全日本スキー連盟設立の日
- カテゴリ:スポーツ
- 2026/02/15 16:23:14
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こんにちは!九州から関東は日中は晴れる。
低気圧や前線が近付く東北と北海道は所々で雪や雨。
沖縄は晴れ。
最高気温は全国的に平年より高くなる。
【全日本スキー連盟設立の日】 ぜんにほんすきーれんめいせつりつのひ
The Founding Day of the Ski Association of Japan
☆2月15日は「全日本スキー連盟設立の日」で、
1925年(大正14年)のこの日、日本のスキー文化の礎を築いた、
全日本スキー連盟(SAJ)さんが誕生しました。
全日本スキー連盟さんは、スキーやスノーボードをはじめとする、
ウインタースポーツの普及と競技力の向上を目的として設立されました。
今では公益財団法人として、
国内外で活躍するスキーヤーやアスリートを支える存在となっています。
雪国の情熱から生まれたこの連盟は、
日本の冬をより豊かにする、大切な役割を担っています。
■公益財団法人 全日本スキー連盟 さん
Ski Association of Japan
住所 :東京都新宿区霞ヶ丘町4-2Japan Sport Olympic Square6階
電話番号:03-5843-1525
アクセス:・外苑前駅(東京メトロ銀座線)出口3から徒歩約6分です。
・国立競技場駅(都営大江戸線)A3出口から徒歩約11分です。
・千駄ヶ谷駅(JR中央・総武線)改札出口から徒歩約13分です。
<概要>
〇全日本スキー連盟設立の日
@スキー連盟の創立背景
1925年(大正14年)のこの日に設立された全日本スキー連盟さんは、
日本のスキー文化の礎を築いた歴史的な出来事です。
スイスからの風が札幌農学校に吹き込み、
日本の雪国のライフスタイルに革命を齎(もたら)しました。
コラー講師の情熱が生徒達に火をつけて、
馬そり屋で作らせたスキーが、今や私達の冬の楽しみの一つとなっています。
スキー連盟の設立は、スポーツとしてのスキーを組織的にサポートしまして、
その技術や楽しさを広める為の重要な一歩でした。
生徒達の独学と実践の精神は、今日のスキースポーツにも引き継がれています。
当時のスキーは、
まだ一部の人々にしか知られていなかった冬のレクリエーションでした。
しかし、連盟の設立により、スキーは日本全国に広まりまして、
多くの人々に愛されるスポーツへと成長していきました。
スキー連盟の設立は、日本のスポーツ界における大きな節目で、
スキー愛好家だけではなく、冬の魅力を知らない人々にも、
この記念日は特別な意味を持つ日であります。
☆ハンス・コラー(Hans Koller) さん
スイス出身で、明治41年(1908年)頃に、
東北帝国大学農科大学(旧・札幌農学校)さんの、
予科のドイツ語講師として着任しました。
ハンス・コラーさんは、
スキーの技術は「上手ではなかった」と記録されています。
しかし、持参した1台のスキーで学生と一緒に滑りまして、
北海道のスキー文化の萌芽(ほうが)に関わりました。
■ハンス・コラーさんが北海道に齎したもの
◇スキーを楽しむ文化の最初期の記録
レルヒ少佐(1911年の本格的指導)より前に、
1908年の札幌でスキーを使用していた外国人として、
記録されている、数少ない人物です。
▲「レルヒ少佐(1911年の本格的指導)」
1911年(明治44年)1月12日、
オーストリア=ハンガリー帝国の軍人・レルヒ少佐が、
新潟県高田(現・上越市)で、
日本初の本格的なスキー指導を行ったことを指します。
これが、日本のスキーの始まりとされていまして、
現在の「スキーの日(1月12日)」の由来にもなっています。
当時の日本では雪中移動の技術が乏しく、
軍事上の必要性からスキー技術の導入が求められていました。
その為、レルヒ少佐の指導は軍事視察の一環として行われました。
▽レルヒ少佐
●本名
テオドール・エードラー・フォン・レルヒ さん
(Theodor Edler von Lerch)
1869年8月31日生まれで、
オーストリア=ハンガリー帝国の軍人です。
●日本での役割
1910年に交換将校として来日しまして、
1911年、新潟県高田で日本初の本格的スキー指導を実施します。
当時の階級が「少佐」だった為、
日本では一般に「レルヒ少佐」と呼ばれています。
後に中佐に昇進した為、
北海道等では「レルヒ中佐」と呼ばれることもあります。
●伝えたスキー技術
レルヒ少佐が教えたのは、
「リリエンフェルド・スキー滑走法」と呼ばれる、
アルペンスキー技術です。
一本の長い杖(ストック)を使用する「一本杖スキー」で、
プルーク(ハの字)での制動が中心です。
この「リリエンフェルド・スキー滑走法」は、
アルプスのような急斜面でも安全に滑ることが出来る技術です。
●日本スキー史におけるレルヒ少佐の位置づけ
「レルヒ少佐」は日本スキーの父と呼ばれていまして、
1911年の指導が日本のスキー文化や競技スキーの出発点です。
現在も新潟県上越市金谷山(かなやさん)にはレルヒ像がありまして、
毎年「レルヒ少佐顕彰会」が行われています。
◇学生達への影響
ハンス・コラーさん自身は、専門的なスキー指導者ではありませんでした。
しかし、スキーを持ち込みまして、学生と共に滑ったことが、
北海道大学さんのスキー文化の源流の一つとされています。
北海道大学さんの山岳部やスキー部での歴史でも、
初期の重要な人物として言及されています。
問題 北海道スキー史における位置づけについてですが、
次の文章の〇に入る言葉を教えてください。
〇北海道スキー史における位置づけ
「日本のスキー普及」は一般にレルヒ少佐(1911年)が中心です。
しかし、北海道では
・ハンス・コラーさん(1908年)
・テオドール・エードラー・フォン・レルヒさん(1911年)
・遠藤〇三郎さん(1916年・日本杖普及)
このような流れでスキー文化が形成されていきました。
1、優
2、吉
3、幸
ヒント・・・〇遠藤〇三郎 さん 1874-1921年
日本の生物海洋学者で海藻研究の第一人者です。
札幌農学校「後の北海道帝国大学(現:北海道大学)」さんの、
水産学科の初代教授です。
1911年から1914年にヨーロッパへ留学をしまして、
ノルウェー式スキー術を習得して、
1916年に帰国後、学生に指導します。
@〇の意味
よいやめでたい、幸運や幸福、縁起が良い兆し、
〇兆=良い前ぶれといった意味があります。
〇日=めでたい日や「大〇」等、日常でもよく使用されます。
お分かりの方は数字もしくは〇に入る言葉をよろしくお願いします。
























