愛するとは。サイレントヒルFの恐怖
- カテゴリ:日記
- 2025/10/23 08:39:45
サイレントヒルFというゲーム。このホラーゲームは、凄い。ストーリー重視という変な選択肢があり、文系オタク女子におススメなホラーゲームなのかな?という気がしました。単純に過激なスプラッタ表現が好きな人というより、そっちかもしれないなという大人向け残酷表現ゲームにしては、とても抑えられたゲームではないかという気がする。ちなみに、オタク男子じゃなく、完全にオタク女子向けだと思う。あれは。
精神科医の名越さん
精神科医の名越氏も、あのゲームをみて「とても奥が深い」みたいな事いっていた。あれはけっこうテーマが未来を先取りしているし、単なるおぞましさだけのゲームではないと、知性は感じるような仕組みをとっているゲームなのだろう。
抑えられているとは
普通こういうゲームは破壊すると心地よい効果音があったりとか主人公がかっこよく加害していくとか、なんと人間の悪を増幅するのだ~とNHKとかまともな大人倫理委員会から糾弾される要素がいっぱいあるんですけど、そもそも主人公が弱そうで、いじらしい女の子。そういういたって普通の女の子が、間違って年齢制限かかるゲームの過激な世界に迷い込んでいるという印象が。そもそもそういう暴力的で破滅的な表現の作品にしては、ピュアさを演出している。バイオハザードみたいにおぞましいゾンビを大殲滅するような攻撃性が、あるのかないのか、ゲームという面白さだけでいうと、少しそういう主人公がゲームの中で暴れまわるというような要素が抑えられている。という印象がある。ゲーム好きからすると惜しい…という気がするけど、その分、というか、ゲームというより、あれはゲームの形をした未来の哲学書。とまで言える要素がある。そういう意味で、文系オタク向けゲームなのかなという気がした。
女の子の怖い物
ゲームの中で、結婚が大きなテーマの主軸になっている。結婚、というものが、怖いんですよね(笑)小さいころの女の子って。わかる…。と思った。結婚するのが怖い。そういう女性って多いんじゃないですか?そういうホラー(笑)結婚とか、結婚したら出産する。その時の出産は痛い。その恐怖(笑)そういう少女が持つ結婚出産への当然ある少女の恐怖。それが根源にある気がして(笑)このゲームのあの、結婚を重たい暗いイメージで表現しているのは、あれは完全に少女の感性。と私は思えてならず、あのゲームは女性向けだとしか思えなかった(笑)結婚怖いとか結婚するの苦手とか、結婚自分に向いてないわとか(笑)少女のように高潔な主人公(笑)いや少女なのだから、結婚するの嫌だっていうのはもちろん当然なのだ。そうじゃなかったらなんか嫌だ(笑)結婚にノリノリな少女って(笑)そういう意味では、結婚をしてない乙女の為のゲームという感じがしました(#^^#)
愛するとは
そんで、あのゲームで面白いのは、結婚し、愛し合うとはなんなのか…みたいな事を、描いてるかな~って(笑)思うんですよねぇ。
キツネ面の男等から、かよわい主人公は愛されてる表現がある。その、主人公が愛されてるのは間違いないんですけど、その時、何が起こるかという現象。あれが面白いと思った。
愛してる人を全て理解したい
愛してる人を全て理解したい。愛してる人、結婚したいと思ったらそうなるのも自然かもしれない。そんで、人ってもし、人を好きになったらどうなるか…っていう事なんだけど。人って、人を好きになったら、最終的に、愛してる人をコピーするっていう事もあるのかな。って思うんですよ。愛の究極表現として、「同化」したい。っていう欲望。一つになりたい。心の底で何があるのか考えているのか、その人の全てを「請け負いたい」そういう愛。そういう愛を、ひなこの周囲もひなこに思ったんじゃないでしょうか。ひなこの姿が時々傷だらけになったり、異形になったりします。しかし、その姿が、なぜか元に戻ったりする。姿かたちが変わってしまう。ひなこが人間の時、周囲の人間が「ひなこの異形を請け負っている」というような表現がある。愛しているから、その人のコスプレしたい。っていう欲望。あれをもっと自己愛的に増幅させたら、ああいうキツネ面の男とかみたいになるんじゃないだろうか。愛してるから、ひなこをコピーしたのに、コピーしたらなぜか闇的な要素に飲み込まれて暴徒化する。みたいな設定が、抽象的に描かれている。ような気がして、あれは未来の愛の哲学書である。とAIも言っていた。
コスプレしたい、コスプレしたくない。
愛の一種、コスプレ。このコスプレ愛の究極の矛盾。愛しいキャラのコスプレしたい。でも自分はコスプレするべきじゃない。でもコスプレしたい。コスプレしてその人になりたい。なれない。でもなってみたい。そのキャラと同じように話して動きたい。なんて人間的で素敵で愛らしくて、純粋な愛のカタチなんだろう。肉体的な愛というより、精神的に深い愛。精神的な同化の愛のカタチ。そういう愛のカタチって、どっちかというと肉体的な欲望の(笑)男性の愛というより、女性的な深くて心の柔軟な、何もかもを受け入れたい、請け負いたいというような、女性的な愛じゃないかな?って思うんで。やっぱり女性向けだ!と思うんですよね。
コスプレは他者愛か、自己愛か。
コスプレし、その人を自分に取り込みたい。一つになりたい。食べてしまいたい…じゃないけど、究極に欲する事は、最終的に、ひなこの周囲がひなこに襲い掛かったように、なぜか究極に愛してるという道が極まる時に、究極に同化できない最後の抵抗みたいなのに突き当たった時、激しい拒絶になるのかなっていうか。コスプレも、コスプレしてその人への敬慕に満たされて幸せなはずなのに、コスプレの完成度が高ければ高い程、そのキャラになりきればなりきる程、元居た自分、本来の真似をしていた豊かな愛情を持つ自分を、奥に引っ込めて演じる事になる。この究極の矛盾。相手が百か。自分はゼロか。どっちも本当の自分だけど、コスプレする仮定で相手か、自分と相手どちらかの個性を喪失していく。それが同化が愛、とした時に起こる、コスプレ愛の激しい矛盾。そういうナルシズムと究極の愛欲みたいなもの、求めるという事、愛するという事。それが、あの、サイレントヒルFという、恐ろしいほど人間の奥底の愛するという事の恐怖を描いていると思ったんですよ。すごく深い哲学書。だからか、ああいうゲームにしては珍しい、操作できなくてもゲームのストーリーを愉しみたい人向けの設定がある。当然の設定かもしれない。乙女か、文系オタクならこれは絶対にクラっとくる無意識の愛や精神を揺さぶるものが、あのゲームにはいっぱいある。恐ろしいゲームなのだ。面白いよ。