました。

 ☆開花時期・希少価値

  開花時期は4~5月です。

  クマガイソウはレッドリストの絶滅危惧種Ⅱ類に入っていまして、
  希少価値が高く、花姿を見られる地域は数少なく限られています。

@クマガイソウとアツモリソウの違い

 ★花色

  ・クマガイソウ:白色に近い色

  ・アツモリソウ:赤紫色に近い色

 ☆葉の形

  ・クマガイソウ:扇円形

  ・アツモリソウ:長楕円形

 ★開花時期

  ・クマガイソウ:4~6月
 
  ・アツモリソウ:4~7月

 ☆生息地

  ・クマガイソウ:山岳地域や寒冷地に生息

  ・アツモリソウ:湿地や水辺に生息

問題 クマガイソウは主に北海道南部から九州にかけて分布しています。
   低山の竹林や杉林に大きな集落を作りながら自生しています。

   次の文章の???に入る都道府県名を教えてください。

   主な自生地は???の「御蔵(みくら)」です。

   市の指定天然記念物とされている為、
   こちらが日本最大級の自生地と呼ばれています。

1、北海道

2、埼玉県

3、東京都

ヒント・・・〇御蔵は個人の敷地で、入りにくい
      
      開花時期でもあるゴールデンウィーク前後の2週間は、
      一般公開される為、クマガイソウを求めに、
      遠路はるばる???へとやってくる観光客も少なくないようです。

      @御蔵のクマガイソウ

       所在地:〇〇〇〇市見沼(みぬま)区御蔵

       所有者:個人

       概要 :民家の門前の真竹林に自生しています。
           高さは30~40cmで、
           4月下旬に袋状の花を付けます。
           クマガイソウはラン科に属する多年草で、       
           日本のランでは最も大きな花を付けます。

お分かりの方は数字もしくは???に入る都道府県名をよろしくお願いします。






 


  
 

   

 

  

 




アバター
2025/05/20 16:40
こんにちは!快晴の火曜日をお疲れ様です。
 かげねこちゃん、度々のコメントとお答えをありがとうございます。
そうですか、ヒントの住所から調べられましたか。
あはは、サービス問題ですか。
かげねこちゃん、流石ですね!!
 はい、問題の答えは2番の埼玉県です。
〇〇〇〇市見沼(みぬま)区御蔵の〇〇〇〇には「さいたま」が入ります。
御存知、さいたま市は埼玉県の県庁所在地です。
つまり、都会のなかにこうした貴重な植物が生育していることに感銘を覚えました。
しかも、個人宅にというのが凄くありませんか?
こうした絶滅危惧種がいつまでも生息出来ることを心より強く願っています。
アバター
2025/05/20 16:26
げんさん こんにちは。
ヒントの住所から調べました。サービス問題をありがとうございました。

   2、埼玉県

        です。





Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.