Nicotto Town


かきくけこのブログ。


閨事をネタにして笑う人を恨む。

自分のコイバナを面白おかしくネタにするっていうのは、ものすごく多くの人がやってる事かもしれない。その場のノリで、自分たちの失敗談やら恋のおかしな閨事をネタにすると、爆笑するという事は、なくはない。でも私は絶対そういう事はしないでおこう。少なくとも人生の後半は。っていう決意がある。なんでかっていうと、自分は聖人君子だからです、だからそんな下ネタで盛り上がりませんっていうつもりはなく、単に私がバラされるほうの被害者になった事があったからなだけだ。


人の閨事をバラす人への殺意
 もうおばさんになった今では、何がバレようがほぼノーダメージな自分がいるんですけど(笑)なんで若い時はあんなに傷ついてたんだろう?ってくらいで自分でもびっくりの成長?というか、堕落というか。変化です。人間変わるんですね。傷つかなくなって結果それでよかったのか?いいのか?それは疑問ですけども。

 でも若い時に、自分がベッドでどうだったとか恋人にバラされるのすごく傷ついたんですけど。体がどうだったとか。そういうの凄く言われたくないんですけど。激しい殺意が沸くんですけど。そういうのバラして盛り上がる人に。そういう時の殺意はかなり強いのではと、実際にバラされた事があって、殺意を抱いた事がある私としては、人が人を恨むってどういう事なのか。恨みって簡単に消えるのかなとか、すごく簡単には言い切れないと思いますが、人がベッドでどうだったとかああだったとか面白おかしくネタにする人は、あんまり自分がどう恨まれるかとか、そこまで考えて無さそうに見えます。実際、そういう事を面白く話す人って、優れていて魅力的で、自分が体験した性体験は人にバラしてみんなの幸せの為に話すのだっていう感じがして、赤裸々体験談で周囲の人から好かれる人を見ると、なんだかとっても素敵に見えますが、バラされたほうは地獄で、一生許さないとか、恥ずかしさで自殺してしまいたいとか、あいつをヤってから死のうとか、そういう粘着質で絶対消えない怨念を抱くのが普通なんじゃないかな。と思いますけど。私みたいなちゃらんぽらんですら、「あの時の事許さない」って機会があれば復讐したいと思うようなのに。実行力や地位や権力がある人の秘密をバラしたりする人は、よっぽどこの世とオサラバしたい人なのかもしれんな。って思います。芸の為に解脱しすぎかよ。って、殺意に血塗られた渾身のギャグをかます人を見る度、なかなかの極道ものであるとその豪気さには尊敬があるわな。


色彩を持たない多崎作と巡礼の年
 このタイトルの本を最近読みかえして、この本は結局なんだったんだろう?ってまた不思議な気持ちになりました。最初に読んだ時、シロさんがなんてかわいそうなんだ、なんて哀れなんだ。つらい。かわいそう。儚くて綺麗な、そんな女性が消えるすごく美しい幻想譚…みたいな気持ちでいました。二十代の若い時。
 でも最近色々考えるようになって、この本読み返してみたら、シロさんって、私が一番許せないタイプの「人のベッドの事ある事ない事織り交ぜて人前でいいまくる奴」っていうタイプなんじゃ?って最近ようやくシロさんの罪が見えるようになってきた。女で。これが男の人だったら男の人って皆さんご存じのように女の人より恥ずかしがりやだから、男の暴露話ってどっか見栄やプライドがあるから、そこまで破滅的な事言わないんですが、この本にでてくるシロさんのように、人の人生を嘘で狂わせるような事ができるのが、女性なんですよね。私が被害者ですっていうと、女性を守るために罪なき男性が、ツクルという主人公が、社会的制裁をうけるという話なんですけど、この本をそういう目線で読むようになった。若い時は「シロさんめっちゃ可愛そう。被害者だ」って思ってたんですけど、この本の主人公の内容を信じるなら、シロさん狂言で男性を異常者扱いして人の人生破壊した最悪の悪女だな…っていう読み方ができるんですよね。そんでこの本で私が言いたいことは、誰が悪いとかそういう事じゃなくて、この本の中でシロさんという女性が、暴力的なものに抹殺されているという事が自然に飛び出すんですよね…。人の人生を狂言で狂わせた人の閨事を人前でしゃべりまくった女が、殺害されるという本。この本を読んで、なんていうかなぁ。私は、村上春樹が「男性の言語を絶する根源的な壮絶な怨み」みたいなものを表現したんじゃないのかな。っていう気がして、何が悪か善か嘘か真かとか、そういうテーマではなく、「人の閨事をバラす人への強烈な憎悪」みたいなものが、この世界にはあると書きたかったんじゃないのかな、っていう気がして気がして、なんだかそんな気がして、私はとてもこの本の世界のシロさんが死んだ事に、なんていうか、作者が、「気づいて!この世界にはそんな恐ろしい人がいるんだよ」って教えてくれるような気がして、とても勉強になるという気がします。若い時はそういうのが物語を切ないものにするために作られた、単なる構造上の終着点みたいなものかと思ってましたが、作者が「世界にある誰も言葉にしない真実」を表現したのではないか。という気がして、とても鋭い刃物で肌をなぞられるような心地ですよ。大人はね。

でも程度の差で誰でもぶっちゃけてる
 でもまぁ、夜がああだこうだなんて、程度の差で、誰しもぶっちゃけてるものなのでしょう。私はそういうのがわからない若かった頃、そういう事は人は人に言わないものだとなぜかそう自分の都合で考えていた。若いから。人って秘密ほど人に言いたいのかもしれません。だから「この人はきっと秘密をもらさないだろう」っていう考えてた、私が若くて馬鹿だったのだ。悪いのは私だったのだ。そういう感じで考えるようにしました。そうやって人は大人になっていくのですね。まぁでも、そういう大人になっていく過程で、人は怨みとか一生許さないとかいう人間の心理に気づいて、色んな怒りや憎悪に気づいて、人に優しくなっていけるのかもしれません。

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