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梨の日

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おみくじ

こんにちは!九州から関東、北陸にかけて広く晴れるが、内陸部では所々で雷雨。

北日本は昼頃から雨が降る。
沖縄は曇りで、夜は晴れ。
厳しい暑さが続く。

【梨の日】 Pear Day

☆7月4日は梨の日です。
 鳥取県東伯郡東郷町(とうはくぐんとうごうちょう)、
 「現:東伯郡湯梨浜町(ゆりはまちょう)」の、
 「東郷町二十世紀梨を大切にする町づくり委員会」さんが、
 2004年(平成16年)に制定しました。

<概要>

〇梨の日

@「梨の日」の制定

 梨の妖精「ふなっしー」が「7月4日は『梨の記念日』で、
 自分の誕生日なっしー」と宣伝して、すっかり認知度が高まりましたが、
 7月4日は「梨の日」です。
 「7(な)4(し)」の語呂合わせからです。

 「梨の日」を制定したのは、「二十世紀梨」の名産地として知られる、
 鳥取県東郷町の「東郷町二十世紀梨を大切にする町づくり委員会」さんです。

 「二十世紀梨」の苗木が明治37年(1904年)に移入されてから、
 100年経った平成16年(2004年)に制定しました。

 ★ふなっしー さん

  千葉県船橋市在住の「森の妖精」という設定のマスコットキャラクターです。

  着ぐるみと中の人が一体となり、
  地域おこし活動の他に、タレント、歌手、声優としても活躍しています。

  2011年11月、千葉県船橋市名産の梨をモチーフにし、
  いち船橋市民が「個人的に」始めたご当地キャラクターで、
  当初は船橋市役所等に売り込んでも受け入れてもらえませんでしたが、
  自主的に酸化した地域イベントでの活動や、
  インターネット上の活動で徐々に浸透し、
  2013年2月の「アサヒ十六茶」の広告出演を機に、
  一気に拡大したとされています。

  市や県からは公認されていないものの、その人気と高い知名度ゆえ、
  船橋市のみならず千葉県や日本政府の、
  公式なイベントや企画に起用される機会が多いです。

  「イジり、イジられ破天荒キャラ」と評されています。
  
  又、ゆるキャラ界における、革命を起こしたとされています。

 ☆東郷町二十世紀梨を大切にする町づくり委員会 さん

  □主な活動内容

  ◆豊作祈願祭の開催

   東郷町二十世紀梨を大切にする町づくり委員会さんは、
   毎年、東郷町にある古木の「百年樹」の前で、
   豊作を祈願する祭りを行っています。

   このイベントには地域住民や関係者が参加し、
   梨の生育や生産の安定を願います。

  ◇地域の特産品としての普及

   二十世紀梨を特産商品として位置づけ、
   その魅力を地域内外に広める為の様々なイベントや、
   キャンペーンを実施しています。

  ◆教育・学習活動

   学校と連携し、梨について学ぶ機会を提供する等、
   教育活動にも重点を置いています。
   又、地域の子供達が梨に親しんでもらう為のプログラムが組まれています。

  □目指すもの

  東郷町二十世紀梨を大切にする町づくり委員会さんが目指すのは、
  二十世紀梨の保護と、その優れた品質を次世代に引き継ぐことです。

  又、地域の特産品としての価値を高め、
  地域経済の活性化に寄与することを目指しています。

@「二十世紀梨」の誕生

 ★始まり

  「二十世紀梨」は明治21年(1888年)、
  千葉県東葛飾郡八柱村(ひがしかつしかぐんやはしらむら)の、
  梨農家である、松戸覚之助(まつどかくのすけ)さんが13歳の時、
  近所の農家のゴミ捨て場に捨てられていた、
  みすぼらしい梨の苗木を持ち帰り、
  父親が経営する梨園「錦果園(きんかえん)」さんに、
  移植したところから始まります。

  *千葉県東葛飾郡八柱村・・・現・千葉県松戸市二十世紀が丘梨元町

  松戸地方は江戸時代から梨の山地でありましたが、
  松戸覚之助さんの家はちょうど2年前に梨栽培を始めたばかりでしたので、
  当時まだ少年だった松戸覚之助さんも、
  この幼木(ようぼく)に興味を持った可能性があります。

 ☆「新大白(しんだいしら)」の誕生

  松戸覚之助さんは梨の世話を続け、
  始めて結実(けつじつ)したのは10年後の明治31年(1898年)です。

  食してみますと、今までとは格段に甘く、
  果汁が溢(あふ)れてくる瑞々しさがありました。

  そこで「新大白」と名付けまして、販売しました。

  ◆原木

   昭和10年(1935年)に国の「天然記念物」になりましたが、
   残念なことに、昭和22年(1947年)に枯れてしまいました。

  明治37年(1904年)、
  当時広く読まれていた農業誌「興農雑誌(こうのうざっし)」に、
  「驚くべき優等新梨(新大白)の紹介」という記事の中で、
  「新大白」が激賞されました。

  ◇興農雑誌

   明治25年(1892年)に設立された、
   東京興農園(現・興農学園)さんが創刊した雑誌で、
   主に欧米から持ち込んだ商品作物の種苗、農機具、肥料、書籍等を、
   日本全国に紹介する役割を果たしていました。

   「其味の優等甘味にして漿液(しょうえき)最も多く
     恰(あたか)も甘き西洋梨の如く
     且つ少しも口中は渣滓(さし)を止めず
     実に完全の梨果と称するを得べし」

 ★「新大白」から「二十世紀梨」へ

  「興農雑誌」で激賞された同じ年に、
  東京興農園主の渡瀬虎二郎(わたせとらじろう)さんと、
  東京帝国大学(現・東京大学)さんの池田伴親助教授が相談をしまして、
  「二十世紀になったら梨の王様になるだろう」との夢を託しまして、
  「二十世紀梨」と名付けました。

  この年、明治37年(1904年)は、
  「日露戦争」が勃発した年でもあり、戦争後の好景気とともに、
  全国各地で「二十世紀梨」の栽培面積が増えていきました。

  現在「二十世紀梨」の山地としては、鳥取県や長野県が有名です。

  地元の千葉県は降雨が多いことから、
  病気に罹(かか)りやすい為、栽培が難しかったのです。

 ☆「二十世紀梨」、鳥取へ!

  ■松戸覚之助さんから苗木を購入

  鳥取県に初めて「二十世紀梨」の苗木を持ち込んだのは、
  気高郡松保村「(まつほそん)(現・鳥取市桂見)」で、
  農業を営んでいた北脇永治(きたわきえいじ)さんです。

問題 次の文章の〇〇〇に入る果実名を教えてください。

   「みかんには寒すぎ、〇〇〇には暑すぎる」

   こうして鳥取の気候に悩んだ北脇永治さんは、
   「二十世紀梨」に目をつけまして、
   明治37年(1904年)に松戸覚之助さんから苗木を10本購入して、
   自分の果樹園に植えました。

   これが鳥取県における「二十世紀梨」の歴史の始まりです。

1、めろん

2、すいか

3、りんご

ヒント・・・〇船越〇〇〇狩り園 さん

      住所  :鳥取県西伯郡大山町加茂4357

      電話番号:0859-54-3995

      入園料500円で時間制限無しで食べ放題です。
      持ち帰りは量り売りで、キロ500円です。

      大山町(だいせんちょう)は、鳥取県西部に位置し、
      中国地方最高峰でもある大山の名を冠する町です。

お分かりの方は数字もしくは〇〇に入る果実名をよろしくお願いします。



  
  




 

  


   












アバター
2025/07/04 23:12
こんばんは!雨の金曜日の夜です。
ミオティカさん、どうもお疲れ様です。
 そうですね、7と4で「梨」はそのままですね。
問題の答えはりんごが正解です。
鳥取県にりんごはありますよ。
鳥取県は大山周辺がりんごの産地です。
あはは、そうですね、すいかとメロンの食べ放題ってあるのでしょうか?
私は勉強不足です。
はい、ミオティカさん、大正解です。
どうもおめでとうございます(祝)
因みにりんごの南限は、山口県です。
みかんの北限は茨城県とされています。
アバター
2025/07/04 21:17
7 4 で 語呂合わせね。w・なるほど

みかんは 暖かい所が好きで・・・寒いところが好きな果物は・・・りんご?

でも 鳥取に りんご?ある?w?
食べ放題が出来そうなのは すいかでもメロンでもなくりんごだしねぇ・・・

りんご!




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