Nicotto Town



横浜開港記念日

ニコットおみくじ(2025-06-02の運勢)

おみくじ

こんにちは!西から低気圧が近づき、

九州は終日雨が降り、南部は雷や突風も。
中国、四国、近畿も夜に雨。
東日本、北日本は晴れる。
沖縄は雨で、夜は曇り。

【横浜開港記念日】 Anniversary of the Port Opening of Yokohama

           Yokohama Port Opening Anniversary

☆横浜開港記念日(6月2日)は、
 1959年に横浜港が開港したことを祝う記念日で、
 毎年盛大なイベントが行われます。

<概要>

〇横浜開港記念日

毎年6月2日は、神奈川県横浜市にとり特別な日です。

2025年の今年は、横浜港開港から何と166周年を迎えます。

@横浜開港の歴史と日本の近代化

 1859年(安政6年)6月2日、
 横浜港は日本で初めて本格的な西洋との交流の場として開港しました。

 ペリー提督率いる黒船来航を契機とした日米修好通商条約に基づき、
 横浜は日本発の外国貿易港として、その歴史の第一歩を踏み出しました。

 開港当初は上位運動のあらしが吹き荒れる激動の時代です。

 しかし、この開港が日本の近代化に与えた影響は計り知れません。

 外国との貿易が活発になり、西洋の新しい文化や技術が次々と流入します。

 横浜には多くの外国人居留地が形成され、
 国際都市として急速に発展していきます。

 ★マシュー・カルブレイス・ペリー さん
  Matthew Calbraith Perry
 
  1974年4月10日ー1858年4月4日

  ペリーさんはアメリカのロードアイランド州ニューポートで生まれました。

  □1809年

  14歳9カ月という若さで士官候補生として、アメリカ海軍に入隊します。

  ◆士官候補生

   「キャリア組」ということで、子供の頃から優秀でした。

  □1833年

  ブルックリン海軍工廠(かいぐんこうしょう)司令官に就任し、
  代将になります。

  ◆海軍工廠

   海軍の艦船や兵器、弾薬等の製造、修理、購入、実験等をする施設です。

  ペリーさんは蒸気船を主力にすることを目指しまして、
  アメリカ初の蒸気軍艦を建造します。
  
  この為、ペリーさんは「蒸気船海軍の父」と呼ばれました。
 
  又、海軍教育の先駆者でもあります。

  □1852年
  
  東インド艦隊司令長官に就任します。

  日本に開国を求める大統領の親書を手渡す指令を受けます。

  ◆東インド艦隊 East India Squadron

   19世紀に存在したアメリカ海軍の艦隊です。

   1868年にアジア艦隊(Asiatic Squadron)へと名称変更されます。

   △原語

    「フリート(fleet)ではなく「スコードロン(Squadron)であり、
    「東インド艦隊」と訳される場合もありますが、
    1902年までアメリカにフリートは存在せず、
    それまではスコードロンが最大の戦闘鑑グループでした。

    一般的に戦隊は下部組織として編成される為、
    訳語として艦隊が使用されました。

   ▲歴史

    『設立及び日本開国の企て』

     1830年代はアメリカとアジア諸国との交易は増加しつつあり、
     又、捕鯨船の活動もありましたが、
     これらは全て民間の活動でありまして、
     アジア諸国との正式な国交ではありませんでした。

     この為、アンドリュー・ジャクソン大統領は、
     1832年にエドマンド・ロバーツさんを特命使節としまして、
     デビッド・ガイシンガー中佐が艦長を務める、
     戦闘スループ・ピーコック(USS Peacook)をアジアに派遣し、
     東アジア及び東アジアの国々と、
     何らかの条約を結ぶことを指示しました。

     その際・・・

     「特に日本に関する情報を注意深く収集」しました。

     さらに・・・

     「正式な使節は別に送るにしても、状況が許すならば
       状況が許すならば信任状を提出しても良い」とも指示しました。

     ロバーツさんはシャムとマスカットとの条約締結には成功しましたが、
     コーチシナまで到達した時点で、
     中国(清国)及び日本との交渉は困難と考えまして、
     アメリカに引き返しました。

     1835年、ロバーツさんは2国との批准書交換及び、
     清国、日本との交渉の為に再びアジアに派遣されました。

     今回はエドマンド・ケネディ代将を司令官としまして、
     ピーコック及びスクーナー・エンタープライズを派遣しました。

     ここに東インド艦隊が誕生します。

     しかしながら、ロバーツさんは清国で亡くなります。

     1836年中頃、ケネディさんも日本との交渉には、
     自身の資格では不十分と考え、交渉を諦めまして、
     太平洋を横断して、帰国しました。

  □1852年11月24日

  日本に向けて出港します。

  ■1853年6月3日

  日本の浦賀に入港します。

  □1854年1月16日

  横浜に2度目の来航を果たします。

  この1カ月後、日本に開国を合意させました。

  ■1854年3月3日

  日米和親条約が締結します。
 
  □1858年3月4日

  ニューヨークで亡くなりまして、享年は63歳でした。

 ★日米修好通商条約 Treaty of Amity and Comumerce
           Between the United States and the
           Empire of Japan

  
  日米修好通商条約は1858年(安政5年)、
  日本とアメリカとの間で結ばれた条約です。

  この条約はいわゆる不平等条約として知られていました。

  □日米和親条約

  1853年、浦賀にペリーさんが率いる黒船4隻が来航しまして、
  1854年、日本はアメリカとの間に日米和親条約という条約を結びます。

  この条約によって下田と箱館の2港を開きまして、
  ついに長きに渡った鎖国が終わりを迎えました。

  この時アメリカはあくまでも、
  日本は鯨を獲る為に太平洋に出た時の補給地点として見ていた為、
  この時はまだ燃料や食料の補給や下田と箱館の港で、
  休憩するのを許可したにすぎず、
  肝心の外国との貿易はまだやっていませんでした。

  さらにあくまでも開いた港は北海道の端の箱館と、
  伊豆半島の端の下田だった為、
  別の視点から見たら幕府による厄介払いにも見えてしまいます。


問題 1856年、下田にアメリカ総領事として着任した、
   ダウセント・ハリスさん。
   次の文章の中の???に入る国名を教えてください。

   ハリスさんはアジアに勢力を伸ばしている???の危険性をアピールし、
   貿易しか望まないアメリカと条約を結んだ方が得であると説得します。

1、オランダ

2、イギリス

3、スペイン

ヒント・・・〇???だけではなくフランスもやってくる

      フランス公使ロシュさんに対抗して、
      薩長に援助することを通したオールコックさん。

お分かりの方は数字もしくは???に入る国名をよろしくお願いします。


  

  


    


  




  



  

 


アバター
2025/06/03 17:17
こんばんは!多々のコメントを恐れ入ります。
スズラン☆さん、どうもお疲れ様です。
 そうですね、私の子供の頃はサッカーはそうした方がおられましたよ。
イングランド、ブラジルの方がそこでは上手な方でしたね。
現在では中国の方やインドの方が多いですね。
ほぼ、毎日お見かけします。
 そうですね、横浜の特に港回りの町並みは、
キングやクイーン等ありますが、ヨーロッパを模した造りになっていますね。
ですので、やはり独特な街並みに視えるようです。
アバター
2025/06/03 16:01
横浜は開港以来、ハーフ、クウォーターと脈々と増えながら、
街を発展させているイメージです。
動画で見た街並みを独特ですよね。
アバター
2025/06/02 23:14
こんばんは!曇りの月曜日の夜です。
 かげねこちゃん、お忙しい夜にコメントとお答えをありがとうございます。
どうもお疲れ様です。
 今回のヒントは難しくしてしまいました。
はい、当てずっぽうですね。
どうもありがとうございます。
 おおお~、大変難易度が高い問題ですが、
2番のイギリスが大正解です。
凄いですね!かげねこちゃんは!!
完璧です!!どうもおめでとうございました(祝)
アバター
2025/06/02 19:24
げんさん こんばんは。
今回は調べましたが全然見当がつかず降参状態です。
ダメ元で当てずっぽうで答えますね。

   2、イギリス

         ではどうでしょうか???(正解を教えてくださいね。)






Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.