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オリンピックデー

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おみくじ

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九州から東北は広く雨で、激しく降る所も。
土砂災害に注意がh津陽。
北海道と沖縄は晴れる。

【オリンピックデー】 Olympic Day

☆オリンピックデーとは、1394年6月23日の、
 国際オリンピック委員会(IOC)さんの創設を記念して、
 定められている記念日です。

<概要>

〇オリンピックデー

1894年の今日、スポーツの祭典として世界中で親しまれている、
オリンピックの歴史が、フランスの首都パリで静かに始まりました。

この日は、国際オリンピック委員会(IOC)さんが創立された日であり、
現代においてもスポーツの価値を世界に伝え続ける大切な記念日です。

@オリンピックデーの起源と意義

 ★国際オリンピック委員会(IOC)さんの創立

  オリンピックデーが誕生した背景には、
  クーベルタン男爵の強い信念がありました。

  彼の提唱により、国際的なスポーツの祭典を復興させるべく、
  1894年に国際会議が開催され、IOCさんが設立されました。

  この時の会議が、後に第1回オリンピック大会の開催に繋がります。
  
  □クーベルタン男爵とオリンピズム

  ◆クーベルタン男爵が未来に託した理想

   1894年6月23日、
   パリでスポーツ競技者連合の会議が開催されました。

   その席上で、古代オリンピックにならった近代オリンピックの開催と、
   その為の国際オリンピック委員会(IOC)さんの設立が決定されました。

   これを記念して、
   後にIOCさんはこの日を「オリンピックデー」として推奨しました。

   日本では1949年から様々な記念式典や行事が行われています。

   会議に集まったのはフランス、イギリス、アメリカ、ギリシア等、
   20カ国からの47団体79名です。

   政治家や軍人等、決してスポーツの専門家ではない人々がほとんどでした。

   △若きクーベルタン男爵の憂い

    近代オリンピックの提唱者は後に「近代オリンピックの父」と呼ばれる、
    ピエール・ド・クーベルタン男爵です。

    クーベルタン男爵は1863年1月1日、
    貴族の家系の三男としてパリに生まれました。

    当時の貴族の子息の多くがそうであったように士官学校で学び、
    ゆくゆくは軍人か官僚、或いは政治家になることを期待されていました。

    クーベルタン男爵は次第に教育学に興味を示すようになります。

    クーベルタン男爵が青春時代を送っていた当時のフランスは、
    普仏戦争(1870~1871年)の敗戦を引きずり、
    沈滞ムードが蔓延していました。

    この状況を打破するには、
    教育を改革するしかないと考えるように至りました。

   ▲見聞を広げ、平和主義の国際人に変貌

    クーベルタン男爵は、パブリックスクール視察の為に渡英します。
    
    実はこの時熱心な愛国主義者であった彼は、大のイギリス嫌いでした。

    クーベルタン男爵はイギリスの学生達が積極的に、
    且つ、紳士的にスポーツに取り組む姿を見て、
    感銘を受けまして、たちまちイギリス贔屓(ひいき)になりました。

    「服従を旨として知識を詰め込むことに偏っていた、
      フランスの教育ではこのような青少年は育たない。
      即刻、スポーツを取り入れた教育改革を推進する必要がある」

    このように確信しました。

    その後もクーベルタン男爵は、
    精力的に各国へ足を伸ばし、見聞と人脈を広げていきます。

    とりわけアメリカでの体験は刺激的でした。

    クーベルタン男爵には、
    ヨーロッパ程、階級や伝統、慣習に縛られていないアメリカ社会は、
    古代ギリシアの都市国家の自由さに似ていると感じたのです。

    当初は「自国の教育改革の為に」と、
    スポーツを取り入れる必要性を感じていたクーベルタン男爵でしたが、
    次第に「国際的競技会」の構想を膨らませていきます。

   △「古代オリンピック」への関心の高まり

    1852年、ドイツの考古学者によって、
    ギリシアのオリンピアで遺跡が発掘されます。
    
    以来、そこで行われていたという古代の競技会への関心が高まりました。

    同じ頃、あくまで地域的で小規模でしたが、
    ヨーロッパで「オリンピック」と銘打った競技会が行われていました。

    それに刺激されたクーベルタン男爵は、スポーツ教育の理想の形として、
    「古代オリンピックの近代における復活」を思い描いていきます。

    ただし、クーベルタン男爵が思い描いたのは、
    一国の国民だけが参加する競技会ではなく、
    もっと普遍的で、明確な理想を背景とした運動でした。

   ▲「近代オリンピック」誕生の瞬間

    1894年6月、
    パリの万博博覧会に際して開かれたスポーツ競技者連合の会議で、
    クーベルタン男爵は、オリンピック復興計画を議題に挙げました。

    すると満場一致で可決され、
    第1回大会は1896年、古代オリンピックの故郷オリンピアのある、
    ギリシアで開催されることも採択されました。

    同じ会議で、古代の伝統に従って大会は4年ごとに開催すること、
    各国の大都市での持ち回り開催とすること、
    大会開催に関する最高の権威を持つ、
    国際オリンピック委員会(IOC)さんを設立すること等、
    近代オリンピックの基礎となる事柄が決定されています。

    現在では定員115名で構成されているIOC委員ですが、
    そこで決定したIOCさんの委員は僅か16名でした。

@近代オリンピック

 1896年、第1回がギリシアのアテネで開催され、
 以後4年に一度開催が続きましたが、
 世界大戦での中止や政治的理由でのボイコット等も起きました。

 近代オリンピックの第1回は1896年4月6日に、
 古代オリンピック発祥の国である、
 ギリシアの首都、アテネで開催されました。

問題 古代オリンピックの精神についてですが、
   19世紀前半に興(おこ)った古代ギリシア賛美の文化運動である、
   ギリシア愛護主義の運動が最高潮に達していたその頃、
   ギリシアでエーゲ文明の存在を明らかにした、
   北ドイツ生まれ(1822年~1890年)の、
   ハインリヒ・シュリーマンさんのトロヤやミケーネの発掘に続き、
   ドイツ人のクルティウスさんが古代オリンピア遺跡発掘を、
   成功させたことが背景にありました。

   クーベルタン男爵が提唱したことを、
   次の文章の???に入る植物名を教えてください。

   競技会開催中は戦いを止めること、ポリスの為に戦い、
   勝者には???の冠が与えられるだけというアマチュアリズム等の、
   古代のオリンピックの精神に基づいた国際大会の開催を提唱しました。

1、オリーブ

2、月桂樹

3、ブドウ

ヒント・・・〇???

      雌雄異株の常緑高木で、葉は香料として使用をされますので、
      ローレルやローリエとも呼ばれています。

お分かりの方は数字もしくは???に入る植物名をよろしくお願いします。








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