Nicotto Town


かきくけこのブログ。


もう熊をハントする許可を得ればいいのでは

望んでもないのに、運命のように、そうなってしまう。という人がいる例として、雷に七回当たった人というのがいると、まことしやかな噂として聞いた。普通雷に一回あたるだけでもなのに、七回もあたるなんて。よっぽど平野に住んでるのだろうか。あたりに何もないんだろうか。でも、普通の人は一回もない経験が、その人には七回もある。そういう運命というのか。そういう悪運があるというのか。なぜかその人が、そういう事に遭遇する確率が確率論が通用しない値で算出される。という事は、稀にある。現実世界は予測できない事が多いのが、現代の多くの人類なのかなという気がする。


鹿ハンター、やむなく熊を駆除したから、熊ハンターになればいいのでは。
 北海道の熊を、鹿ハンターが駆除した事が、問題だという。プロの世界ではそれが問題になるんだな~と、しみじみ変なの。と思った。クマに出会ったとしたら。ハンターはどうか知らないが、普通、熊が目の前にいたら、そりゃ、パニックにもなるのが当然なのでは。しかも場所は北海道。死因がクマな人が多い地域。プロハンターは知らないけれど、まったく無知な私のような人からすると、熊に出会ったら、物凄く恐怖に陥るのではないか。たとえそれが、無害な熊だとしても、普通の人に、熊ハンターの資格がない人に、「この熊は大丈夫だ」とか、そういう判断はとても出来ない。「死の恐怖」を味わうに違いない。と思いました。そりゃプロの熊ハンターは冷静でしょう。でもそこがプロと鹿ハンターの違いなのかもしれません。緊急で駆除してしまった鹿ハンターが、熊ハンティングの資格がなく、野生の猛獣を前にして、危機を感じていたとしても、それはまったくおかしくないどころか、熊をみつけて自分の持てる方法をとったとしても、至極当然。鹿ハンターさんが、熊ハンターだったら、もっと冷静に野生動物の保護とかの知識とか、つけていたでしょう。だからこそ、もう、これは運命だという事で、鹿ハンターさんは、もう熊ハンターの資格もお持ちになればいいのではないかと思う。自分は熊なんか…と思ってるかもしれないけれど、そういう地域に住み、そういう猛獣をハントした腕がある。もうその経験が、過ちであるとしても、過ちであるならなおさら、鹿ハンターさんは、熊の知識をとことん得て、自分のした事が間違いだったかどうかの反省の意味も含め、鹿ハンターにくわえて、熊ハンターの資格も取得していけばいいのではないかと思います。それならもう、いいのでは?自分がこうなりたい、と思っていないのに、人生、なぜかその道に進んでしまう。という事ってあると思うんですけど、意図せず鹿ハンターだったのが、熊ハンターになってしまった。そういう人生を歩んだ人の気持ちを考えると、本当になんとも複雑で怪奇な人生というもののめぐり合わせにはつくづくそれぞれに長い歴史がある。といつも思う。熊に襲われて死ななかった事だけでも、本当によかった。自分を守る為であればなおさら、鹿ハンターだけど熊とってしまった人には、そこまで罪はないと私は強く擁護したい気持ちでいっぱいです。もちろん、熊の命を軽んじているわけではなく、その人がもし、もっと、前もって熊ハンターという資格があったなら…知識を持っていたなら。熊についての知識があったなら。そしたらもっと、その人は熊のでそうな場所に行かなかったとか、違う道もあったはず。でもそのハンターは、鹿ハンターでしかなかった。それが問題だった。問題っていっても、出るものは出るし、人間だってじゃ、どうぞって熊に食べられたくは無いし。じゃあどうしたらよかったのだろう。やっぱりその鹿ハンターさんが、熊ハンターとしての資格知識があってしかるべきだと、私には思えてなりません。もう、二度あることは三度ある。じゃないけど、その人は、鹿ハンターにとどまらず、熊ハンターとしての顔もお持ちになられたほうが、駆除してしまった熊の冥福を祈る事にもなるのではないかと思いました。ハンター協会の人も、そういう人を熊駆除の仲間に迎えてあげるといいのですが。なりたくなくても、そうやってそういう道にすすんでいく…。そんな人って、いるんですよねぇ…。なんだかもう。

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