ゲシュ崩ログ 551 子供と
- カテゴリ:日記
- 2025/08/05 17:21:34
今日は子供とわらび餅を作った。わらび餅を作るかいって聞いたら作りたいって言うので、一緒に作った。子供が「ダイラタンシーみたいだ」とか言う。最近の子供は難しい言葉を知っていて凄いなぁ…って感心しました。情報の流布がひと昔前と違う。これからの時代は、むしろ情報を知る事にお金をかけるというより、情報をシャットアウトする事にお金がかかる、って誰かが言っていた。どういう事?って思ったけれども、アホな私もそういう事かな?と実感するのは、そう遠い未来じゃないかもしれないなぁ…とぼんやり子供の未来にやきもきする。あまりにも多い凄まじい情報量を、いかに子供から隠すというか、必要なだけ伝えるか。よくよく考えると、大変な危険と隣り合わせなのが現代のようでいて、なんだかんだいってきっと大丈夫ではと楽観視しているのは私が結局南の島のカメハメハ大王みたいな楽観主義だからなのかしら。ま、どうにかなるでしょう、だなんて。自分でもなんてお馬鹿なまで楽観的なんだろう、と知性と悲観というものの相関関係を、低学歴のこの私の楽観的な状態で 暴露している。そういえば、南海トラフ地震にそなえてるのはきちんと大学でた主人のほうで、「そんなものはこないぞ」って考えてるのは低学歴な私である。やっぱりなんだかんだで未来は暗いかもしれない、と備えたり保険をかけるのが、人間だと思う。そうでなければ、犬みたいな生活をしているといって差し支えないんじゃないかな。今日のご飯美味しい…それだけ考えて生きてる私。未来?どうにかなるっしょ~って考えている私。ある意味、そういう周囲に恐怖さえ与えかねない楽観視があるから私は生きていられるし、子供も産めるのかもしれない。もし子供を産んでどうにかこうにかなったら…とか現代を悲観していたら、とても産めない気がする。でも私は年と共にどんどん「なんとかなるっしょ」って楽観主義に拍車がかかっている気がする。これは脳の老化なんだろうか…。大丈夫なんだろうか。いや、大丈夫じゃない気がする。やっぱり色んな事に怯えてるのが、普通の立派なまともな大人であり、だからこそ何かあっても立派な人は色々考えているから大丈夫なんじゃないかな。でもそんな立派な人だからこそ、普通の人のほうがというか、頭のいいほうの人のほうが心配性とかノイローゼとか、心を病むっていうからには、この世はバカなほうがいいのか…精神科に通うほどに頭がいい人のほうがいいのか。本当に世の中は一筋縄で生きていけてる人なんていないんじゃ?っていうか。